第27話 剣鬼の誕生

【三人称視点】


王都は一つの噂で持ちきりだった。悪名高い盗賊団『鉄の牙』が、たった一人の男によって壊滅させられたのだ。その男は辺境の村に住む隠者で、その剣技は鬼神の如しだという。人々は畏敬の念を込めて彼をこう呼んだ。『辺境の剣鬼』と。以前は酒の席での与太話程度にしか思われていなかった噂が、盗賊団壊滅という決定的な事実によって、一気に現実味を帯びたのだ。騎士団からの正式な報告も、その噂を裏付けていた。王都の誰もが、その謎の英雄の正体について噂し、その登場を待ち望んでいた。


そんな騒ぎの渦中にいるアムル本人は、王都まであと数日という地点で、相変わらずの無気力な日々を送っていた。彼は、自分が王都でどれほどの有名人になっているかなど知る由もなかったし、興味もなかった。彼の頭の中は、村のこと、リナのこと、そしてヒルデのことだけで占められていた。


「早く帰りたい」


その一心だった。


商人バルツは、そんなアムルの隣でほくそ笑んでいた。全ては彼の思惑通りだった。アムルの武勇伝は、彼が少し脚色を加えて事前に王都の知人たちに流しておいた情報だ。アムルが王都に到着する頃には、彼を英雄として迎える準備が万端に整っているだろう。そして、その英雄の後援者である自分の名声も上がり、商売もさらにやりやすくなる。バルツの計算は完璧だった。


王都の冒険者ギルド本部では、ギルドマスターのゲルマが腕を組んで唸っていた。彼の前には、アムルに関する調査報告書が山積みになっている。


「二年前の海難事故で死亡扱い……二年間の空白期間を経て生還……即日引退し辺境へ……そして今回の盗賊団壊滅……」


断片的な情報が繋がっていく。ゲルマは確信していた。このアムルという男はとんでもない逸材だ。二年間もの間魔境で生き延びたという空白期間に、彼がどれほどの力を得たのか想像もつかない。そんな男をただの引退者として野に放っておくのは、ギルドとしてあまりにも大きな損失だ。


「何としてもギルドに引き戻さねば……」


ゲルマは決意を固めた。S級を超える特S級のランクを新設してでも、彼を繋ぎ止める価値はある。


同じ頃、王城では騎士団長が国王にアムルのことを報告していた。


「陛下。この『辺境の剣鬼』は我が国の宝となりうる存在です。彼の力を国家のために役立てるべきです。何なら近衛騎士団の特別顧問として迎えるという手も……」


騎士団長もまたアムルの力を高く評価し、軍事力として取り込もうと考えていた。彼らの思惑を知らないアムルは、ただ早く村に帰りたいと願っているだけだったのだが。


ついに輸送隊は王都に到着した。王都の門の前には黒山の人だかりができていた。彼らは皆、『辺境の剣鬼』の凱旋を一目見ようと集まった野次馬たちだった。輸送隊が門をくぐると、割れんばかりの歓声が上がる。


「剣鬼様だ!」

「英雄の帰還だ!」


人々は口々にアムルを称えた。しかし当のアムルはどこにいるのか分からない。彼は荷運び人足の格好をして、人混みに紛れようとしていたのだ。


しかしバルツがそれを許さなかった。彼はアムルの腕を掴むと、民衆の前に突き出した。


「諸君!この方こそ、悪名高き盗賊団を一人で壊滅させた英雄、『辺境の剣鬼』アムル殿だ!」


バルツが高らかに宣言すると、歓声はさらに大きくなった。


アムルは無数の視線と歓声に晒され、心底うんざりした顔をしていた。彼は人々の賞賛など求めていない。ただ静かにしてほしかった。彼はバルツの手を振りほどくと、足早にその場を去ろうとした。


しかし、彼の行く手を阻む者たちがいた。冒険者ギルドの職員たちと、騎士団の兵士たちだ。


「アムル殿。ギルドマスターがお待ちです」


「アムル殿。騎士団長がお呼びです」


彼らは口々にアムルを引き止めようとする。アムルは大きなため息をついた。


「どうしてこうなるんだ。俺はただ静かに暮らしたいだけなのに」


彼の願いは、都会の喧騒にかき消されていくようだった。


結局、アムルは半ば強引に冒険者ギルドへと連行された。ギルド本部、ギルドマスター室。そこで待っていたのはギルドマスターのゲルマだった。彼はアムルを一目見ると、満足げに頷いた。


「君がアムル君か。噂通りの目をしている」


彼は単刀直入に本題を切り出した。


「引退を撤回し、ギルドに復帰したまえ。S級冒険者として君を迎えよう。いや、君のためなら特S級という新しいランクを作ってもいい」


破格の条件だった。誰もが羨む地位と名誉。しかしアムルは静かに首を横に振った。


「お断りします。俺はもう冒険者ではありません。ただの村人です。用が済んだらすぐに村へ帰ります」


彼の意思は固かった。ゲルマは眉をひそめた。


「なぜだ。君ほどの力がありながら、なぜそれを埋もれさせる。君の力は人々を救うためにあるのだぞ」


彼の言葉に、アムルは少しだけ反応した。彼の脳裏に、ヒルデの顔が浮かんだ。――俺の力は、彼女一人さえ救えなかった。そんな力が、人々を救えるものか。


「俺の力は、誰かを幸せにするためのものじゃない」


アムルはそう呟くと、部屋を出ていこうとした。ゲルマは慌てて彼を呼び止めた。


「待て!話はまだ終わっていない!」


しかしアムルは聞く耳を持たなかった。彼はギルドの喧騒を抜け出し、王都の街へと一人歩き出した。彼の心は、苛立ちと虚しさで満たされていた。早く村に帰りたい。あの静かな場所に。彼はただそれだけを願っていた。

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