第24話 商人の依頼
【アムル視点】
鉱山の一件から数ヶ月。ミストラル村にはかつてないほどの活気が戻っていた。鉱山が安定して稼働するようになり、村の経済は潤った。村人たちの顔にも、笑顔が増えた。
俺の生活も相変わらず平穏そのものだった。村人たちは俺を英雄扱いするが、俺はそれを適当にあしらいながら、静かな日々を送っていた。ファファとの二人暮らしにもすっかり慣れた。このまま時が過ぎていく――そう思っていた。
しかし、あの男が再び村に現れたことで、俺の平穏はまたしても脅かされることになる。商人バルツだ。
彼は以前よりもさらに豪華な馬車で村にやってきた。そして、真っ直ぐ俺の家を訪ねてきた。
「やあアムル殿。ご壮健そうで何より」
彼は胡散臭い笑顔で言った。
俺は眉をひそめた。
「何の用だ。スカウトなら断ると言ったはずだ」
俺が言うと、バルツは首を横に振った。
「いえいえ、今日はスカウトではありません。一つお願いがあって参りました」
彼はそう言って、一枚の羊皮紙を俺に見せた。それは大規模な輸送隊の計画書だった。ミストラル鉱山で採れた大量の鉱石を王都まで運ぶという。そして、その護衛を俺に頼みたいと言うのだ。
「もちろんただとは言いません。報酬はこれまでにないほど弾ませていただきますぞ」
彼は金貨が詰まった袋をちらつかせた。
俺は即座に首を横に振った。
「断る。言ったはずだ。俺は静かに暮らしたい。王都へ行く気はない」
俺の頑なな態度に、バルツは少しも怯まなかった。彼はにやりと笑うと、次の手を打ってきた。
「そうですか。それは残念だ。この話がうまくいけば、ミストラル村は今後数年間、インフラの心配をせずに済むほどの利益を得られるというのに」
彼の言葉に、俺は少しだけ反応してしまった。村の未来。その言葉が俺の胸に突き刺さる。
「この村はまだまだ発展途上。新しい水路も引きたいし、子供たちのための学校も建てたい。そのためには金が必要なのです。アムル殿、あなた一人が首を縦に振るだけで、この村の未来が大きく変わるのですよ」
彼は巧みな話術で俺の良心に訴えかけてきた。汚いやり方だ。だが、効果的だった。
俺はこの村に世話になっている。村人たちの笑顔を守りたいとも思っている。俺が断れば、彼らの未来を奪うことになるのかもしれない。俺は迷った。
バルツは俺の迷いを見透かしたように言った。
「まあ無理強いはしません。村長さんにもこの話はしてあります。あとはアムル殿のお気持ち次第ですな」
彼はそう言い残して俺の家を去っていった。俺は一人、部屋の中で考え込んだ。王都へは行きたくない。ヒルデに会ってしまうかもしれないからだ。しかし、村を見捨てることもできない。俺の心は、二つの選択肢の間で激しく揺れ動いていた。
その夜、村長が俺の家を訪ねてきた。彼は何も言わなかった。ただ、俺の前に座ると深々と頭を下げたのだ。
「アムルさん…。どうか…どうか村のために力を貸してはくれんだろうか」
彼の絞り出すような声。その白髪頭を見ているうちに、俺の決心は固まった。
「…分かりました。一度だけです」
俺がそう言うと、村長は顔を上げ、涙ぐみながら何度も礼を言った。俺は彼に一つだけ条件を出した。
「俺が護衛をすることは他の者には秘密にしてください。俺はただの荷運び人として同行する」
目立ちたくなかった。英雄扱いされるのはごめんだ。村長は俺の条件を呑んでくれた。こうして、俺の王都行きは決定した。不本意なことこの上ない。しかし、自分で決めたことだ。覚悟を決めるしかなかった。
出発の日。俺は村人たちに別れを告げた。表向きは、王都へ出稼ぎに行くと伝えてある。
リナが泣きながら俺の服にすがりついてきた。
「アムル兄ちゃん行っちゃうの?すぐ帰ってくる?」
俺は彼女の頭を撫でた。
「ああ。すぐに帰ってくる。いい子で待ってるんだぞ」
俺は彼女と指切りをして約束した。村人たちが皆、俺の無事を祈って手を振ってくれている。その光景に胸が熱くなった。守るべきものができてしまった。それは嬉しいことであると同時に、恐ろしいことでもあった。
俺は馬車の荷台に乗り込み、村を後にした。肩の上では、ファファが初めて見る輸送隊の光景に興味津々でキョロキョロしている。
「すごいねアムル!こんなにたくさんの馬車初めて見た!」
彼女は楽しそうだ。俺だけが、憂鬱な気分で遠ざかっていく村を眺めていた。
輸送隊は数十台の馬車と、百人近い人々で構成されていた。バルツが雇った傭兵たちも数十人いる。彼らは俺のことをただの村の青年だと思っており、誰も気にも留めない。それでよかった。
俺は荷台の隅で静かに景色を眺めていた。道中は特に何事もなく進んでいった。バルツが時折俺の様子を見に来ては話しかけてきた。彼は、俺という人間に純粋な興味を持っているようだった。俺は適当に相槌を打つだけだったが、彼との会話はそれほど苦痛ではなかった。
ファファはすぐに輸送隊の人気者になった。特に、傭兵たちの家族として同行していた子供たちと仲良くなり、一日中楽しそうに遊んでいた。その姿を見ていると、俺のささくれた心も少しだけ和んだ。
旅という非日常。それは、俺が忘れていた人間らしい感情を少しずつ思い出させてくれるようだった。この旅が終われば、またあの静かな村での生活が待っている。それまでの辛抱だ。俺は自分にそう言い聞かせた。
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