第4話 二年後の世界
【アムル視点】
小舟での航海は、死との隣り合わせだった。嵐に何度も遭遇し、巨大な海棲魔物に襲われたこともあった。
それでも俺は生き延びた。ヒルデとの約束、それだけが俺を支えていた。
そして、ついに大陸が見えてきた。港町の活気が遠くからでも感じられる。俺は最後の力を振り絞り、港へと舟を進めた。
二年ぶりの人の声。二年ぶりの建物の数々。全てが懐かしく、そして少しだけ異質に感じた。
俺はよろよろと舟から降り立った。周囲の人々が俺を見てぎょっとした顔をする。それもそのはずだ。俺の服装はボロボロの獣の皮。髪も髭も伸び放題。まるで原始人だ。それでも俺は構わなかった。ようやく帰ってきたんだ、この世界に。
まずは情報を集めなければならない。王都はどの方角か。通貨は変わっていないか。二年という月日は世界をどれだけ変えたのか。
俺は近くの酒場に入った。店主は俺の姿を見て一瞬眉をひそめたが、俺が魔物の素材をいくつかカウンターに置くと、目の色を変えた。
それは島で狩った魔物の中でも特に希少な素材だった。金貨数枚と交換してもらい、俺はまず腹を満たすことにした。
二年ぶりのエールとシチュー。その味は涙が出るほど美味しかった。
食事をしながら、他の客の会話に耳を澄ます。幸いにも大きな戦争などはなく、世界は平和なようだった。王都への道も整備されているらしい。
俺は食事を終えるとすぐに立ち上がった。一刻も早く王都へ行き、ヒルデの情報を集めよう。
俺は稼いだ金で最低限の装備を整えた。丈夫な旅人の服と新しい剣。鏡に映った自分の姿はまだ見慣れないが、少なくとも浮浪者には見えなくなっただろう。
俺は港町を後にして、王都へ続く街道を歩き始めた。舗装された道を歩くのは久しぶりだった。足取りが軽い。いや、軽すぎる。まるで体が羽になったようだ。
島での生活で、俺の身体能力は常軌を逸するレベルにまで達していた。少し力を入れて地面を蹴るだけで、数メートル先まで跳躍してしまう。
すれ違う旅人たちが驚いたように俺を見ていた。俺は慌てて力を抑え、普通に歩くことを意識した。それでも歩く速度は早馬に匹敵するほどだった。
数日歩き続けた頃だった。道の先で、数人の男たちが一台の馬車を取り囲んでいるのが見えた。野盗だ。馬車のそばでは、商人とその護衛らしき男が剣を抜いて対峙していたが、多勢に無勢で追い詰められている。
「荷物と金を全部置いていきな!そうすりゃ命だけは助けてやる!」
野盗のリーダーらしき男が下品な笑みを浮かべて言う。商人は顔を真っ青にして震えていた。
昔の俺ならどうしただろうか。きっと見て見ぬふりをしたかもしれない。関わって死ぬのはごめんだからだ。でも今の俺は違う。ヒルデを守ると誓ったあの日から、俺は変わったんだ。困っている人を見過ごすことはできない。俺はゆっくりと野盗たちに近づいていった。
「ん?なんだてめぇは」
野盗の一人が俺に気づいた。他の野盗たちも一斉に俺に注目する。リーダーの男が俺を値踏みするように見た。
「ただの旅人か。悪い時に来ちまったな。こいつも身ぐるみ剥いでやれ!」
男の命令で、二人の野盗がナイフを構えて俺に襲いかかってきた。俺はため息をついた。面倒だ、本当に。
俺は剣を抜かなかった。鞘に収めたままだ。向かってくる野盗の腕を掴む。そして、軽くひねり上げる。
ゴキッ。
鈍い音がして、野盗が悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ!腕が!」
もう一人の野盗が驚いて一瞬動きを止める。俺はその隙を逃さなかった。懐に飛び込み、鳩尾に軽く拳を叩き込む。野盗は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
全てが一瞬の出来事だった。残りの野盗たちも商人も、何が起きたのか理解できていないようだった。リーダーの男が我に返り、顔を真っ赤にして叫んだ。
「な……なにしやがる!殺せ!そいつを殺せ!」
残りの野盗たちが一斉に襲いかかってくる。俺は鞘に収めた剣を振るった。剣の柄が、野盗たちの顔面や腹部に次々と叩き込まれる。一人、また一人と地面に倒れていく。彼らは俺の姿を捉えることすらできていないようだった。あまりにもレベルが違いすぎる。哀れにさえ思えてきた。
最後に残ったリーダーの男は、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「ひ……ひぃ……!ば……化け物……」
俺は男の前に立ち、静かに見下ろした。
「二度とこんなことをするな。分かったらさっさと失せろ」
男は涙と鼻水を垂らしながら何度も頷き、仲間たちを引きずるようにして逃げていった。
静寂が戻る。俺は鞘の汚れを布で拭った。商人が恐る恐る俺に近づいてきた。
「あ……あの……ありがとうございます!命の恩人でございます!」
彼は深々と頭を下げた。商人はマルコと名乗った。彼は俺の強さに心底驚嘆しているようだった。
「あなた様はいったい何者ですかな?これほどの腕利きはA級冒険者でもそうはいませんぞ!」
俺は曖昧に笑って誤魔化した。
「ただの旅人ですよ」
俺は自分の力が、この世界の基準から大きく外れていることをはっきりと自覚した。島での二年間は、俺を人間ではない何か別の生き物に変えてしまったのかもしれない。
マルコは何度も礼を言い、俺に多額の報酬を渡そうとしたが、俺はそれを断った。ただ困っている人を見過ごせなかっただけだ。金が欲しくて助けたわけじゃない。
マルコは俺を王都まで自分の馬車に乗せてくれると申し出た。歩くより早い。俺はその申し出を受けることにした。
馬車に揺られながら、俺はヒルデのことだけを考えていた。彼女は無事だろうか。元気にしているだろうか。ちゃんと王都にたどり着けたのだろうか。不安は尽きない。でも信じている。彼女は強い。きっと生きているはずだ。
再会したらなんて言おうか。「ただいま」か。それとも「迎えに来たぞ」か。色々な言葉が頭に浮かんで消える。どんな顔をして彼女に会えばいいんだろう。一年という時間はあまりにも長い。俺の顔を忘れていないだろうか。
そんな馬鹿なことを考えながら、俺は近づいてくる王都の城壁を眺めていた。もうすぐだ。もうすぐヒルデに会える。その時の俺は、希望に満ち溢れていた。
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