ストーカーだと思って通報したら運命の人でした⁉︎

ikki

プロローグ 運命

――運命の人には、十九歳のときにすれ違っているらしい。


 そんな話を聞いたことがある。

 友人が結婚式のスピーチで、感動的に語っていた言葉だった。新郎新婦は高校時代の同級生で、実は三年生のときに図書館で本を取り合ったことがあったという。その時はお互い気にも留めなかったのに、十年後、再会して恋に落ちた。まさに運命だと、会場中が歓喜していた。

 

 けれど私は、その十九をとうに過ぎてしまった。現在二十八歳、独身でアラサーに突入してしまった今、あの言葉の重みを思い知る。周りの友人は次々と結婚していき、私だけが取り残されていくような焦燥感が胸を締め付ける。

 

 今までの出会いの中に、その人はいたのだろうか。あるいはまだ気づいていないだけなのか……。もしかしたら、すでに遠くへ行ってしまった後なのかもしれない。


 もし本当に運命の人と出会っているのなら、私はいったい誰とどこで、すれ違ったんだろう。

 電車の中で隣に座った人? 仕事場の上司?後輩?雨の夜に傘を貸してくれた人? カフェで席を譲ってくれた人?道を尋ねてきた旅行者?学生時代の同級生?

 それとも、名前も顔も知らないまま通り過ぎた、どこかの誰か?


 考えれば考えるほど、答えは遠のいていく。まるで霧の中を手探りで歩いているようだ。運命なんて、所詮はロマンチックな幻想に過ぎないのかもしれない。


 その夜――私、望月 円(もちずき まどか)は確かに"運命"と再びすれ違った。


 いや、すれ違ったというより、正面衝突したと言うべきかもしれない。


 残業を終えて、いつもの道を歩いていた。十月の夜風が頬に冷たく、コートの襟を立てる。金曜日の夜だというのに、疲労困憊で飲みに行く気力もない。早く家に帰って温かいお風呂に入りたい。そんなことばかり考えていた。

 

 コンビニの明かりを背に、アパートへと続く住宅街へ入った瞬間だった。


 背後から、足音が響いてくる。


 街灯に照らされた歩道、会社帰りの人影はまばら。誰かが歩いていてもおかしくない時間帯だ。この道は駅から住宅街への抜け道として、よく使われている。気にしなければいいのに、なぜか意識してしまう。最近ニュースで物騒な事件を見たせいかもしれない。


 なのに、なぜだろう。こちらの歩調に合わせるように、一定の間隔でついてくる。


 私が速く歩けば、向こうも速くなる。

試しにゆっくり歩いてみると、向こうもペースを落とす。

偶然じゃない。これは明らかに――意図的だ。


 心臓が耳の奥でどくどくと鳴る。喉が乾いて、唾を飲み込むことすら苦しい。

呼吸は浅く、肺が空気を拒むように痛む。背中を冷たい汗が流れ、服が肌に貼りついた。

握りしめたバッグの持ち手が、湿った手のひらで滑りそうになる。


 ――怖い。怖い……!


 通りの先には誰もいない。

街灯の灯りはまばらで、オレンジ色の光が途切れるたび、世界が闇に沈む。

背後から聞こえる靴音が、アスファルトを叩くたびに胸を突き上げた。

リズムは完璧に私と同じ。まるで、私の動きを鏡のようになぞっている。


 駆け出したい衝動を、喉の奥で押し殺す。

落ち着かないと、走ったら終わりだ――そう言い聞かせながら、私は歩幅を少しだけ広げた。

だが、その瞬間。

カツン、と後ろの足音も速まる。


 距離は縮まらない。けれど、離れもしない。

まるで狩りを楽しむ猫が、怯えたネズミをもてあそんでいるように。

足音の主は、確実に私を“遊んで”いる。


 もうダメだ、と思った瞬間――何かが、ぷつりと切れた。


「……っ!」


 足が、勝手に止まった。

恐怖と本能がせめぎ合う中で、私は振り返り、肺の奥から絞り出すように叫んだ。


「キャアアアア! ストーカー!! 誰か、助けて――!!」


  冬の夜空に、私の悲鳴が突き刺さる。息が白く弾け、凍える空気が喉を切り裂くように冷たい。無数の住宅が沈黙していた暗がりの中で、いくつかの窓にぱっと明かりが灯る。

カーテンの隙間から、驚いた顔が覗いた。犬が吠える声も聞こえる。


 そして街灯の光が、その「影」を照らし出した。現れたのは、黒いコートに身を包んだひとりの男性だった。手には小さな紙袋を持っている。その瞳は、獣のようなものではなく、むしろ戸惑いと困惑に満ちていた。恐怖に歪んでいた私の視界に、その表情がスローモーションのように映り込む。


 私が勝手に恐怖を膨らませていたのか、それとも――。

 世界の音が急に消え、胸の鼓動だけがやけに大きく響く。


 あなたは、運命を信じますか?

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