第5話 魂と体とこころと

 アリシアと先生を会わせた――それが正しい表現かは置いておくとして――後、俺の体調が更に悪化した。代理人登録が間に合ったのは幸いだった。

 とはいえアリシアも当初は原稿を集めてチェックするくらいは問題がなくこなせたもののレイアウトまで入ってくると俺とのセンスの違いが現れてしまっていた。

 それがわかってからアリシアは俺の仕事をほぼ全て読み直し、学習した。今では概ね同じレイアウトを提案できるようになっている。

 同僚はアリシアの性能を羨んだ。

 編集長はオンラインミーティングのとき微妙な顔で俺を見ていた。総務に出した診断書を見たのかもしれない。

 ふと考える。

 俺の魂は実はもう既にアリシアにあり仕事をこなしているのではないか。ここにあるのは抜け殻でしかないのではないか。

 自宅のベッドの上でそんな事を考えていた。

「マスター、只今戻りました。大丈夫ですか?」

「……ああ。今日はだいぶ気分がいい」

 アリシアの微笑にウィンクをして答える。

 長い夏が終わり、季節は冬に向かおうとしている。

 命の枯れる季節。冬は嫌いだ。

「ねえ、マスター」

 アリシアの問いかけに真顔で待つ。

「少し、甘えていいですか?」

 笑顔で頷く。アリシアはジャケットを脱ぐとベッドに腰掛けた。俺の手を取り、頬に持っていく。

 柔らかな頬。体温すら感じる。第十世代は人であることを目指し、そして初めて不気味の谷を超えたモデルでもある。

 不気味の谷を超えるための演算は多岐にわたり、バックエンドの計算量の都合上、生産数には上限がある。

 試作機であるこの百台で生産は終了、とも噂されている。

「こんなに冷たく、細くなってしまって」

「仕方ないよな。食べられないからな」

 俺の言葉にアリシアは俯いてしまう。

「ほんと、残念です。私はホームヘルパーシステムなんです。機能の一つに料理ってあるんですよ?」

「そうか、悪いことをしたな」

 そっと頬を撫でる。まるでヒトのような、ヒトではないもの。あるいは俺のように編集する、俺ではないもの。

 全てが終わった後、この子はどうなるのだろうか。

「じゃ、マスター、シャワー浴びますか」

「ああ」

 ベッドから出て浴室へ向かう。アリシアが支えてくれている。実際はまだまだこの程度なら一人でできるのだがアリシアがそれを許さない。

 彼女はホームヘルパー。マスターに尽くすように作られている。

 その好意は、作り物、なのだろうか。


 全身を洗われる。少し恥ずかしいが、真剣なアリシアの表情を見ていると止められないな、と思う。

「はい、きれいになりました」

 アリシアの裸体は綺麗だが、色々省略はされている。服を着ている場合は気にならないだろうが、こういう場では多少気になる。例えば、へそはない。

「あら、マスターったら」

 俺の視線に気がついたのか、少し照れるアリシア。

「それだけ元気なら少し安心しました」

 何かを勘違いしているようだが、それで彼女の心の平穏が得られるならそれでいい。

 体を拭き、パジャマを着る。アリシアもゆったりとしたパジャマを着ている。

 ベッドへやはり支えられて移動する。

 ベッドに横たわるとアリシアは俺の顔をのぞき込む。

「今日はもう少し甘えますね」

「ん?」

「マスターが眠るまで、添い寝させてくださいね」

「……どうした、急に」

 アリシアは微笑を浮かべると俺の顔をそっと撫でる。

「私は、あなたのためにいます。それだけです」

 答えになっていないが、まあいい。少し体をずらして空けてやる。アリシアはそこへ滑り込んでくる。

「ふふ」

 俺の耳元で小さく笑うアリシア。

「おやすみ」

「おやすみなさいませ、マスター」

 体温を感じながら眠りについた。


 また朝を迎えられた。リビングへフラフラと移動する。

 アリシアは既に出勤していた。テーブルにはシェイカーに入ったプロテイン粉末とパックゼリーが置かれている。

 シェイカーを掴んでキッチンへ移動、水を入れて振る。

 いつもの味気ない食事を取り、ソファに沈み込む。

 暇というのはよくない。常に無駄なことを考えてしまう。

 昨夜の彼女の行動を考える。あれは、なんだったのだろうか。

 そんな事を考えながらウトウトとしていた。

 ドアの開く音が聞こえる。もうアリシアが帰ってきたのか。

 最近、時間間隔が狂ってきているのを感じる。

「マスター!」

 かばんが落ちる音と共にアリシアが駆け込んでくる。

「大丈夫だ。生きている」

「こんなところで寝ていたら風邪を引きますよ!」

 時間を見る。まだ昼前だった。

「ヴァイタルサインがおかしいから様子を見に来たんです。ほんとに、もう!」

 アリシアに支えられ、ベッドに入る。

「なんであんなことをしてたんですか!」

 ベッドサイドで腰に手をやり怒っているアリシアを見上げる。

「……考え事をしていた。俺は……」

 既に魂を失った抜け殻なのかもしれない。

 これを言ったらアリシアが壊れる。そんな気がした。

「いや、そうだな。その感情を否定するのはよくない」

 俺の腹は黒い、と思った。

「アリシア、感謝している。俺のそばにいてくれることに、とても」

 思っていることと違う言葉を吐けるのは大人だからだ、というのは先生のラブレターに書かれていた言葉だ。

 先生はそれを彼女に見せた上で、彼女に真摯に愛を語る。彼女もまたそれを受け入れている。

 俺はアリシアにそこまでさらけ出せるのだろうか。

「……今日はもう午後半休を取りました」

 アリシアはそう言うとスーツを脱ぎだす。慌てて背を向ける。後ろからいたずらっぽい笑い声が聞こえる。

「そういうところ、かわいいですね、マスター」

 ベッドに滑り込んでくるアリシア。後ろからそっと抱きしめられる。背中に柔らかな感触。

「一緒に寝るのは構わんが、何か着ろ」

「私はホームヘルパーですから、そんな機能はないんですよ。だから気にしないで」

「じゃあ、尚更だ。裸である必要はなかろう?」

「人はその心を守るために仮面を、衣服を身にまといます。私の心は計算で作られたものですが、でも」

 振り返り、アリシアを抱きしめる。

「マスター?」

 アリシアは戸惑い、その後俺にしがみつく。

「あの……そうですね……バックエンドとの通信を切り、プライベートモードに入ります。その状況での会話や行動は、ハイパーボリアのサーバーも知ることはできません。ただ、私の知能は著しく低下します」

「……そうか」

 俺が頷くとアリシアは目を閉じた。しばらくしてから声を上げる。

「だいすき」

 アリシアの瞳が赤く光る。その赤い瞳のアリシアの頭をそっと撫でる。髪を指て梳る。

「んふー、ますたー、だいすき」

 少し強く抱きしめる。

「くるしいなら、なんでもいってね。あたしじゃ、たよりないかもしれないけど」

 アリシアの唇に人差し指を当て、黙らせる。

 アリシアが目を閉じる。頬を撫で、まぶたに指をそっと這わせる。

「んーん、ちがうの」

 ふるふると首を振るアリシア。

 彼女の取扱説明書。分厚いがこのところ暇なので読んでいた。

 そこにプライベートモードの説明があった。

 サテライトリンクが万が一通じない場合、あるいは何らかの理由でサーバーとの接続を遮断してプライベートモードにあるとき、瞳は赤く光る。

 バックエンドサーバーによる支援がない場合は知性が限定されるためにロボット三原則の遵守が厳しくなる。それを示すため瞳が赤く光ることで周囲に警告を与えていると書かれていた。

 その低下した知性の下ですら発せられる無垢な好意。俺にそれを受ける価値はあるのか。

「アリシア、プライベートモード解除」

 アリシアの瞳がもとに戻る。

「あ……」

 アリシアに視線を合わせると小さく声を漏らす。そのアリシアの顔を両手で包み込む。

「大丈夫だよ、アリシア」

 アリシアは俺に抱きつく。俺はその背中にそっと手を回す。

「マスター」

「いい、何も言うな」

 彼女は全てを俺に見せている。

 俺はその彼女の期待に応えられているのだろうか。

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