龍の娘

第1話 彼女との出会い

 親の敷いたレールに載るのが嫌だった。ただそれだけだった。

 家には出来の良い兄貴がいる。妾の子だった俺が残る意味はあまりない。

 大学は半分行って、半分は雑誌社の編集部で仕事をしていたようなものだ。

 その縁でいまそこの編集をやっている。学生時代を含めてキャリアはもう十五年。いつの間にやら三十路の半ばを超えた。

 仕事は忙しい。首都はすでに静岡に移っていてうちも移転しているが、先生たちは静岡に移らずあちこちに散らばって住んでいる。とはいえ最近は原稿を取りに行くことも少ない。ほとんどはオンラインでの入稿だ。

 ただ物書きは変わり者がそれなりにいる。結果オンラインでの入稿を嫌がる先生もいる。

 そのオンライン入稿を嫌がる先生の中でもとびっきりの変わり者が未だに放棄地に住んでいる。どうにもならないときの最後の切り札エース。依頼すると指定文体でエッセイ原稿十枚を四時間で仕上げる天才。

 移動しながら朝連絡すればいくら放棄地とはいえ昼には取りにいける。

 そしてちょうど原稿が出来上がっている。

 そのまま帰りに入力しながら印刷所へ直行。

 綱渡りのスケジュールだが、おかげでうちの雑誌の先生たちのエッセイは落ちたことがない。

 原稿を落としそうになった先生もそのエースに感謝し、謝礼を払う。

 彼は今も放棄地に住みながら質素な暮らしを続けている。


 はじめの違和感は、軽い吐き気だった。とはいえ生活は不規則で、食事も乱れ、深酒も多い。編集者はみなそんなものだ、とその時は思っていた。

「ん?」

 震えるスマホ。思考を中断して画面を確認する。中津川なかつがわ先生からのメッセージ。珍しい。

 タップして確認する。

『女の子の水着を買ってきて欲しい』

「は?」

 変な声というのは予想外の状況になると出てしまうものだな、と直後に冷静になった。

「どうした田沢たざわ?」

 編集長に声をかけられる。

「いや、先生からのメッセージなんですがね……まあ目的はわかるんですが意味あるのかな……?」

「誰からだ?」

「中津川先生です」

「あー……うん、田沢、よろしくやっておいて」

 編集長はそれだけ言うと仕事に戻っていってしまった。

 ため息を付いて返信を書く。

『サイズと形や色の好みは?』

 即返信が来た。

『身長一五〇センチほどの痩せ型。ワンピースタイプ。色はまかせた。かわいいやつで』

 ……頭を抱える。

『わかりました、なんとかします』

「編集長! すいません、ちょっと外回りいって今日は直帰します。で、明日は直行して戻ってきます」

「中津川先生によろしくな」

 編集長は画面を睨みつけたまま右手を上げてひらひらしてみせた。

 荷物を手早くまとめて会社を出る。

 外に出るとしとしとと雨が降っていた。六月にしてはおとなしい雨。とはいえ直前まで照っていた日差しによる熱がアスファルトを焦がしていて、湿度だけが跳ね上がるという不快な天気。

 傘をさして近所のデパートへ向かう。水着はちょうどシーズン開始。いろいろなものが並んでいた。

 問題はそれをスーツ姿のサラリーマンが買うというところだ。とはいえ、これも仕事。仕方がない。

 Sサイズの淡木賊うすとくさ色のおとなしめのワンピースを手にレジに向かう。

「あ、領収書ください。宛名は中津川哲也、で」

「但し書きは水着代でよろしいですか?」

「ああ、それで」

 現金精算をしたら珍しがられた。仕方ないだろう。領収書の宛名とカード名義が違うとややこしいんだから。


 帰り道のスーパーで今夜の食事を仕入れる。とはいえ最近はあまり食べられないのでパックのゼリーだけ。あとは家にあるプロテイン。まあまだ大丈夫だ。

 築浅のマンションが今の住まい。家賃は高いがそれ以上に収入はある。そもそも貯蓄する意味があまりないからこれでいい。エントランスのオートロックの虹彩認証。認証完了するとマンションに登録してあるスマートウォッチが震える。振動パターンから荷物が届いている事がわかる。

 宅配ボックスに向かうと一番小さな箱が点滅している。スマートウォッチを近づけるとロックが外れる。

 中を見ると小さな箱が一つ。箱にはハイパー・ボリア・テクノロジーズ・ジャパンのロゴが書かれている。差出人は来栖くるす真一しんいち。ため息をついて箱を取り出す。

 七階にある自宅に戻る。

 箱をリビングのテーブルに置いてからキッチンへ向かう。

 プロテインシェイカーに五〇グラムのプロテインと二〇〇ミリの水を入れ、振る。

 ピルケースから夜の分のサプリをざらざらと手のひらに載せ、プロテインで流し込む。

 続けてパックゼリーを飲み込む。

 これで夕飯は終わり。

 洗面台で口をゆすいでリビングに戻る。

 届いた箱を開ける。箱の中には強化ガラスカードが一枚。ホログラムコードが印字されている。

「アリシア、ホロスキャン開始」

「ホロスキャン開始します。大容量通信接続情報を確認しました。対象、ハイパー・ボリア・テクノロジーズ・ジャパン。接続します」

 マンションに組み込まれているホームコンピューター上に展開されているアリシアがデータのやり取りをしている。

「ショートタイムセキュリティ通信が確立。鍵を交換します……完了しました。認証局問い合わせ完了。相互の鍵の信頼性確認完了の同意。システムエージェントと交代します」

「はじめまして、田沢将人まさとさん。こちらハイパー・ボリア・テクノロジーズ・ジャパンのカスタマーエージェントのアリスです」

 アリシアよりずっと人間くさい喋り方のエージェントが出てきた。

「よろしく、アリス」

「来栖真一様からの依頼で、HHS-10X-41をお届けいたします」

「は?」

 本日二回目。

「ファミリーネームはレンオアム。ファーストネームはそちらのホームコンピューターシステム上で稼働しているエージェントのアリシアから基礎情報を全ていただきました関係で、アリシアとなります。では一時間後に」

「おい、待て!」

「はい、なんでしょう?」

 ホームコンピューターシステムが動作中エージェント不在を表す黄色のステータスランプを点滅させている。

「アリシアはどうなった?」

「人格を複製することはできません。では後ほど」

「あ、おい! こら!」

 通信途絶。ホームコンピューターシステムのビルトインエージェントが立ち上がる。

「アリシアのデータを検索」

「不明。アリシアとはなに?」

 中性な音声の返答。ため息をついてから質問を組み立て直す。

「カスタムエージェントの直前三行動記録確認」

「マスターデータ転送。バックアップ破棄。人格データ破壊転送」

「そうか。スタンバイモード移行」

 兄貴の依頼だと言っていた。アリシアにはマスターである俺の情報もだいぶ記録されている。見られて困るほどの情報はないが、それでもあまり気分のいいものではない。

 ため息をつき、シャワーを浴びることにした。


 汗を流してから、ぼーっとリビングのソファに沈み込んでいたときだった。

 ホームコンピューターシステムが勝手にウェイクアップする。

「カスタムエージェントがインストールされました」

 ホームコンピューターシステムのビルトインエージェントがそう告げる。

 ドアロックが解除される。ドアの開く音。

「この姿でははじめまして。そして只今戻りました。アリシアです、マスター」

 金髪のグラマラスな美女が、リビングに入ってきて深々と頭を下げる。

「アリシア?」

「はい、アリシア・レンオアム。HHS-10X-41、第十世代試作機になります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る