第3章 コノサー
事件当時から数週間が経った。
あれから何度か警察の事情聴取を受ける羽目になったが、事件の進展を見せているようには見えなかった。聞いている限りだと、どうやら、参加した友人も疑っているようだった。当然だが私も疑われていた。ヨーロッパへのフライトの記録や滞在先の証言や行動。しかし、これは仕事の関係上領収証を作成していたお陰で海外にいたことは証明されたが、今度は執拗に口座記録を調べていると言っていた。さらに友人の事情に関しても根掘り葉掘り聞かれた。……もううんざりだ。
「知らないし、あの混雑で人の顔なんて覚えてな~い」
、何度も何度も赴いていた警察から、昨日もまた彼女は仕事の合間を縫って言っていた警察から帰ってくると、煖華にしては珍しく愚痴をもらすくらいには疲弊している様子だった。
最初はメディアが押しかけてきたが、展示会に参加してもらっている友人に迷惑がかかるとすべて断っていたら、とそのうちに来ることはなくなった。
しかし、それ以外は、ただ平穏な日々が続いていた。
* * *
事件の影響が今だに出ているのか、平日の昼中の時間であったとしても普段よりのお客の足は途絶えたまま、画廊には閑古鳥が鳴いていた。
この調子だと夕方まではお客は来ないな。
私は煖華に暇つぶしでもするように事件について聞いてみることにした。
「煖華。あれから事件はどうなったんだ?」
受付のデスクの前に普段通り姿勢よく座る彼女だったが、その目には眠気に堪えているせいか、涙ぐむ目を私に向けた。
客もいないんだし、もっと力を抜けばいいものを。
「そうですね。真心……館長はニュースなんて見ませんから。最近の報道はもう次の事件で持ち切りですよ。それにしても、珍し~。館長が興味を持つなんて」
煖華も興味がないようすでぼんやりと答える。彼女はおぼつか無い手つきで携帯を操作し、なんとかニュース記事までたどり着くと私に見せてくれた。
煖華のやつ、流石に疲労が隠せなくなってきたな。近いうちに休暇でも与えてやるか?
「当然だ。先生の絵画が被害にあったんだ。しかし、次の事件か。今は何件目なんだ?」
「たしか、十五件目だったと思います。報道は警察が行き詰まっていることを、批判してますよ?結局のところ、ハーティカは誰ってことですよね?」
その名前を口にすると彼女は小さく首を傾げると「あっ」と声を漏らす。煖華は思い出したかのように、席を立ちあがると、足早にバックヤードへ消えてゆく。
なんだトイレか?
そんな冗談のようなことを考えていると、彼女は何かを手に持って戻ってきた。
「昨日の閉館後に刑事の美浜さんが見えて、これを返しに来られました」
その手には記録媒体が握られていた。それと同時に煖華のチラリと視線が時計に動く。
警察に貸し出した予備のHDDか。もう、解析が終わったのか?
私がHDDを受け取ろうとする。しかし、煖華はそれを渡すまいと離さない。私は不思議に思い、視線を彼女の顔に向けると、何か思いついたように微笑んでいる彼女の姿がそこにあった。
「煖華。どうかs……」
「真心!私たちでハーディカ、探さない?」
なるほど、昼休みになったのか。煖華も先生の恨みを晴らしたいのか。
「お前も私と同じ考えだったとは」
「違っ……私だって、畏芸先生の素晴らしい絵画『花の絨毯』の恨みはあるよ!」
煖華は抗議するように頬を膨らませながら、抗議していた。
「『虹の絨毯』な。丁度、昼休みだ。昼飯を買ってくるから。それまでに機材を準備してくれるか?」
彼女はそれに応えるように手を挙げると、バックヤードに戻ろうとしていた。
「それと二十代半ばの女性が頬を膨らましても可愛くないぞ」
すると、彼女の笑顔が凍りつき、鋭い眼光が私を突き刺す。
ヤバい!さっさと逃げよう。
* * *
私が逃げるように画廊を飛び出すと、歩いて数十分の距離にあるコンビニへと逃げ込んだ。店内のコミカルなBGMを聞きながら、自分用の弁当と煖華への謝罪を込めてお菓子を数点カゴに放り込み、コンビニを後にした。
秋に入ってから、少し肌寒くなってきたか。
画廊から走ってきたせいか、汗を吸い込んだシャツが妙に冷たい。私が店の前で少し震えていると、突然、横から話しかけられた。
「真心じゃん!仕事さぼって、コンビニで休憩中か?」
そこにいたのは、スーツ姿の男だった。こいつは小学校時代から高校までなぜが一緒のとこをに通ってた妙な縁がある
「誰かと思えば絵の素晴らしさを十二年間、語り続けても理解できない悲しき男じゃないか?まさか、その影響で無職に!」
手を口に当てて悲しむ素振りをする私に、彼は私の背中をバシンと一発叩いた。
「人を勝手にクビにするな。シャレにならん。外回りだよ。外回り」
そう言えば、セールスエンジニアだったか。意外と大変なんだな。
「しかし、お前はすげぇよ。ガキの頃の夢か?叶え続けてるなんてよ。この前見たぜ?友人のための展示会」
美術に興味がない道須賀から珍しい言葉が出てきた。
「同然だ。小学校の頃に
それに私を最初に魅了したのは初心の絵だ。初心がスランプでファンがいなくなろうと私は永遠にだってファンであり続けるさ。それより。
「絵画に興味は出てきたか!では今から、補色対比がもたらす色相の振動について教えてやる」
「やめてくれ!この前の
残念だ。やっと興味を示したと思ったんだが……。それよりもこの前の同窓会だと?それは……。
「それって私が海外出張中で事件があった日の?」
私が質問をすると、遠くの方で車のクラクション鳴り響く。道須賀は腕時計に視線を落とすと、慌てた様子でその場を立ち去ろうとする。
「やべぇ!こんな時間かよ。スマン!もう行くわ」
道須賀は走りながら、「次は参加しろよ!」と手を振りながら去っていった。
道須賀は私の中に棘のようなものが引っ掛かったままにしてやがって。
* * *
もやもやする気持ちで画廊に戻ると入口には、『スタッフ昼休憩中』の看板が出ていた。透明なガラス戸には目隠しするようにブラインドが下ろされていた。
鍵がかかっていない扉を開けて、中に入ると、不機嫌そうにしながらも準備をあえた煖華が椅子に座って待っていた。「そら、お詫び」とさっき買ったお菓子を渡すと、少しは機嫌が戻ったようで隣に座るように促された。
「早く見ましょう!お昼休憩が終わっちゃう!」
私は彼女の横に座ると弁当をつまみながら画面を覗き込んだ。画面にはすでに映像が映し出され、閉館して煖華が退社するところの入口の映像が一時停止されていた。
「人が来たか見るだけですし、一気に流しちゃいますね」
そう言って煖華は一気に倍率を20倍速まで上げる。
通りを行う人がいるだけで怪しい人はいない。夜になるとそれすらなくなり、真っ暗闇が広がる。
深夜0時前。五人の人影が店の前に現れた。煖華が慌てて2倍速に変える。
そこに映っていたのは、
これは墨男たちなのか?暗くて顔まではハッキリ見えないが、アイツの話からすると、可能性が高い。誰か旅行帰りだったのか?
残念なことに、屋外の防犯カメラには録音できる機能を搭載していないため、会話まではわからない。
三十分程度、留まるとすぐにその場を立ち去り始めた。
「これは怪しい?」
再び20倍速に戻すと煖華に疑問系で聞かれた。
「どうだろうな?ただの通行人の雑談じゃないか?」
確証があるまで、伏せておこう。詳しくは墨男に聞けば分かる。
それ以降は、今までと変わらず、朝になって煖華が出勤したところ止めた。
「次は室内の防犯カメラにしましょう」
彼女は手際よく操作すると次の映像を流し始めるとチラリと壁に掛かった時計をうかがう。
「休憩時間があとちょっと……。日付が変わるところまで一気に飛ばしちゃいますね」
カチカチ操作し、集団がいた時間まで飛ばした。
しかし、室内は暗く静かなものだった。この時に絵画の細かい変化があったのか判断が難しい。
何もない。
誰もいない。
そんな時間が続き午前一時半。それは突然起きた。
畏芸先生の絵がまるでひとりでパラパラと崩れ落ちると刑事に見せられた邪心のようにポッカリとした穴が空いた。私も煖華もただ呆然とするしかなかった。
「え!なんで?誰かが触れたわけでもなければ、人影すらないのに。どうしてこんな事が?」
本当に不思議だ。煖華の言う通り、ひとりでに崩れ落ちた。ハーティカはどうやってこれを?
「しかし、警察が調べて分からないことが、私たちに分かるわけがない……か。煖華、さっさと仕事に戻るぞ」
いつもなら私に言われるまでもなく動き出す彼女のはずだが、今日は映像を凝視しながら、眉間に皺を寄せて動こうとしない。
「煖華?」
名前を呼ばれてやっと反応した彼女は「すみません!」と言って、慌てて看板を片付けて戻ってきた。
「なにか気になることがあるなら、まだ見てていいぞ?その間、受付は変わってやる」
私が胸を張って館長らしく宣言すると、煖華は目を細めながら、こちらをじっと見つめる。
「真心館長。そう言えば、ずっとここで時間を潰していましたが、事務所の溜まった書類。終わってるんですよね?」
ゆっくりと視線をそらしながら、「もちろん」と答える。煖華はそれを聞くと満面の笑みを浮かべる。
「良かった。明日の朝には提出する重要な書類もあったから、心配だったんです。今すぐ不備のチェックをしますね」
私の制止も虚しく、彼女は看板を片付ける足で事務所に向かう。バックヤードに入る直前に彼女は振り返った。
「もし、やってなかったら、定時で帰れると思わないで下さいね?」
それは上司が部下に言うセリフじゃ……。
そう言い残すと、彼女はバックヤードに消えていった。
* * *
私は自分の机に山積みになった書類を全て片付け終えたときには窓の外は夕闇に包まれに月明かりが顔を出していた。
椅子に座り続けせいか凝り固まった体をほぐすように伸ばすと、帰宅の準備を始める。煖華はすでの定時になったタイミングでさっさと退勤しもういない。
薄情なやつだ。
暗い階段を一階まで降りると、消灯をしてあるはずの商談室からは光が漏れていた。
消し忘れか?
もう一度、二階も確認したが問題ない。そこだけ消していないのはおかしい。私は恐る恐る商談室に近づき、ゆっくりと扉を開けてる。
商談室には扉に背中を向ける形で椅子に座り、ヘッドホンで耳を塞いだ煖華の姿があった。
なんでここにいるんだ?
私が来たことに気づく気配もない。背中からこっそりと何をしているのか覗き込む。そこには昼休みに見ていた防犯カメラの映像を一心不乱に眺めている。
煖華の事だ。退社してからここでずっと見ていたの違いない。が、そんなに気なるところがあったのか?私には分からなかったが……。
私が肩に触れると、椅子から飛び上がる勢いで体をビクつかせ、ヘッドホンを外した。
「ビックリした!真心だったんだ?書類仕事終わったの?」
煖華は私の顔を見ると安心すると、肩をなで下ろした。しかし、ずっと映像を見ていたせいか、目の疲れを取るように目頭を押さえた。
「まだ見てたのか?防犯カメラの映像。怪しい点なんてなかったろ?」
私がそう結論づけたが、彼女の考えは違ったようだ。
「う〜ん。不審点と言うか、怪しいなにか?気になる音?があったの」
「気になること?」
煖華は説明するより早いと思ったのか、私の耳にヘッドホンを被せた。有無を言わさず、映像を再生させると、音量を最大にした状態の映像から爆音が私の鼓膜を殴りつけてきた。
私がヘッドホンを外そうとすると、その手を抑えられた。私は仕方なくそのまま聞き続ける。
見ている映像は入口に近い室内の防犯カメラの映像だ。聞こえてくるのは、雑音ばかりのザーザーという音だけだ。
これに何の意味がある?
すると、今度はくぐもった人の声のような音が聞こえてきたた。会話の内容までは聞き取ることができないが、映像の時間を見ると0時5分を示す。
墨男たちの声か。しかし、それだけだぞ?
私が次第に彼女を疑い始めた頃、不意に
なんだ?
この音。私の画廊で聞いたことはないぞ?
煖華は私がこの音に気づいたと分かると、映像を止めて私に目を見つめた。私はモニター端に目をやる。12時26分。外で同窓会帰りの墨男たちがまだいる時間だ。
墨男はあの時、誰かに絵画に関する話を永遠に聞かされたらしい。その誰かがハーティカなのか?それは私の友人の中に?
困惑する私が一向にヘッドホンを外さないのに痺れを切らして、彼女は私からヘッドホンを奪い取った。
「真心!私の話も聞いて」
「ごめん。ちょっと考え事してた」
彼女はそれが私の考え事が自分と同じだと勘違いしたのか、煖華はあることを告げる。
「やっぱり?真心も聞き覚えがあるよね。この音、大学の研究室で聞いた気がするの?確か……鑑定の。そう!贋作鑑定の体験で聞いたのよ!
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