ハロウィンゾンビの落とし物(2000文字)

柊野有@ひいらぎ

世界の終わりと始まり🌏

 涼しい風が渡り、秋の高い空には雲がひときれもない。

 校門内側にドーナツを半分にカットした形のゲートが築かれ、廊下には飾りとポスターが揺れていた。

 ハロウィン時期の学祭一日目の昼。



 ケンタはゾンビメイクで、昇降口の階段に足を投げ出し座り込んでいた。

 階段には大きな立て看板があり、陽射しを遮った。


 頬がやけに痒く、ぽりぽりと掻きながらつぶやいた。


「なんで、ワシがゾンビじゃ」


 皆が盛り上がり、お化け屋敷で演じるゾンビの配役で、暗がりで唸る羽目になった。
ひとり抜けても気づかないだろうと抜け出した。

 メイク係の女子は朝から張り切り、九人へ順にゾンビの姿を施していった。顔や身体にアクリル絵の具を散らし、血のりや炭の汚れ風シャドーを乗せた。


                 ◆◆◆


 ケンタは、ボロボロに食いちぎられ血のついた学ランで、校内を歩いた。通りすがりに気がついた者は、口々に「うわっ」と叫んで飛びすさった。


「チッ」


 ズボンのポケットには、止まったままの懐中時計が温まっていた。
一ヶ月前に去った父の形見だが、手放せずにいる。


 立て看板の裏に、風が吹き込んだ。
遠くの体育館からギターの音が届く。ゆっくりと泣いているような音だった。


 その音が頭の中にするりと入り込み、顔を上げた。


「……これ」



 ケンタは立ち上がった。
痒みも忘れ、音の方へ歩き出す。

 昇降口を抜け、渡り廊下を進む。


 音が近づいてくる。

 体育館の前では軽音部の女子が、B5サイズに雑にカットしたセットリストを配っていた。


「どうぞ、ライブの順番です! 今はマナが出てるよ。明日もあるし、コンテストもしとるけん、ご協力ください!」


 ケンタはゾンビメイクも気にしない女子に苦笑いして紙を受け取った。


「さみしいよってー、泣ーいててもー」


 体育館はスモークが焚かれ、苦い匂いが鼻先をかすめた。扉を抜けた途端、ギター音と大きな柔らかい声が、身体になだれ込んだ。


「何ももとへは、もう、もーどらないー」



 照明の当たるステージ真ん中に、腰までの茶髪のマナがいた。透き通る声。その音は、空気を震わせる。


「欲しいものは、いーつでも、とおいー雲のうえー」


 渡された紙切れには、
ボ・ガンボスの「夢の中」と、書いてあった。

 カラオケで、この曲は聞いたことがなかった。

 ケンタは壁にもたれ、立ち尽くした。音が柔らかく包み込む。


「この世のーむーこうへー連れてーいっておくれー、夢のなか……」


 観客の拍手が、波紋のように広がった。


 次に現れたのは、「たいやきグルーヴ」。

 ギター、ベース、ドラム。スリーピースで、女子ふたりが前に立った。

 
黒髪おかっぱに夏の制服姿のアオイがギターを構え、音合わせ。ハキハキと挨拶が響く。

 演奏は、ミッシェル・ガン・エレファントの
「世界の終わり」だった。


 轟音。


 アオイの口から出てきたのは、地の底から響くようなデスボイス。

「悪いのは全部ー君だと思ってたー、くるっているのはー」


 ケンタの身体は、気づけば動いていた。

 ゾンビのまま人の波に飛び込み、腕を振り足を踏み鳴らす。

 体育館の中に集まった生徒が皆、揺れていた。

 隣の女の子にぶつかり、それでも止まらなかった。

 汗でペイントが流れ落ちる。


 
音楽が、自分を壊していく。


 ライブの熱狂が終わり、ケンタは体育館を抜け出した。
廊下の空気は冷たく、世界は穏やかだった。

 通りかかった同じクラスのハナが声をかけてきた。



「世界の終わり演奏しとったね?」


「……ああ」


「見に行こ。たいやきグルーヴ良かったじゃろ」


 ハナは手を振り、体育館へ向かった。



「ワシらしゅうもない」


 ケンタはポケットに手を入れ、動きを止める。

 
ない。
父親の時計が、どこにもなかった。

 胸の奥がざわつく。

 叫びたい衝動を飲み込み、息を整えた。


「……おえん、戻らにゃ」

 ケンタは踵を返した。
熱気と残響の残る廊下を、もう一度歩き出す。



 次のバンドの演奏が広がる、体育館の楽屋裏。

 アオイがギターをしまいながら、小さく口ずさんでいた。次のバンドがフラワーカンパニーズの深夜高速を演奏している。胸の奥に、波を立てるような旋律だった。


「生きてーてー良かったー、そんな夜を探してるー」


 ケンタは、思わず口の中で小さくなぞるように歌った。



「……普通の声も出るんじゃな」

「びっくりしたあ。さっきのゾンビ」



 ケンタの眼が泳ぐ。

 アオイは会議用テーブルに置かれた懐中時計を、ケンタに見せてきた。



「探しとるん、これ?」


「ああ。親父の形見なんじゃ」


「……君、ゾンビの格好で、ぶち踊っとるし。生きてしもうとるがん?」


「演奏悪うなかった」

「お。ゾンビファン1号じゃ」

 手渡され、焦りの残滓がゆっくりと鎮まっていく。


「ほい、大事なんじゃろ。きっちりしまっとかんと」

「明日いっちゃん前で見るけん」

「ええね。ぶち踊って、歌うてよ。……ゾンビじゃのうて、生きて来んさいよ」



 もう死んだふりをする理由はどこにもなかった。

 明るい空。

 風がゾンビ仕様のボロボロの制服の裾を揺らす。


 止まった針の下で、時間が動き始めた。




 了

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ハロウィンゾンビの落とし物(2000文字) 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi

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