第13話 新鮮

 一夜明け、窓を揺らす風は穏やかで、家は静けさに包まれていた。

 眠気の名残をうがいで追い出し、まずは客用の寝室へ向かう。


 小さくノックして扉を開けると、リュティスと目が合った。

 側卓には冷晶盤フロストラと飲みかけの乳漿水にゅうしょうすい。足元の桶に張った湯はまだ暖かさを残している。


 ヴェリナは静かに眠っている。声はかけず、様子を確かめる。

 昨夜より呼吸は深く、顔色も良くなったようだ。

 脚の切創は、早期に薬を使ったこともあり、きれいに塞がっている。

 傷のあった辺りがまだ少し腫れているが、数日中にはそれも引くだろう。


 ヴェリナは小柄で幼い顔立ちをしている。

 てっきりリュティスやレティアと同年代なのかと思っていたが、聞くところによると今年二十一になるそうだ。

 一方、リュティスは十六、レティアは十三だという。リュティスは物腰からもう少し上かと思っていたので驚いた。


 ヴェリナは同世代の仲間は少なく、里ではどこか浮いた存在だったらしい。

 両親と三人で暮らしていた彼女が負ったのは、怪我の痛みだけではない。

 襲撃で両親を同時に失った心の穴は、計り知れぬほど深いだろう。


 リュティスに目で合図して、二人でそっと部屋から出る。


「夜のあいだ、変わりはなかったか」


「はい。うなされることもなくなり、食事も少しずつですが口をつけています」


「そうか。おまえもあまり無理はするなよ」


「先ほど母と交代したばかりなので、大丈夫です」


 短くうなずいたリュティスは、柔らかく笑った。


 台所へ回り、湯を沸かす。怪我をしているやつは他にもいる。

 澄命涵台クラリュタス・ヴィタリアを通した水は大きな温度変化をしづらくなる。

 冬場でも凍結しづらいのは便利だが、加熱する前に一度清澄環クラルムを通す。

 桶に湯を移して居間の隅に近づくと、布の中で丸まった白い塊が、ふいに小さく身じろぎをした。


 小獣は淡い金の目をうっすらと開く。鼻先が小さく鳴って、安堵の甘い吐息を漏らした。

 リュティスが包帯を変えてくれたようで、いまは出血もなく落ち着いている。

 

「元気そうだな」


 思わず口にすると、背から覗き込んだもう一つの金の瞳が細められた。


「はい。ちょっとお腹が空いているようですね。なにか食べられそうなものがあるでしょうか」


 歯の形を見るに、肉食だろうか。

 昨日火を通して保管しておいた靭蛮熊バルグベアの肉の切れ端を細かく刻んで与えてみる。

 

「食べていますね。可愛らしいです」


 小獣の様子を眺めていると、ゼディロとレティアが寝室から出てきた。

 ゼディロは新居に必要なものを店を回って集めるそうだ。

 庁の職員に手伝ってもらう約束をしているらしく、身支度だけ整えると足早に出ていった。

 レティアは小獣に興味津々で、リュティスといっしょに布の中を覗き込んでいる。


「レティアはよく眠れたか?」


「うん。お布団があったかくて、気持ちよかった」


「気に入ったか。うちのは水鳥の羽毛を使った高級品だ。二人とも、何か食べるか?」


「ううん。大丈夫」


「わたくしも大丈夫です。そういえば、昨日食べたパンは、甘みがあってとてもおいしかったです」


 リュティスとレティアが「おいしかったね」と言い合う。


霜大麦グラロパンか。地恵芋ガーヌや乳漿水を使って甘く柔らかくしてるらしいな。シンビルの料理が口に合ったのなら何よりだ」


「あの、よろしければ、お料理をさせてもらえませんか?」


「別にかまわないが……なら、あとでこの辺の店を案内してやる。食材と、台所で足りない道具も買うか。レティアも一緒に行くか?」


「うん。行きたい」


「なら、ミュナが起きたら出かけるか」



 ✣



 それからしばらく、掃除や道具の手入れをして過ごした。

 昼前、ヴェリナの介抱をミュナに任せて三人で外に出る。


「ヴェリナも明日には起きられそうだな。リュティスは当面どうするつもりなんだ」


「クィヴェラ族について調べたいです。それと、魔術の研鑽を。耀斐司ルディアとしての力を磨きます」


「そうか。クィヴェラ族については俺も少しあたってみる」


 家のある小さな丘を下ると、反対側の坂を登る。

 坂の先で、リュティスが感嘆の声をあげた。


「あの塔はなんでしょうか?」


「あれは時計塔だ。恒刻円環エヴェクロノって魔導具だな。魔力に応じて時間経過で青、赤、黄、黒、そしてまた青へと色が巡る、彩転晶ティライトっていう魔晶石を利用した時計だ」


「色の変わる間隔がそれぞれ違うのでしょうか?」


「そういうことだ。大きさや形で間隔が変わる特性を利用して調整しているらしい。例えば、外周は四季環といってその時の四季を示す。青なら麗季。赤なら陽季。黄なら律季。黒なら凛季だ。といっても、この辺りは凛季が長い。麗季の初めの頃は、体感では凛季みたいなもんだがな」


「どこの都市にもこのようなものがあるのですか?」


「でかい街には割とあると思うぞ」


 レティアは昨日も見ているはずだが、それでも目をキラキラさせている。


「他にも内側に石がいっぱいあるけど、何を示しているの?」


「内側の上段は日石だ。各季九十六日。四季環とあわせれば年三百八十四日の内訳がわかるわけだ。今だと、四季環が黄で日石が黄黒黄赤の並びだから、律季桂月十月二十二日だな」


「そうなんだ」


「で、下段にある時石が一日二十四時間の内訳を指し、隣の刻石が一時間を四分割して教えてくれる。今だと青黄青十二時黒刻四十五分ってわけだ」


「ちょっと難しいかも……」


「だよな。俺も最初は何言ってんだ?と思った覚えがある。実際、市民でそこまで時計を気にしてるやつなんて少ないはずだ。個人用の己刻円環ポルクロノってのもあるにはあるが、持ってるやつなんてほとんど見ないぞ」


 だが、聞く話によると時計は技術の発展に大いに役立っているらしい。

 説明を聞いたリュティスは、興味津々に時計塔を見上げている。


「時計を見たのは初めてか?」


「はい。淡い光が美しいですね」


「そういえば、家の倉庫にもあったはずだ。工房なんかで使う、備刻円環リサクロノってやつだったか。依頼主から礼でもらったものだが、今度見てみるか?」


「はい!ぜひお願いします!」


 坂を下り、南区の中心へ向かう。

 中央広場ほどの品揃えはないが、南区にも個人商店が多数ある。生活するには十分だ。


 街全体に流れる水路は市が管理しており、きれいに保たれている。

 店の並ぶ広場に入ると、昼すぎで賑わう飲食店からの肉や香草の焼ける匂いが鼻をくすぐる。

 レティアは匂いに釣られるように背伸びをして、屋台の鉄板や焼き串に目を丸くする。

 リュティスの視線もあちこち忙しい。大人びた娘だが、こういうところは年相応だ。


 すれ違う人の中にはリュティスたちの黒髪金瞳にぎょっとする者もいる。

 実際にクィヴェラ族と会ったことのあるやつなんていないだろう。

 だが、黒髪に金の瞳を見ても、珍しいとしか思わないはずだ。

 未だにクィヴェラ族を人類の敵だなんて考えているやつが、どれだけいることか。


 ともかく、まずは食材だ。律季の今は根菜が豊富だ。

 地恵芋ガーヌ橙蔔カロナ甘葱頭オネオー柔萵葉ルッサルもまだ手に入る。他に乾燥香草をいくつか見繕う。

 樽脚羊トゥノクルの肉と、リュティスたちの気に入っていた霜大麦グラロパンのほか、香蜜檎アルプルをつかった甘めのパンも手に入れた。

 あらかた食材を買い終え、雑貨店へ足を運ぶ。

 普段料理などしない俺の家には、調理具などろくなものがない。

 浅鍋から木べらまでこの機に一通り新調した。


 袋を提げ直しながら広場を抜けかけた時、見覚えのある背中が目に入る。

 肩までの髪を揺らした女が、店先で食材を物色している。

 街中での依頼で知り合った仲だが、そういえば料理が上手だった印象があるな。


「タリア。ちょっといいか」


「ルークじゃないか。しばらくぶりだね」


「今、忙しいか?よければ、こいつに料理を教えてやってくれないか」


 視線で促すと、リュティスが前に出た。タリアは首をかしげる。


「なんだい急に。ここらじゃ見かけない顔だね」


「里から出てきたばかりなんだ。この辺りの食材には不慣れでな。頼めないか?」


「ふうん、あんたが面倒見てるのかい?」


「ちょっと訳ありでな」


 タリアはリュティスとレティアに微笑みを向ける。


「わたしはタリア。嬢ちゃんたち、お名前は?」


「リュティスです」「レティアです」


 二人そろって会釈する。


「教えるのは構わないけど、タダとは言わないよ」


「材料はこっち持ちで、おまえんとこの分も一緒に作って持って帰るってのはどうだ?」


「それだけかい?そうだねえ……なら、近い内に凍棘鱒クリストフィスクでも取ってきてくれるなら手を打つよ」


「わかった。俺も食べたいと思っていたし、明日にでも狩りに行ってきてやるよ」


「よし、取引成立だね。子どもたちが帰ってくるまでの間だけだからね」


「ああ、頼む」


 交渉は手早く無駄がない。そのまま四人でまっすぐ家に向かう。

 家に着き荷物を置くと、俺は再度外へ出ることにする。


「俺は少し衛庁支部に顔を出してくる。タリア、すまんが後はよろしく頼む」


「任しときな。リュティスがおいしい料理つくって待っててくれるよ」


「はい。お気をつけていってらっしゃいませ」


 やる気に満ちた金の瞳に見送られながら、俺は用を片づけに街へ戻った。



 ✣ ✣ ✣



 衛庁支部に靭蛮熊バルグベアの報告書を出した後、近くの商店で酒を一本買う。

 次の目的地は裏通りだ。ひとけのない通りの奥にある店に入ると、いつもの甘ったるい香りが鼻をつく。


「……おや、【滅尽の巨狼フェンラトゥス】。ここ数日は大変だったみたいだねぇ」


「依頼の件、お前はどこまで知ってるんだ」


「特務局の戦隊長がクィヴェラ族の集落を襲おうと画策したとか。随分と熱心な迫害主義者だったって噂が、やたらと流れてるねぇ」


「意味深な言い方だな。意図的に噂が流されているのか?」


「捉え方次第さ。でも、まるで決まっていたかのような違和感はあるね」


 聞陰チャンダーは煙を細く吐き、目を細めた。


「実際に現場にいた【滅尽の巨狼フェンラトゥス】にはどう見えたんだい?」


「筋は通ってる。だが、情報を濁してでも戦業士アミストを使ってまで強行しようとしたことや、黒衣の男に関しては引っかかりが残る」


「行政庁特務局は衛務庁から弾かれた厄介者も多い。戦業士アミストなんて金さえ払えば黙って言うことを聞くと思ってたんじゃないかい?それで、黒衣の男ってのはなんだい?」


「そこまでは知らないのか。ギデオンだけは捉えて連れ帰ろうとしたんだが、森で魔物に襲われた隙を狙われてな。黒衣の男にギデオンを始末された」


「ふうん。なるほどねぇ……。もしかして、死体は燃えて無くなったりしたかい?」


「知っているのか?」


「所属まではわからない。行政庁か衛務庁、いずれかの配下だと思うけどねぇ」


 行政庁ならギデオンは捨て駒、衛務庁なら二大庁のいざこざが本線か。

 結局のところ、断定できる情報はない。

 その後、ネルセンについてや、エツィナの様子なども聞いたが、特に目立った情報はない。


「最後に、クィヴェラ族について知っている情報をくれ」


「それについては今、ちょっと動いていてね。クィヴェラ族なんて何百年も前の存在、これまで調べる機会もなかった。しかし、今回の件でちょっと思い当たったことがある。三日後にまた来な」


「わかった」


 あらかじめ虚幣フェイを分けておいた幣環体フェイオルと、買ってきた酒を置く。聞陰チャンダーは瓶を持ち上げ、口角を上げた。

 店を出ると、裏通りの空気は先ほどより冷たく感じた。


 時計塔の柔らかい光は黄赤黄十八時を告げている。

 家に戻れば、夕食ができているだろう。

 小獣もそろそろ動けるようになるかもしれない。


 胸の底で、小さく波紋が広がる。理由はまだ言葉にならない。

 だが、進む先に誤りがないことを、その鼓動が知らせてくれていた。

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