ルディア ~燦盟律を綰ねる幽誓環~

十日町拓郎

導かれた出会い

第1話 生業

 街路の石畳に茜が滲み、喧騒は風にほどけて流れていく。


 カレジナ王国の第二都市シンビル。


 国内東部、セムシア連邦との国境沿いで、外壁に守られた丘陵地。

 冷涼な風にさらされるこの街に来て、もう八年が過ぎた。


 任務を終えて街に戻った俺は、嗅ぎ慣れた石鹸屋の甘い匂いと獣澱紙ステルタの糊の匂いに肩の力が少し抜ける。

 衛庁舎えいちょうしゃの扉を引くと、軋む音とともにいくつかの視線がこちらへ向いた。


 庁舎はいつも通り活気に包まれていた。

 玄関脇の衛兵と目が合い、軽く会釈して奥の報告窓口へ進む。

 その途中、俺と同じ戦業士アミスト――討伐や護衛などの依頼を生業にする一人が、脇から声を飛ばしてきた。


「よう、ルーク!相変わらず怖ぇ面してんな!」


「マルコじゃないか。怪我はもういいのか? 歳だから、そのまま引退すんのかと思ったが」


「俺はまだ三十五だ! 六つしか違わねぇのにジジイ扱いすんじゃねえ!……っていうか、お前、山道沿いの賊の件だったんだろ? もう片付けてきたのか?」


「ああ。噂ほど大した奴らじゃなかった」


「ほんとかよ。タルビル山の銀豹団だろ? 手強いって噂だったが……」


「そんなもん、自分らで吹聴して箔をつけてるだけだろ。実際は寄せ集めの雑魚ばっかりで、腕も士気もからっきしだったぞ」


「マジかよ……。まあ、さすがの【滅尽の巨狼フェンラトゥス】様には敵わねえってことか」


「……勘弁してくれ。その大層な通り名、誰が考えてんだよ」


 通り名が付けば一流だ、なんて言うやつもいるが、俺はうっとうしく感じる。


「ははは!いいじゃねえか。似合ってるぜ!……さて、俺も少しは見習わねーと。依頼の話、詰めてくるわ」


 マルコは野太い声で笑いながら仲間の輪に戻っていった。

 苦笑いで見送った俺は報告窓口へ向き直り、空いていたカウンターに荷を下ろす。

 報告書に手を伸ばしたところで、受付の奥で明るい栗色の髪が揺れた。

 ほどなくして近づいてきたのは、衛務庁職員のアイリスだ。


「おかえりなさい、ルークさん。無事に終わったようですね」


「ああ。今から報告書を書く。何か用か?」


「できればルークさんにお願いしたい依頼があるんですが、後でもいいのでお時間いただけますか?」


「今でいいぞ。聞かせてくれ」


 俺の言葉にアイリスはうなずき、一枚の紙を取り出した。


「等級限定の指名依頼なんですが、少し困っていまして。六環級かんきゅう以上三名が条件です。内容は『魔物の討伐』ですが詳細は伏せられており、担当者が現地まで案内するそうです」


「なんだそりゃ?どこからの仕事だ?」


「発信元は行政長官です」


「行政長官?衛務長官の間違いじゃないのか?」


 行政庁からの依頼がないわけではないが、魔物の討伐というのは珍しいことだ。


「はい。支部長も確認を試みたそうですが、それで合っていると門前払いされたようで……これ見てください」


 アイリスの声がわずかに低くなる。

 彼女の手元の紙に目を落とす。


 ──報酬 四千万フェイ。


 思わず桁を数え直す。見間違いではない。

 贅沢をしなければ五、六年は遊んで暮らせる額。一度の討伐報酬としては破格だ。


「この依頼、ソドさんにも話したんですが……報酬額を見て、逆に身構えてしまったみたいで。断られてしまいました」


「あいつは金に困ってないしな。家族に変な心配かけたくもないんだろ」


 ソドは今年で三十九歳になる。

 このところは何かにつけて「来年には辞める」と口にし、仕事も絞って請けるようになっている。

 六環級の戦業士アミストとして遜色なく腕は確かだが、無茶をする年齢でもない。

 家族を抱えている立場なら、危険の匂いが濃い仕事は避けたい気持ちもわかる。


「……で、他にあてはあるのか?」


「アルヴィンさんたちが請けてくれています。もしルークさんが加わってくだされば、条件は満たせるんですが……どうですか?」


 アルヴィン――【灰彩の智刃グリザリベラ】と呼ばれる六環級戦業士アミスト

 嫌味なぐらい整った顔立ちは正直気に食わないが、腕も人柄も信用できる奴だ。

 俺との関係は良好だが、二十四歳ですでに六環級まで駆け上がっているせいか、同業に妬まれることも多い。


 アルヴィンのチームには他にも三名、ラウノとカリーナとミーリがいる。

 ラウノも六環級だ。あと俺がいれば条件の三人を満たせるわけだ。


「……段取りは?」


「三日後の午後、担当者がこの支部に来て顔合わせです。翌朝には現地へ向けて出発すると伺っています」


 事前に説明をする前提で、こんなにも雑な依頼票なのか。

 ふと視線を落とすと、紙をつまむアイリスの指先にこわばりを感じた。

 アイリスが声を潜める。


「正直、ルークさんに断られると、もう頼める人がいません。みなさん堅実なタイプですし……なんとかなりませんか?」


「心外だな。俺だって慎重派だぜ?」


「有名な賊の討伐依頼を一目見て『一人で十分だ』って即答する人が慎重派なら、他のみなさんは慎重では済みませんよ」


「判断の速さは大事だぞ。群れが増えるほうが厄介だ」


「もう、ああ言えばこう言う。私がいないあいだに勝手に出て行っちゃって、あとから聞いてびっくりしたんですよ」


「なんだよ、心配してくれてたのか?」


「ち、ちがいますよ!いや、心配はしましたけど、そういう意味ではなくて!」


 雪のように白い肌がうっすらと赤く染まる。

 わたわたとするアイリスを見て、俺は口元を引き結んで笑いを呑み込む。


「いいぞ。受ける」


 俺がそう答えると、アイリスは一瞬きょとんとして、すぐ胸に手を当てて息をついた。


「ほんとですか!よかった……ありがとうございます。ルークさんに断られたらどうしようって、昨日から悩んでたんです」


「そんなに感謝してるなら、今度飯でも付き合ってくれ」


「ふふ、そういうのは報酬額が釣り合わないと思ったときに言ってください」


 アイリスが冗談めかして笑い、俺も肩をすくめて返した。


「言うようになったな」


 俺は笑顔でアイリスを見送る。

 次の依頼のことも重要だが、報告も疎かにはできない。

 改めてカウンターに向き直ると、羽根ペンを手に取った。

 備え付けの黒螺墨コルインクの瓶にペン先をつけると、冷たい鉄を擦ったような匂いが立った。

 報告書を書き終えて提出箱に放り込むと、報告窓口を後にする。


 衛庁舎での用事はもうひとつある。俺は続けて隣のフェイ保管窓口へと足を向けた。

 認識票を見せ、預けていた封幣環体ロクシフェイオルを職員から受け取る。


 封幣環体ロクシフェイオル封刻シグを回して番号を揃える。

 手持ちの幣環体フェイオルを取り出して、送金刻印と受金刻印を合わせて魔力を流すと虚幣フェイが移動した。


 何百年も前から存在する仕組みだが、本当に便利なもんだ。

 フェイを作ったセムシア連邦は、それをきっかけに大きな発展を遂げたと聞く。


 フェイはいまや大陸共通通貨だ。

 通貨の本質は虚幣フェイと呼ばれる概念にある。

 これは、セムシアにある製造局が管理する造台によってのみ幣環体フェイオルに宿されるもので、歴史上誰も偽造できた試しがない。

 利便性と信用の高さから、今や大陸五国すべてがこの通貨に依存している。


 封幣環体ロクシフェイオルを再度預け、衛庁舎を後にする。

 外に出ると、街に灯りがともり始めていた。


 依頼の担当者と会うのは三日後か。一応こちらでも少し調べてみるか。

 俺は今後の行動を頭の中で並べ直しながら帰路についた。

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