笑う大魔導師と沈黙の狂戦士 ~太陽と月の加護もつ冒険者~

一江左かさね

プロローグ 物事は上手くいくと考えた方が上手くいく

「治療は上手くいく、全力を尽くしたからな」


 ジルジオンは自分に言い聞かせ、椅子から立ち上がった。

 ちらりと鏡に目を向ける。見つめ返してくるのは、苛立ちを滲ませた十代後半の顔だ。黒い髪に黒い瞳――腕組みをした指先で、細かく腕を叩く。

 失敗すれば今までの苦労は台無し。

 そんな事はどうでもいい。一番の懸念は自分より大事な存在の命に関わることだ。


「くそっ、落ち着かん」


 窓を開けると花の香りを含んだ風が頬を撫でる。緑鮮やかな庭園の向こうには、アルストルの街並みが広がり、赤茶の屋根が幾層にも重なっていた。

 深呼吸をしていると、後ろでノックの音が響く。

 入ってきたのは切れ長な目に青く澄んだ瞳の少女、ミラルバーサだ。その顔は無表情寄りだが、穏やかさと冷静さを感じる。青い髪を揺らし、静かな所作で扉を閉めている。


「ジルさん、探しましたよ」

「ん? ああ、ミラルには何も言わずに動いていた。悪かったな」

「ほんと、勝手なんです。私は、拗ねざるを得ませんね」


 ミラルは表情を変えないまま、ちょんと指先で突いてきた。そのまま隣に並んで一緒に外を眺めだす。

 長い付き合いのジルジオンには、不安がそこに存在しているのだと分かっている。心の中で、当然だと頷いた。

 ミラルはエイフス家の出身。

 一族特有の家族想いの気質を、しっかりと受け継いでいる。だから、今まさに家族の運命が決まろうとするなか、落ち着かない様子を見せていた。


「やるだけやった、後は待つだけだ。ま、大丈夫ってもんだ。これまでもそうだったように、今回もな」


 ジルジオンは自分の不安を隠し、励ますように言った。


「その待つのが不安です……でも、ありがとうございます。心配、嬉しいです」

「もし駄目だったら、また次を考えればいい、それだけだ」

「……ジルさん、そういうとこが駄目なんです。私でなかったら怒ってます。ええ、間違いなく。私だから許してくれるんですよ」


 ミラルは僅かに頬を膨らませている。

 ちょっと拗ねた可愛い少女にしか見えない。だが実際は、ドラゴン種ですら恐れる戦闘能力がある。なんとも不思議だと、つい考えてしまう。

 どちらにせよ二人とも不安なのだ。

 なぜなら、これから始まるのは病に冒されたの治療。しかもその治療の手段を求め、これまで様々なことを乗り越えてきたのだから。

 孫娘、そう口にすれば誰もが怪訝な顔をするだろうとジルジオンは思った。

 二人とも十代半ば過ぎの見た目だ。これで話が娘であれば、まだ可能性はある。だが流石に誰も孫娘がいるとは思わないだろう。


「心配なら、側に付き添っておればよかろう」

「ジルさんが此処に居るのと同じですね」

「…………」

「それに、タルさんが側に付くと張り切ってました」

「タルシマか、あいつは賑やかすぎて……逆に良くない気がするぞ」


 酷い言いぐさだろうが、しかし実際そうなのだ。

 タルシマという少女は見た目こそ美少女だが、少々がさつで凄く騒がしい。だが一方で涙もろく、お人好しという性格だ。


「む、話をすればなんとやら」


 窓から外を見れば、ちょうど話題にしたタルシマの姿があった。元気に声をあげ突っ走っており、金色をした髪が日の光の中で輝いている。

 黒髪の少年が困った様子で後ろを追いかける姿とは対照的だ。


「ソニエルの奴もタルシマの相手は大変だな」

「そういう言い方、よくありませんね。気をつけましょう」


 ミラルに軽く注意される。

 肩を竦め視線を戻せば、突っ走ろうとしたタルシマを黒髪の少年ソニエルが耳を掴んで引き留め、呆れたように首を振っていた。


「あれを見れば誰だって、そう思うであろうが」

「……否定はしませんね」

「ま、ソニエルは年の割に大人びて将来有望だ。任せて安心だろう」


 商家の生まれのソニエルは賢く機知に富む。タルシマとは幼なじみの腐れ縁で、いろいろ振り回されながらも世話を焼く苦労人でもある。


「でも、大人びているとは。つまり、大人ではないことでもあります」

「それは確かに、そうだな」

「昔から冷静なようで、たまに暴走しますから」


 控えめで一歩引いた冷静な性格に見えるが、身内に対する思いは非常に強い。普段は抑えているためか、それが爆発した時は大騒ぎになるだろう。

 今から行われる治療が成功すれば、王国全土にだって祝いの品を配りかねない。


「それはそれとして……治療が成功したら、その後はどうする?」


 そんな問いにミラルは首を傾げた。

 殆ど表情を浮かべていないが、形の良い眉が僅かに寄せられている。


「いきなり何です?」

「いや、そうしたら暇になるであろ?」

「まだ治療が上手くいったわけではありませんよ」

「おいおい、物事は上手くいくと考えた方が上手くいくものであろうが。そういう考えの奴に運の方が寄ってくるのだ」

「なるほど……その通りですね。賛同です」


 そう呟いたミラルは、窓の外を見やっている。表情は見えないが、雰囲気が和らいだようだ。長く一緒に居る相手なのだから、それぐらいは察せられる。


「そうですね、どうしましょう。考えてませんでした」

「どこか旅行に行くというのはどうだ?」

「魅力的な提案です。でも私は、そうですね。ちゃんとした恋愛をしてみたいです」


 ミラルは視線を空に向け、指一本を頬に付け呟いた。


「んー? んんっ……?」

「私たち政略結婚でした。そして今ぐらいの年頃は、魔王戦争の真っ最中。恋や愛を考える暇もなかったです」


 魔王戦争は、およそ五十年前。

 その大陸全土を揺るがす戦乱の時代を、二人は生き抜いてきた。


「あー、それは儂以外に考える相手がいるのか?」

「へえっ? 面白い冗談ですね。ジルさんは、時々馬鹿を言います」

「……恋や愛か、それは良い考えだな。うむ!」


 ため息をつかれた挙げ句、咎めるように睨まれたので、ジルジオンは急いで誤魔化しておいた。もちろんそこには少しばかりの安堵もある。


「ま、きっと治療はうまく行くさ。この俺が保証しよう」


 そう言いながら、ジルジオンの頭には今日に至るまでの日々が浮かんでいた。様々な苦労や事件、出会いや別れ、楽しいことや哀しいこと。

 そして始まりの日――自分たちが若返った日のことを思い出していた。



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※本日は【計4話を更新 5か6分間隔】です。

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