第2話
夜間、同日同時刻。
とある大都市の中心部にある、大きなビル型の建造物。
私立センダーソン工科大学のメインキャンパスだ。
今も様々な最先端技術が生み出されている大学の、高層フロアにあるロボット工学科の第2研究室。
中では今も明かりに照らされながら、作業に没頭している1人の女性がいた。
「腕部ユニットの範囲には少し難あり、か」
白衣姿の女性は、試作品と思われるロボットの腕部を何度も小刻みに動かしている。
彼女がいる第2研究室の中は、機械類がひどく乱雑に置かれていた。
製作が頓挫したと思われる未完成のロボット。開発コンペに敗れたパーツのレプリカ。詳細不明の電子設計図。室内は他にも様々な物品で溢れていた。
「外装の動作全般に不自然さが出る前に、何とかしないと」
真剣な眼差しで、両腕部の可動チェックを続けている女性。
彼女は長い金髪をヘアゴムで縛り、今は背後で一纏めにしている。年齢は20代半ば程度に見えるが、目の下には濃い色のクマが出来ている。
「でも、ここさえクリアすれば後は殆ど……」
「パラドール君」
背後から聞こえた声に気付き、女性はすぐに振り向く。
そう、彼女の名前はミア・パラドール。それが「今の」彼女の名前だった。
振り返ったミアの視線の先――第2研究室の扉の前には、1人の白髪の老人が立っていた。
「バレス教授、いつからそこに?」
バレスと呼ばれた研究者姿の老人は軽く笑う。
「パラドール君。君は本当に真面目だが、少し集中力が高すぎる。私はさっきからここに立っていたよ」
「そ、そうでしたか……気付かなくてすみません」
「何より、もう11時半を過ぎている。あまり無理は良くないんじゃないか?」
「……分かっています。ですが、腕部だけはどうしても今日中に終わらせたくて」
「なら、少しコーヒーブレイクでもどうだね?」
部屋の後方へ、軽く視線を動かすバレス。
研究室の奥の棚には、備え付けのコーヒーポットとカップがいくつか置いてあった。
「……ふう」
「味はどうだね? 君の口に合うと良いが」
「いえ、とても美味しいです。本当にありがとうございます」
ミアとバレスは研究室にある椅子に腰掛け、ゆったりとコーヒーを飲んで休んでいた。
研究者であるバレスに憧れ、ミアが大学に入ってから既に5年以上。ミアはバレスを尊敬し、バレスもまた優秀な教え子であるミアを信頼していた。
自然と、穏やかな雰囲気で会話は続いていく。
「君の新型、開発は順調なようだね」
「はい。今のスペックなら間違いなく、現行機体にも引けを取らないかと。ここまで来れたのも、全て教授のサポートのおかげです」
「何を言う、長年打ち込んできた君の成果だ。私など気にせず堂々としたまえ」
「……ありがとうございます」
少し俯き、嬉しそうに口元を緩ませるミア。
2人の間に流れる和やかな時間。
しかし。バレスは突如、妙に暗い表情を浮かべた。
「……なあ、パラドール君」
「はい」
「ミア・パラドール君」
「……はい」
深い沈黙の後、バレスは唐突に。
「君にはもう1つ、昔使っていた名前があるんだろう?」
「……っ⁉」
驚愕の表情を浮かべるミア。突然の出来事に対し、彼女は明らかに動揺していた。
「教授……な、何故それを」
「本当に驚いたよ。まさか私の研究室に、ウォルター・モルガンのお嬢さんが在籍していたとは。ロボット産業の父、世界的権威。そんな彼の一人娘……エリッサ・モルガン君」
「……」
「君はあまりにも過去を話さない。まるで何か、大きな秘密を抱えているようにも見えた。だから少し、知り合いに頼んで調べてもらったんだ。ここでの研究は全てが重要機密。君には悪いと思う反面、偽造戸籍やスパイという可能性も、私には否定しきれなかった」
「……いえ。確かに、その通りかと」
重苦しく答えるミア――いや、エリッサ。
「だが、全ては私の妄想だった。経歴に違法な部分など一切なく、あくまで君は清廉潔白な人物だった。それに比べれば過去の改名など、ほんの些細な事に過ぎない」
「教授……」
「教え子である君を少しでも疑ってしまった事、まずはそれを全面的に謝罪させてもらう。本当に、すまなかった」
深々と頭を下げるバレス。
恩師の行動に対し、エリッサは慌てて声をかける。
「そんな、教授……頭を上げて下さい!」
「すまなかった、パラドール……いや、モルガン君」
頭を下げ続けているバレス。
落ち着きを取り戻したエリッサは、じっとバレスを見つめた。
自分なりの真摯な思いを、眼差しに込めるエリッサ。
「教授、私は私のままです。ロボット工学を専攻する研究者の卵、ミア・パラドール。それで構いません」
エリッサの言葉に、バレスはゆっくりと顔を上げる。
「私はウォルター・モルガンの娘である前に、教授に憧れてこの研究室に入った、1人の学生ですから」
「パラドール君……」
微笑むエリッサを見て、僅かに安堵するバレス――だが。
彼の脳内にはまだ大きな疑問が残っていた。
少しの沈黙の後、バレスは思い切って尋ねてみる。
「ではパラドール君。1つだけ、どうしても聞かせて欲しい事がある」
「はい」
「あのウォルター・モルガンを父に持ちながら、何故わざわざ名前を変えてまで、この大学へ来た? ウォルター氏の娘という肩書さえあれば、世界中どこの開発者とも余裕でコンタクトが取れるはず。教えを乞うのも自由自在だろう」
「……それは」
「なのに君はあえて、この大学で普通の研究者として日々を過ごしている……その理由だけがどうしても分からない」
「……」
エリッサは何も答えず、悲しそうに俯いた。
2人の間に続く長い沈黙。
不意に、エリッサは重い口を静かに開く。
「確かに父、ウォルター・モルガンは天才です。世界的に有名なロボット工学の偉人、今も昔もそれは変わりません。ただ、問題はそこじゃないんです」
「問題?」
「私の父は……あまりにも独善的な、異常者でしたから」
「異常者……?」
怪訝な表情を見せるバレス。
エリッサは軽く深呼吸をすると、ゆっくり胸の内を語り出した。
「例えば、私と父が住んでいた屋敷では、毎月何体ものロボットがスクラップに出されていました」
「スクラップ? 故障の間違いでは?」
「いいえ、スクラップで合っています。何故なら……父はほんの些細な事で激昂し、いつもメイドロボット達を粉々に破壊するような人物でしたから」
「なっ……⁉」
予想外の内容に、思わず絶句するバレス。
「信じられませんよね? でも事実なんです。父は凄まじい癇癪持ちで、常に自分の気に入らない事は認めないという考えでした。それはもちろんロボットだけではなく、人間に対しても同じです」
エリッサは手に持ったコーヒーを飲み、息を吐く。
「何も知らなかった幼少期、父は私の誇りであり憧れでした。いつか自分もロボット工学を学び、父の助けになろうと本気で思っていたんです。ただ、幻想が壊れるのは予想以上に早かった」
「幻想……」
「私は勉学を重ね、徐々に父の仕事を手伝うようになりました。でも父は少しでもプランに口を出されると、何度も何度も私を罵倒しました。貴様ごときが、馬鹿なお前が、愚かな小娘が……父は人間には手を上げませんでしたが、それでも私には充分辛かった」
「……パラドール君」
「そして、あの日が来ました」
エリッサはカップを持つ手を僅かに震わせながら話し続ける。
あの日の光景をエリッサはよく覚えていた。
父と決別した日の記憶。
長い年月が経っても未だに鮮明で、忘れがたいエリッサの心の傷跡――
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