愛娘と機械仕掛けの人形 ―とあるピグマリオンの悲劇―
西川ペペロン
第1話
都市部から遥か遠く、人里離れた辺境の地。
周囲に人の住む集落は見えず、生い茂る森だけが広がっている。
深い森の奥深くに1軒の西洋建築の屋敷が建っていた。
日差しを受けて佇んでいる巨大な屋敷は、深い森の中でも不思議な存在感を放っている。
屋敷の入口を抜けた先、階段を上がった2階の奥にある広めの一室。
室内では1人の初老男性が椅子に腰掛け、目の前のコンピューターの画面を見つめていた。
「センサー付近の処理回路にまだ改良の余地があるな」
室内には男性1人のみ。今の言葉もあくまで独り言に過ぎなかった。
部屋の中は様々な機械類で埋め尽くされている。
壁には多数のモニターや電子設計図。棚には複雑な装置や計測器。
開発途中と思われる頭部や脚部など、ロボットの各パーツも至る所に置かれている。
現代社会において必要不可欠な存在となっている労働用ロボット。
等身大フレームの上を人工皮膚で覆われた外観は、人間かロボットか分からない程に精巧そのもの。
しかし人間と瓜二つなのは、あくまでも外観のみ。
充電環境さえあれば何十時間でも休まず働くロボット達は、昨今の労働者不足問題を解決する新たなテクノロジーとして、瞬く間に世界中へと広がっていった。
接客、警備、医療、育児、介護、等々。
需要と生産の拡大は、今も右肩上がりで増え続けている。
今、この部屋にいる初老の男性――名前をウォルター・モルガンという。
彼こそはロボット工学界の世界的権威であり、「ロボット産業の父」とも称えられる人物だった。
若い頃から今に至るまで、革新的なロボットを数多く世に送り出してきたウォルター。
様々な業界でウォルターのロボットはスタンダードになっていき、今では多くの科学者が彼の技術体系を基盤モデルとしていた。
「ここを変えれば10パーセント近く、反応速度は向上するはずだが……ん?」
コンピューターの画面を見ていたウォルターは何かに気付き、視線を動かす。
部屋の外からはコツコツと、小さな足音が聞こえてくる。
恐らく屋敷で働いているメイドロボット達の足音ではない。
彼女らは成人女性の身体データを元に設計されているため、歩く足音はもっと大きいはずだ。
音は静かに着実に、部屋へ近付いてくる。
直後。ウォルターの自室兼研究室の扉を叩くノック音が2回鳴った。
「失礼します……お父様、今よろしいでしょうか?」
扉の向こうから聞こえてきたのは少女の声。ウォルターはフッと表情を緩ませる。
「ああ、構わんよ。入ってきなさい、エリッサ」
ウォルターの声を合図に扉は開き、1人の少女が部屋の中へ入ってきた。
綺麗な金色の長髪に、子供用の可愛らしいドレスを着ている少女。年齢はまだ10歳にも満たない程度に見える。
エリッサと呼ばれた少女は静かに扉を閉め、ウォルターの方を見て柔らかく微笑む。
「お疲れ様です、お父様。そろそろ休憩になさいませんか?」
「休憩?」
「はい。1階でメイドたちがもうお昼の準備を始めていますよ」
ウォルターは部屋の壁にある時計に目をやる。時刻は既に昼の12時を過ぎていた。
「もうこんな時間か……分かった、少ししたらすぐに降りるよ」
「了解です。メイドたちにもそう伝えておきます」
言いながらまた微笑みを浮かべるエリッサ。
「では、1階でお待ちしていますね。お父様」
最後にウォルターへ軽く会釈をし、エリッサは静かに扉を開けて部屋を出て行った。
残されたウォルターは窓の外を見てみる。今日の天気は快晴であり、外には暖かな陽の光が降り注いでいた。
ウォルターは軽く伸びをしてから一息つくと。
「天気も良いし、たまには湖の方へ行ってみるか……」
ウォルターの所有する屋敷は森の奥深くにあり、近くには小さな湖が広がっていた。
屋敷からの距離でいうと、歩いて10分程度の場所である。
湖面には綺麗な水草が浮き、水鳥たちも数羽ほど泳いでいる。
ウォルターとエリッサは今、湖の傍にシートを広げて外で昼食を取っていた。
シート上にはサラダやスープ、チキンやサンドイッチといったバラエティに富んだ洋食が多数。
近くにはコーヒーと紅茶の入ったポットも置かれている。
もちろん料理や飲み物を取り分けるのは、一緒に同行してきた数体のメイドロボット達の仕事。
ウォルターとエリッサの2人は、綺麗な湖と奥に見える木々を眺めながら、和やかにランチタイムを楽しんでいた。
小さな口でサンドイッチを食べ進めるエリッサ。
傍にいたウォルターはカップに入ったコーヒーを飲み、思わず目を見開く。
「うん……相変わらずエリッサの入れるコーヒーは美味い」
「そ、そうですか? 今日はメイドたちに教えてもらって、少し焙煎の仕方を変えてみたんです」
「なるほど、どうりで。もうエリッサも、すっかりコーヒーの名人だな」
「そんな、お父様……何もそこまで」
恥ずかしそうにしつつも、確かに喜んでいるエリッサ。
彼女の様子を見て、ウォルターも嬉しそうに微笑んでいる。
10数時間後、夜間。
ウォルターとエリッサが昼食を取っていた湖、奥に広がる森の木々。
全てが今は、夜の暗闇に覆われている。
ウォルターの屋敷内も同様に、殆どの部屋が消灯して既に静まり返っていた――かと思いきや。
一室だけ、ウォルターの自室兼研究室だけはまだ明かりが点いている。
室内では日中と変わらず、コンピューターの前でウォルターが作業をしていた。
周りにはロボットの各種試作品パーツがあり、今はまさに最終調整の真っ最中のようだ。
「このユニットの改良さえ済めば、機体の完成度は更に上がるはず……」
熱心に目の前の作業に取り組んでいるウォルター。
だが。
「……誰にも追い付けるものか。この業界は、永遠に私の一強であるべきだ」
ウォルターは部屋で1人、怪しげに笑みを浮かべた。
真剣や夢中といった言葉など、既に軽く通り越している。
狂気、偏執、陶酔。ウォルターは凄まじく、異様な雰囲気を纏っていた。
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