【第6話】 壊せない法

朝。

通知音が、静けさを裂いた。


画面に浮かぶ文字。

《暴行致死で男性逮捕 飲酒の影響も 報復権の行使による重刑適用》


見慣れた名前がそこにあった。


久遠 知重――。


画面には、ニュース番組の顔写真。

少しやつれた笑顔。

それでも、あの夜と同じ笑い方だった。


息が止まった。

(……まさか、あの久遠が。)


事故のあと、唯一そばにいてくれた男。

何も言わずに酒を並べ、

泣くことも責めることもなく、

俺を“人間”の側に繋ぎ止めてくれた。



拘置所。

アクリル越しの久遠は、少し痩せていたが、

目の奥には静かな光が残っていた。


「……薫か。来てくれたんだな。」

「……ああ。」


「俺への叩き、すごいらしいぞ。

 ニュースでもSNSでも、“正義が勝った”ってよ。

 ……俺が悪者になったらしい。」


笑いながら言うその声が、痛かった。


「……あの夜、ちょっと飲んでた。

 でも、絡まれて……殴り返したら、相手が倒れて、頭を打った。

 “酔ってた”ってだけで、もう全部悪者だ。」


「結果的に、手を出したのは俺だ。

 “正義”の時代だ。誰かが傷つけば、誰かが罰を受ける。

 それが今のルールなんだろ。」


久遠の言葉は静かだった。

だからこそ、胸に刺さった。


(……飲酒関係の事件に対し、改変したのは俺だ。

 けど、それで救われた命もある。

 酒に飲まれて壊れた家庭、奪われた命——

 あの法で、それが減ったのも事実だ。

 ……間違ってなんか、ない。)


そう言い聞かせるように、息を吐く。

けれど胸の奥では、何かが確かに軋んでいた。


久遠の目が微かに笑った。

「大丈夫だ。俺は納得してる。」


その穏やかさが、何より恐ろしかった。



法廷。

白い光の中で、久遠は立っていた。

傍聴席の空気が息を潜める。


《罪状:遺族による報復権の適用および飲酒下での暴行致死》


「被告、久遠知重。懲役百年。」


静寂。

久遠は数秒、動けなかった。


そして、唇が震えた。


「百年……か。

 ……ッ。まだやりたいことが山ほどあったんだ。

 ……あいつの喜ぶ顔が見たかった…。」

その言葉が、家族の声と重なった。


背を向け、鎖が鳴る。

扉が閉まる音が、俺の奥でずっと鳴り続けていた。



夜。

部屋に戻ると、足元に小さな温もりがすり寄ってきた。

小鉄が、裾に鼻を強く押しつける。


「……お腹、すいたのか?」


声が、自分のものとは思えないほど穏やかだった。

まるで何事もなかった夜の帰宅のように。


テレビの光が壁を揺らす。

《新法下での初の重刑判決 “正義の時代”の到来か》

「SNSでは“真の正義が生まれた日”と称賛の声が相次いでいます!」


街頭インタビュー。

笑顔、拍手、スマホを掲げる群衆。


「やっと時代が追いついた!」

「悪は罰を受けるべき!」

「酔っ払いが人を傷つけるなんて、もう許されない!」

「被害者が救われた!当然だ!」


テロップが点滅する。

#報復の権利が正義を救う

#飲酒運転撲滅

#ありがとう新法

#正義の時代


続く報道が流れる。

《久遠被告の妻、体調を崩し入院》《子どもは学校に通えず》


コメントが続く。

「家族も同罪だろ」「血は争えないな」「正義の裁き、最高!」


(……俺の作った亀裂から、世界が静かに崩れはじめている。)


ニュースが切り替わる。

《裏金問題 追及見送り》《再就職協定 慣例で容認》《談合調査 継続審議へ》


同じ顔、同じ言葉。

「検討します」「誠意を持って対応します」「使命を全うします」


責任とは、居座る理由らしい。


(何十年も同じ顔、同じ言葉。

 成果もなく、行動の実態もない。

 それでも椅子には根が生えている。

 もう、腐っているのに。)


(変わらないなら、切るしかない。

 五十を過ぎて、まだ国の上にいる者は一度地面を歩け。

 まともに民間で汗を流したこともないくせに、

 民の声も知らずに法を語るな。

 成果のない者、ぬるま湯に沈んだまま税を吸う者。

 ――それもまた罪だ。)


腹毛の毛繕いをしていた小鉄が顔を上げた。

金色の瞳が、光を映して揺れる。


秒針が、一拍早く動いた。

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