【3話】トビラノソトニハ-3

 律葵がしじみを手にした、まさにそのときだった。

 まるで、脳への血流が不足し瞬間的に気絶した感覚になる眩暈みたく、一瞬の間、視界が真っ暗になった気がしたのだ。暗いこの部屋のせいではない。背後に何者かの一撃をくらったわけでもない。身体自体は正常なのに、視界だけがほんの一時、途切れた気がしたのだ。

 眩暈の類か、疲れているのだろうか。昨夜はこいつが来てよく眠れなかったし。気のせいで済まそうとして、平常心を取り戻そうとして、気づいた。ドアの外に気配がする。階段を上る足音は聞こえなかったのにだ。恐る恐るドアのほうを見ようとして、身体を傾けたとき。インターホンが鳴った。

「…今度は本当に鳴ったよな?」

 問いかけた律葵は返事の代わりに頷く。律葵はこの違和感に気づいているのだろうか。表情からはわからない。問いたいけれど、目下の問題はインターホンだ。確実に、ドアの外に、誰かいる。でも、誰が。さっきも言ったが、この家の来訪者に心当たりはない。

 思考を右往左往させている間に、もう一度インターホンが鳴った。そして、女の声が聞こえた。


「すみませーん!宅配便でーす!」


 …なんだ、宅配便か。ビックリした。そうだよな。家へ来るのは配達員くらいだよな、やっぱり。あー、焦って損した。

 はーい、今出ます。と鍵を開け、ドアノブに手を掛けたとき、その違和感を思い出した。思い出してしまったが、もう遅い。何度も言うが、置き配以外の荷物が届くはずがないのだ。そして、誰かが階段を上がってくる足音も聞こえなかったのだ。ここの階段は古い鉄板でやたら響く。誰かが通れば必ず気づくはずなのだ。先ほど俺がコンビニへ往復した際も、階段はかなり音を立てていた。つまり、よほど息を殺して忍び足で上ってこない限り、今このドアの向こうに誰かが立っているはずがない。ところが、外からは女の声がした。俺に悟られないようにやってきた正体不明の女がドアの向こうに居る。これが俺が感じた違和感の正体だった。

 さて、こんな状況で俺はドアを開けるべきだっただろうか。答えは、否。開けるべきではなかったのだ。しかし、体重を掛けて押し出したドアはもう止まらない。充分にドアが開いたとき、その隙間から見えたのは、見覚えのない…サンタコスの女子だった。

 サンタの女の子がそこに立っていた。


 へ?と間の抜けた声を漏らしてしまったかもしれない。それほど、自分の視界に映るものは想像に反した景色だった。なに、この女の子は。しかもサンタコス?…そういえばさっきのコンビニの店員もサンタコスだったな。今どきは宅配便の従業員もサンタコスするのか?なかなか良いサービスだな?

 何とか状況に説明をつけようと容量の少ない脳ミソをフル稼働させる。しかし、そんな俺には目もくれず、サンタガールは我が室内へと踏み込んだ。この間、わずか五秒。そう、この得体の知れないサンタガールは、ドアが開いた瞬間に問答無用で部屋へと飛び込んだのだ。その堂々とした突入劇に呆気にとられながら、しばし脳をフリーズさせた後、俺は不法侵入のサンタさんを追いかけた。まあ、冷静に考えると、サンタさんはだいたい不法侵入なんだが。

 狭いワンルームをぐるりと見回し、不法侵入サンタガールは見つけたと言わんばかりにある一点を指差した。そして、これまた予想のできない一言を発した。

「やっと会えました。…環所律葵さん。」

 しじみを持ったまま固まっていた男を名指しし、彼女は続けた。

「諦めるのはまだ早いですよ!」



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