透明◯◯

昼は鱈のムニエルで

透明◯◯

私は毎晩、決まって同じ夢をみる。

あたりはうす暗く、かといって暗闇のように何も見えないというわけではない。まるで豆電球の灯った寝室のようだが、そこには灯りとしての暖かみはなく、冷淡な灯りのもとに私が立っている。私の見る夢ではいつも宙に浮かぶ私が、地面に立つ私を眺めている。孤独に立ちすくむ私の元に得体の知れない"何か"が近づいてる。それはいつも私のもとへ近づいてくるのに非常に遠くにあるように思え、俯瞰している私からそれが何なのかは全くと言っていいほどわからない。




気づけばけたたましいアラームの音で起床し、私はそそくさと朝の支度を整える。急がなければならない。県内の都市部から少し離れた小さな町に住む私にとって朝の1分1秒は何よりも大事なのだ。よれたかばんに今日必要な勉強道具だけを詰め込み朝食も抜きに勢いよく家を飛び出した。




私はいつも通り学校へ向かう市バスに乗り込んだ。スマホをポケットからガサゴソと取り出す。そこになんらかの目的があるわけではなく毎日の日課として必要不可欠ではない文字の羅列に目を落とす。ただその日はいつもと違った。スマホの画面をつけるべくスマホを手前に傾けてみたが反応がない。もしやと思い一縷の望みにかけサイドボタンをぐいっと押し込む。しかし、そんな望みも虚しく私のスマホの充電は切れていた。昨日の夜、あまりの疲れに帰宅してからすぐ寝床についたのだがスマホに充電するのを忘れていたようだ。

「最近はこんなことが多いな。」と心の中でため息をつくのだが、時間を潰そうにもこの通勤ラッシュの混雑では参考書も単語帳も開けそうにない。しばらくの思考停止の後、私はバスの車内に目をやった。まもなく私は得体の知れない違和感に気づくのだった。




先程まで多くの乗客によって狭められていた私の視界は時を経るごとにすみずみを見渡せるほどになっていた。それに伴って私はいつもと違う違和感に気づいた。やはりおかしい。暗い。暗いのだ。単に外が曇っているからではない。むしろ今日は雲ひとつなく日差しが照り付け車内は異様なほどに蒸し暑い。そんな異様な蒸し暑さに加え車内の空気の異質さに私は悪寒をも覚えるほどであった。まず第一に乗客の顔が赤いのだ。なぜ赤いのかはわからない。ただこれまでにみたことのないような赤。例えるなら地獄の閻魔様はこんな顔をしているんだろうなと思った。そして第二に乗客の目がみな充血しているのだ。充血した目は腫れ上がりみんな黙って下を向いている。おかしい。普段ならみんなスマホを見たり外の景色を眺めたりしているはずなのだが、今日は違う。車内の乗客は私1人を除き皆、まるで魂が抜けたように背もたれにもたれかかり座っていた。ただ私はこの異様な世界を目の当たりにしても途中下車をすることなく目的地まで到着してしまったのだ。私はなぜこのような別世界を目にしても平気でいられたのだろうかと自分で自分に恐怖していた。実際、時折乗客の充血した目と私の目が合うことがあったのだが私は全くと言っていいほど気にしていなかった。今はただ疲れた。無限とも覚えたバスの長旅から逃れ、私は足早に校門をくぐり抜けた。



キーンコーンカーンコーン



終業のチャイムが鳴る。気づけば学校での1日はまるで一瞬のかように経過していた。家へ帰るためバス停に向かう。バスが接近してくる。途端に足がすくみだした。自分で自分を制御することができない。冷や汗が背中をつたって足元まで体をぬらした。私はバスのステップに足をかけた。視界が暗くなる。私は気を失っていた。




トクトクトクトク....チッ....




なんの音だろう。気がつけば私はまた暗がりに立ちすくむ私を俯瞰している。「夢の中か。」今日もまた得体の知れぬ"何か"が近づいてくる。またいつもの夢か。そう思っていた、だが今日はいつもと違った。得体の知れぬ"何か"は立ちすくむ私の顔のまさに正面、その距離は数メートルというところだろうか、ほんのすぐ手前まで迫っていた。俯瞰する私は眉間にしわをよせ目を細め"何か"を見つめる。どうやら人の形をしているようだが実体がない。透明人間のようで、白いモヤのようなものが薄暗い背景に強調され人の形を作っていた。





アラームの音が心なしか遠くに感じる。急いで起床し私はそそくさと朝の支度を整える。よれたかばんに今日必要な勉強道具だけを詰め込み朝食も抜きに勢いよく家を飛び出した。




バスが来た。私は昨日のように気を失ってしまうのではないかと危惧していたのだが、そんな恐れとは裏腹に私はいつも通りバスに乗車することができていたようだ。やがてバスは動き出した。私の心は軽く、心なしか乗客の顔も朗らかに見えた。例にもよって私はスマホを取り出すのだがここで私は落胆した。スマホの充電を忘れていた。「昨日は気を失っていたんだ、無理もないか。」今日もまたスマホをポケットにしまいこむ。その一瞬私の手がほのかに赤く変色するように見えた。




私が毎日乗車するバスは交差点を曲がり都心部への大通りへと進入していく。もちろん今日もバスは時間通りに交差点を曲がる。バスの車外を見ていた私は歩道の歩行者が一斉にこちらを向くような異様な視線を感じた。おかしい。そうだ今日もおかしいのだ。暑いな。車内を見渡す。ほらそこに違和感が。昨日と同じく異様なまでに冷静な私は乗客の顔を覗き込む。黒かった。乗客の顔が黒いのだ。漆黒の黒。カラスの黒というより、パンを焦がした時のような嫌な黒さがある。みんな目を閉じてうつむいていた。

「次は学園前、学園前、」

そろそろ目的地に到着するようだ。私は深く息を吸い目を閉じた。私は気を失っていた。




トクトク..トクトク..カランカラン..

チッチッ..




一体この音はなんなんだ。気がつけばまた私は暗がりの中に立ちすくむ私を俯瞰している。透明人間は立ちすくむ私に近寄る。今日は私と触れそうな距離まで近づいてきた。と思えば、次の瞬間、透明人間は立ちすくむ私と重なった。私は今日こそはと思い全力で目を凝らす。暗がりの中に微かにうごめく透明人間の顔には笑みが溢れているようだった。これも夢なのか。




今日はアラームが鳴る前に起きてしまった。鼓動がはやい。朝の支度を整える。よれたかばんに今日必要な勉強道具だけを詰め込み朝食も抜きに勢いよく家を飛び出した。




いつものバスに乗り込む。スマホを取り出す。充電がない。まあいいや。そんなことどうでもいい。あたりを見渡す。人でごったがえしている。目を閉じる。どうやら一瞬の間に寝てしまっていたようでバスはいつもの交差点を曲がろうとしていた。ふと横に目をやる。隣の乗客が一瞬笑みを浮かべたように感じた。目を擦る。ああ熱いな。なんだ何もないじゃないか。町ゆく人はこちらを見ている。視線を感じる。乗客はうつむいており表情ははっきりと確認できないが、彼らの顔は皮膚がやけだだれ、まるで大変な火傷を負っているように見えた。私は気を失っていた。




トクトク.....カラン.....チッ.....ボッ.....




一体全体これは何の音なのだろう。今なら少しだけわかる気がした。暗闇の中には魂が抜けたように立ちすくむ私の姿があった。透明人間は私だった。立ちすくむ私を通り抜け、今度は俯瞰している私のもとへと近づいてくる。私は目を凝らしてもう私ではない私を見る。私は笑みを浮かべていた。なんだ私か。これも夢か。今日はぐっすり眠ろう。



***


今日も青年は来るだろうか。青年は私の家の近くに住んでいる。はっきり言ってここのところ彼の様子はおかしい。彼は3年前ここに引っ越してきた。毎朝家の庭を掃除する私に対して初めは明るく挨拶をしてくれていたのだが、最近といえばうつむきながらいつにも増して早歩きで、私が挨拶をしても気づくそぶりさえ見せずただ足早に私の前を通り過ぎていく。今日こそ彼を呼び止めて話を聞こう。今時の学生は悩みを1人で抱え込んでしまうなんていう話も聞く。見たところ彼は高校生のようだ。人に打ち明けられない悩みでもあるのだろう。そうだ今日こそ彼を呼び止めよう。そんなことを考えていると彼は今日もこちらへ向かってきた。ただ今日はいつもと違った。大荷物だった。

「よお青年、今日は大荷物だな。ちょっとウチよってくか?」

精一杯の大声だった。それでも青年は止まらない。止めようと思った。嫌な予感がしたのだ。だから呼び止めようとした。


「お父さん、ちょっと手伝って。」


家内の声が聞こえ私は家の中に入っていく。ついに彼を呼び止めることは無かった。


***




トクトクトクトク...

カランカラン...

チッチッ...

ボッ...



       ドカンッ!!!



「今朝、県内の〇〇から××へ向かう市営バス学園前行きのバスが走行中に爆発し炎上する事件がありました。事件が起きたのは大通りへ進入する交差点で、駆けつけた消防隊によりますと走行していたバスは全焼し既に火は消し止められたものの身元不明の重症者が多数おり、すでに死者も確認されているようです。」



***


ここは夢の中なのだろうか。いいや違うな。.....地獄だろうな。ああ私か。私が透明人間なんだから。




透明人間の顔は赤く腫れ上がりそして黒く焼けこげ、皮膚はただれており、もはや透明人間ではく焼死体のようであった。目を凝らす。透明人間は黒く焼けこげた顔でニヤリと笑みを浮かべこちらをじいっと凝視しているようであった。


***



規制線の貼りめぐらされた交差点。ようやく交通規制が解除されようとしている。交差点の隅にはスマホが落ちている。拾い上げて持ち主を確認しようとスマホの画面がつくか試してみる。サイドボタンをぐいっと押し込む。ひび割れたスクリーンには充電切れのマークがうつし出された。




透明な炎

                 <完>

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