第21話「バズはビター・ブレンド、後味に苦みが残る。」

 バズは麻薬だ。


 一瞬で世界を変える力がある。でも、その熱狂が冷めた時、本当に価値のあるものが残っているとは限らない。


 今日は、そんな「バズの後味」について考えさせられる一日だった。


 *


 午後の静かな時間帯、あかりは一人でエスプレッソを抽出していた。


 いつもより長めの30秒抽出。濃厚で、少し苦味の強いエスプレッソが出来上がった。


「バズって、このエスプレッソみたいなものね」


 あかりは一口飲んで、少し眉をひそめた。


「最初はインパクトがあるけど、飲み続けると苦味が残る。そして、後から喉の渇きを感じる」


 カップを置いて、あかりは深いため息をついた。


 *


 渋谷クロスカフェ発、姉弟のゆるっとログ。第21話。


 バズは麻薬だ。一瞬で世界を変える力がある。でも、その熱狂が冷めた時、本当に価値のあるものが残っているとは限らない。


 記事が公開されてから1週間。


 バズの熱狂は、少しずつ冷め始めていた。


 最初の数日は連日満席だった店内も、今日は普通の平日の午後程度の客入り。SNSでの言及も減り、テレビの取材も一段落した。


 でも、問題はそこからだった。


「あれ?思ってたのと違う...」


 記事を読んでやってきた客の一人が、不満そうに呟いた。


「記事では、もっとすごい哲学を聞けるって書いてあったのに」


「私も期待してたのに、普通のクロスカフェじゃない」


「インスタ映えもしないし...」


 そんな声が、ちらほら聞こえるようになった。


 記事で期待値が上がりすぎた結果、普通の接客では物足りなく感じる客が増えていた。


「姉ちゃん、大丈夫?」


 僕が心配そうに声をかけると、あかりは疲れた笑顔を見せた。


「大丈夫よ。でも、ちょっと疲れたかな」


 確かに、あかりは以前より元気がなかった。


 バズの期間中、一人ひとりの期待に応えようと必死に頑張っていたが、それが続かないことに罪悪感を感じているようだった。


「私、みんなをがっかりさせてるのかもしれない」


「そんなことないよ」


「でも、記事を読んで来てくれた人たちは、何か特別なものを期待してる。私は、それに応えられてない」


 その時、店の入り口から見慣れない女性が入ってきた。


 スーツを着た、30代前半くらいの女性。手にはノートとペンを持っている。


「すみません、黒木あかりさんはいらっしゃいますか?」


「私ですが...」


「週刊誌『トレンドウィークリー』の記者をしております、田村と申します。お時間いただけませんか?」


 あかりは戸惑った。


「取材ですか?」


「はい。『バズった店員のその後』という特集を組んでおりまして」


 田村記者は、ニヤリと笑った。


「最近、客足が落ちてきてるって聞いたんですが、どんなお気持ちですか?」


「え...」


「やっぱり、一時的なブームだったということでしょうか?本当に価値のあるサービスなら、継続するはずですよね?」


 田村記者の質問は、明らかに悪意があった。


「あの...」


「それとも、最初から話題作りのための演出だったとか?」


 僕は思わず立ち上がった。


「ちょっと待ってください。そんな言い方はないでしょう」


「あら、弟さんですね。記事を書かれた」


 田村記者は僕を見て、さらにニヤリと笑った。


「身内の宣伝記事だったということですか?」


「違います!」


「でも、客観的に見れば、そう見えますよね。弟が姉を持ち上げる記事を書いて、一時的に話題になったけど、結局は...」


「やめてください」


 あかりが、静かに、しかし強い口調で言った。


「私の店で、そんな話はしたくありません」


「でも、読者は真実を知りたがってるんです」


「真実?」


 あかりは、田村記者を見据えた。


「真実は、毎日ここに来てくださるお客様の笑顔です。数字でも、記事でもありません」


「でも、実際に客足は減ってますよね?」


「減りました。でも、それでいいんです」


 あかりの答えに、田村記者は意外そうな顔をした。


「私は、目の前の一人のお客様のために、一杯のコーヒーを淹れる。それ以上でも、それ以下でもありません」


「つまり、ブームは終わったということですね?」


「ブームなんて、最初からありませんでした」


 あかりは、カウンターに戻りながら続けた。


「私は、ブームの前も、ブームの最中も、そしてこれからも、同じようにコーヒーを淹れ続けます。それが私のやり方です」


 田村記者は、期待していた反応が得られず、不満そうに帰っていった。


「姉ちゃん、すごかったよ」


「ありがとう、ハル」


 あかりは、少し疲れた様子だったが、表情は清々しかった。


「でも、あの記者の言うことも、一理あるのよね」


「え?」


「バズは、確かに苦い後味を残す。期待値を上げすぎて、普通のことが物足りなく感じられてしまう」


 あかりは、さっき淹れたエスプレッソを見つめた。


「でも、それでいいの。本当に価値のあるものは、バズがなくても残り続ける」


 その時、店の入り口から田中さんが入ってきた。


「あかりちゃん、今日も来たよ」


「田中さん、ありがとうございます」


「なんか、静かになったね。この方が落ち着くよ」


 田中さんは、いつものようにカウンターに座った。


「いつものドリップコーヒーで」


「はい、かしこまりました」


 あかりは、いつものように、田中さんのためにコーヒーを淹れ始めた。


 バズの前と同じように、心を込めて。


「やっぱり、あかりちゃんのコーヒーが一番だな」


 田中さんの言葉に、あかりは自然な笑顔を見せた。


「ありがとうございます」


 その夜、僕は今日の出来事をネタ帳に書き留めた。


『バズはビター・ブレンド。最初はインパクトがあるけど、後味に苦みが残る』

『本当に価値のあるものは、バズがなくても残り続ける』


 姉ちゃんは、バズの甘い誘惑に負けなかった。


 一時的な熱狂より、日々の積み重ねを選んだ。


 それは、きっと正しい選択だったと思う。


 明日からまた、いつもの日常が始まる。


 でも、それこそが姉ちゃんの求めていたものなのだから。


 *


 次回:第22話「その一杯は、誰のためのドリップですか?」


 #渋谷クロスカフェ #バズの副作用 #本当の価値 #週刊誌記者 #日常への回帰 #信念を貫く

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