第18話「ホットミルクは、最強の緩衝材です。」

 人と人がぶつかる時、必要なのはどちらかの正しさじゃない。


 ただ間に立ってくれる温かい何かなのかもしれない。


 今日はそんな「緩衝材」の大切さについて学んだ一日だった。


 ◆


 シュワシュワというミルクスチームの歌が午後のカウンターを優しく包む。


 あかりはピッチャーに冷たいミルクを注ぎスチームワンドをそっと沈めた。温度を確認しながら65度になるまでゆっくりと温める。


「ホットミルクはそれだけで心を落ち着かせる力があるの」


 あかりは独り言のように呟きながら二つのカップに温かいミルクを注いだ。


「コーヒーとコーヒーがぶつかり合う時もミルクが間に入れば美味しいカフェラテになる」


 ◆


 渋谷クロスカフェ発、姉弟のゆるっとログ。第18話。


 人と人がぶつかる時、必要なのはどちらかの正しさじゃない。ただ間に立ってくれる温かい何かなのかもしれない。


 神田マネージャーの件以来、あかりと乾さんの関係はギクシャクしていた。


 あかりは橘さんの助言を受けて「マニュアルを道具として使う」新しいスタイルを試していた。でも乾さんは「神田マネージャーの方針に従うべき」と考えている。


 二人の考え方の違いが今日ついに爆発した。


 バックヤードで乾さんがあかりに詰め寄った。


「黒木さん、やっぱり非効率です!」


 乾さんがあかりの「マニュアルを道具として使う」接客に対してプンプン怒っている。


「お客様との会話時間が長すぎます。後ろに列ができてるじゃないですか」


「でもお客様が求めているのは...」


「前は『マニュアルだけじゃ人の心は動かせない』っておっしゃいましたよね?今度は『マニュアルを道具として使う』って。黒木さん、コロコロ変わりすぎです!」


 乾さんは頬を膨らませてまるで怒った子リスのようだった。


 あかりは思わず苦笑いした。


「確かにコロコロ変わってるわね...」


「神田マネージャーは効率重視、黒木さんは心重視。私、どっちについていけばいいんですか?」


 乾さんは両手をバタバタと振り回している。


「それじゃ困ります!私の頭、パンクしちゃいます!」


 一触即発の空気に僕はオロオロしていた。


(これはマズい...二人とも正しいことを言ってるのになんで噛み合わないんだ)


 ◆


 その時、あかりは何も言わずに立ち上がり二つのカップに温かいスチームミルクを注いだ。


 そしてふわふわの泡をたっぷり乗せて乾さんの前に一つ置いた。


「...とりあえずこれ飲んで。ふわふわ泡付きよ」


「え?なんですかこれ」


 乾さんは戸惑いながらもカップを受け取った。ふわふわの泡が鼻につきそうになる。


「ホットミルクです。怒りすぎて頭に血が上ってるからクールダウン用」


 あかりも自分のカップを手に取る。同じくふわふわ泡付きだ。


「...ごめん、熱くなりすぎたわ」


「...いえ私も言い方が...あ、泡が鼻についた」


 乾さんは慌てて鼻の泡を拭う。その様子があまりにも可愛らしくてあかりは思わずクスッと笑った。


「乾さん、子猫みたい」


「子猫って!失礼な!」


 でも乾さんも少し笑っていた。


 二人はふわふわ泡と格闘しながらホットミルクを飲み、少しずつ冷静に言葉を交わし始めた。


「乾さんの言うこともっともよ。効率は大切」


「でも黒木さんの接客を見てるとお客様が本当に嬉しそうで...」


「私もまだ正解が分からないの。でも一緒に考えてもらえる?」


 乾さんはホットミルクで温まった心で答えた。


「...はい。一緒に最適解を見つけましょう」


 その様子を見ていた僕は感心した。


「姉ちゃんすごいな。ふわふわ泡魔法だった」


「ふわふわ泡魔法って何よ」


 あかりは苦笑いした。


「でも確かにあの泡で乾さんの怒りも泡みたいに消えたね」


「ブラックコーヒー同士じゃぶつかるだけで混ざり合わない。でもミルクが間に入れば美味しいカフェラテになるでしょ。たまには緩衝材も必要なのよ」


「緩衝材?」


「そう。人間関係も同じ。対立する意見の間にはお互いを理解するための『温かい何か』が必要なの」


 なるほどと僕は納得した。


「今回のホットミルクはその緩衝材だったってこと?」


「まあそんなところかしら」


 ◆


 その後、あかりと乾さんは建設的な話し合いを続けた。


「マニュアルを基本にしつつお客様の表情を見て微調整する」


「効率を意識しながらも一人ひとりへの配慮は忘れない」


「忙しい時は効率優先、余裕がある時は会話も大切に」


 二人で話し合った結果、新しいルールが生まれた。


「これなら神田マネージャーにも説明できそうですね」


 乾さんの表情が明るくなった。


「そうね。対立じゃなくて協力していきましょう」


 あかりも久しぶりに自然な笑顔を見せた。


 その日の夜、僕は今日の出来事をネタ帳に書き留めた。


『人間関係の緩衝材、それは一杯のホットミルク』

『対立する意見も温かい何かがあれば美味しいブレンドになる』


 姉ちゃんはコーヒーの技術だけじゃなく人の心を温める技術も持っている。


 ホットミルクというシンプルだけど効果的な解決策。


 それは相手を否定するのではなくまず心を落ち着かせて一緒に考える時間を作ることだった。


 あかりと乾さんの関係は完全には修復されないかもしれない。でも確かな雪解けの兆しが見えた。


 そして僕も人と人がぶつかった時の対処法を学んだ。


 まずは温かい何かを間に置く。


 それが最初の一歩なのかもしれない。


 明日からまた神田マネージャーとの戦いが続く。


 でもチームワークが戻った今ならきっと乗り越えられるはずだ。


(第18話完 次話へ続く)


 次回予告:

 僕の言葉って、ちゃんとドリップできてますか。


 #渋谷クロスカフェ #ホットミルク #緩衝材 #チームワーク #関係修復 #温かい解決策

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