第12話「気まずい沈黙は、ラテアートの練習時間。」

 人間関係には時として気まずい沈黙が訪れる。


 そんな時、多くの人は慌てて何かを言おうとする。


 でも沈黙にも意味がある。


 それは次に生まれる美しいものの準備時間なのかもしれない。


 今日はそんな「沈黙の価値」について学んだ一日だった。


 ◆


 シュワシュワというミルクスチームの歌がカウンターを優しく包む。


 あかりはピッチャーに冷たいミルクを入れ、スチームワンドを沈めて温め始める。


 抽出済みのエスプレッソショットの上に渦を巻くように注ぐ瞬間、白いミルクがコーヒーの茶色と混ざり合い優しいハート型のラテアートが生まれる。


「ラテアートはね、注ぐ前の『間』が一番大切なの」


 あかりはピッチャーを持ったまま一瞬手を止める。


「焦って注ぐとただの白い泡になっちゃう。でもタイミングを待てば美しい模様が描ける」


 ◆


 渋谷クロスカフェ発、姉弟のゆるっとログ。第12話。


 渋谷という街は人間関係の交差点だ。時には出会い、時にはすれ違い、そして時には正面衝突も起きる。


 今日の僕はそんな正面衝突の現場を目撃することになった。


 午後2時の店内。いつもなら穏やかな時間帯なのに、今日は一角から怒鳴り声が響いている。


「だからなんで昨日連絡くれなかったのよ!」


「仕事だって言ってるだろ!」


「私のことより仕事が大事なんだ!」


「そんなこと言ってない!」


 大学生らしきカップルが派手な痴話喧嘩を繰り広げている。周りの客は気まずそうに視線を逸らし、店内には重い空気が流れていた。


 新人・乾さんはオロオロするばかりでどう対処していいか分からない様子だ。


(うわあ...これは見てるだけで胃が痛くなる)


「姉ちゃん、あのカップル...」


 僕が心配そうに呟くとあかりは表情一つ変えず、黙々と2つのカフェラテを淹れ始めた。


「あら、若いっていいわね」


「いや全然良くないでしょ。周りの迷惑考えてよ」


 でもあかりは何も言わずに丁寧にラテアートを描いている。


 1つ目のカップにはへの字口の困り顔のクマ。


 2つ目のカップには涙を一粒こぼすウサギ。


「姉ちゃん、それ...」


「ちょっと待ってて」


 あかりは2つのラテを持って喧嘩中のカップルのテーブルに向かった。


「お疲れ様です」


 あかりは何も言わずに2つのラテをそっとテーブルに置いた。


「え?僕たち注文してませんけど...」


「サービスです。ごゆっくりどうぞ」


 あかりはにっこり笑ってカウンターに戻ってきた。


 ◆


 カップルは置かれたラテを見て一瞬言葉を失った。


 片方にはへの字口の困り顔のクマ、もう片方には涙を一粒こぼすウサギのラテアートが描かれていた。


 あまりにシュールで可愛らしく、そして自分たちの状況を的確に表したアートに、ヒートアップしていた二人は思わず黙り込んだ。


 数秒の沈黙。


 店内の空気が静かに変わった。


「...ぷっ」


 先に彼女が吹き出した。


「なにこれ、ウサギ泣いてるじゃん」


「...お前の好きなクマ困ってるぞ」


 彼氏も思わず口元を緩めた。


 二人は顔を見合わせついに笑い出してしまった。


「...ごめん、言い過ぎた」


「...俺も連絡すればよかった」


 さっきまでの険悪な空気が嘘のように二人は仲直りしていた。


 周りの客たちもホッとした表情を浮かべている。


「すげー...」


 僕は思わず呟いた。


 カウンターに戻ってきたあかりに乾さんが尋ねた。


「黒木さん、なぜ何も言わなかったんですか?仲裁に入るべきでは...」


「乾さん、言葉にしなくても伝わることもあるのよ」


 あかりは使い終わったピッチャーを洗いながら答えた。


「あの二人に必要だったのは正論じゃなくて、自分たちの状況を客観視するきっかけ」


「客観視...」


「そう。気まずい沈黙はラテアートの練習時間。焦って何かを言うより相手の気持ちを考える時間の方が大切なの」


 乾さんは何かを理解したように頷いた。


「でもあのラテアート、ちょっと失敗作だったんですけど...」


 あかりは苦笑いした。


「え、失敗作?」


「クマの顔、もう少し可愛く描きたかったのよ。でも結果オーライね」


 ◆


 その時、さっきのカップルがカウンターにやってきた。


「すみません、さっきはお騒がせしました」


「ありがとうございました。このラテアートすごく可愛いです」


「写真撮ってもいいですか?」


「もちろんです。お二人仲直りできて良かったですね」


 カップルは嬉しそうに写真を撮り手を繋いで帰っていった。


「姉ちゃんすごいな。魔法みたいだった」


「魔法じゃないわよ。ただ相手が何を求めているかを見極めただけ」


「何を求めてる?」


「あの二人は喧嘩がしたかったんじゃない。仲直りのきっかけが欲しかっただけ。だからそのきっかけを提供しただけよ」


 なるほどと僕は納得した。


「最高の仲裁は言葉ではなくラテアートで」


 僕はネタ帳にそう書き留めた。


「でもいつもうまくいくとは限らないわよ」


「そうなの?」


「沈黙にもいろんな種類があるの。怒りの沈黙、悲しみの沈黙、考え事の沈黙。それぞれに合った対応が必要よ」


 あかりは新しいお客さんのためにコーヒーを淹れ始めた。


「今日のあの二人は『仲直りしたい沈黙』だったからラテアートが効いた。でも本当に深刻な問題の時はちゃんと話し合いが必要」


「深いな...」


 ◆


 その日の夜、僕は今日の出来事を記事にまとめた。


『気まずい沈黙の正体とラテアートが持つ魔法の力』


 沈黙は決して悪いものじゃない。


 それは次に生まれる美しいものの準備時間。


 焦って埋めようとせずその意味を考えてみる。


 そうすればきっと素敵なラテアートのような解決策が見つかるはずだ。


 姉ちゃんは今日もコーヒーと一緒に人の心を温めていた。


(第12話完 次話へ続く)


 次回予告:

 新しい豆って、いつもの棚にひっそりありました。


 #渋谷クロスカフェ #ラテアート #沈黙の意味 #仲裁 #カップル喧嘩 #言葉より行動

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る