第7話「その呪文、フラペチーノで浄化します。」

 現代のクロスカフェには、古代から伝わる魔法の呪文が存在する。


「ベンティ」「アドショット」「エキストラホイップ」...これらの神秘的な言葉を組み合わせることで、世界に一つだけの聖杯を創り出すことができるのだ。


 しかしこの高度な魔法は、時として初心者には理解不能な暗号と化す。


 そんな魔法と日常の狭間で繰り広げられる、ちょっとした騒動の話。


 ◆


 午後2時の渋谷クロスカフェ。


 週末の昼下がり、店内は様々な年代の客で賑わっている。


 レジの前には、魔法の呪文を操る現代の魔法使いたちと、その呪文に困惑する一般人たちが混在している。


 そして今日も、エスプレッソマシンの向こうで姉のあかりがこの魔法と現実の橋渡しをしようとしている。


 ◆


 渋谷クロスカフェ発、姉弟のゆるっとログ。第7話。


 今日のテーマはこの店に伝わる古代魔法の呪文について。そう、人はそれを"カスタマイズ"と呼ぶ。


 昼下がりのクロスカフェ。僕の耳に流れるような呪文が飛び込んできた。


「ベンティ アドショット ヘーゼルナッツ バニラ アーモンド キャラメル エキストラホイップ チョコレート エキストラソース キャラメルソース アップルシナモン フラペチーノで!」


 レジの前に立つギャル二人組の一人が、新人バリスタの乾さんを相手に淀みなく呪文を詠唱している。乾さんの顔は引きつり、目は完全に泳いでいた。


(うわ、これは...完全に呪文だ。僕でも半分くらいしか理解できない)


「姉ちゃん...あれ、何語?」


「現代の錬金術よ」


 姉は涼しい顔でヘルプに入りながら答える。


「シロップやソースという名の魔法陣を駆使して、世界に一つだけの聖杯(ドリンク)を創り出す高度な魔法ね」


「もう何言ってるか分かんないよ...」


 姉は手際よく複雑なカスタマイズを形にしていく。その様子はまさに熟練の魔法使いのようだった。


「はい、お待たせしました。『究極のスイートネス・フラペチーノ』の完成です」


「わー!完璧!ありがとうございまーす!」


 ギャルたちが満足げに去った後、レジの前に立ったのは一人のおじいちゃんだった。彼はメニューボードを呆然と見上げ途方に暮れている。ダンジョンの入り口で立ち尽くすレベル1の勇者のようだ。


「ええと...コーヒー、ください」


「お客様、ホットですか?アイスですか?サイズはいかがなさいますか?」


 乾さんがマニュアル通りに尋ねる。


「ホットで...サイズ?普通で...」


「普通ですとショート、トール、グランデ、ベンティがございますが...」


「しょーと...?」


 おじいちゃんのHPはもうゼロ寸前だった。


(あ、これはヤバい。完全にパニック状態だ)


「あのミルクはいかがなさいますか?低脂肪、無脂肪、豆乳、アーモンドミルク、オーツミルクから...」


「ちょ、ちょっと待って...」


 おじいちゃんが完全にフリーズした瞬間、見かねたあかりがそっと横から声をかけた。


「お客様、よろしければ私が。...普段はどんなコーヒーがお好きですか?例えば喫茶店で飲むような?」


「おお、そうじゃ。喫茶店の普通のコーヒーが...」


「かしこまりました。では『いつもの』、ご用意しますね」


 あかりはそう言うとドリップコーヒーのトールサイズをカップに注ぎ、にこやかに手渡した。


「どうぞ、ごゆっくり」


「おお、ありがとう。助かったよ...」


 おじいちゃんは心底ホッとした顔で席についていった。


 その様子を見ていた他の客たちもなんだかほっこりした表情を浮かべている。


「すげー、魔法解除した」


 さっきのギャルの一人が感心したように呟いた。


「え、魔法解除?」


「だっておじいちゃん完全に呪文にかかってパニクってたじゃん。それを一言で解いたんだよ?『いつもの』って」


「あー、確かに!」


(なるほど、姉ちゃんは呪文を解く魔法も使えるのか)


 ◆


 新人・乾さんが納得いかない顔であかりに尋ねる。


「黒木さん、なぜサイズや種類を確認しなかったんですか?マニュアルでは...」


「乾さん。最高の接客はねマニュアルの中じゃなくて、お客さんの表情の中にあるのよ。あの人は呪文(カスタマイズ)じゃなくて安心が欲しかったの」


「でも規則では...」


「規則も大切。でもお客さんが求めてるものを見極めるのも私たちの仕事よ。複雑な魔法が必要な人もいれば、シンプルな温かさが欲しい人もいる。どちらも正解なの」


 その時、先ほどのおじいちゃんがカウンターに戻ってきた。


「あのお嬢さん。このコーヒー、とても美味しいよ。ありがとう」


「どういたしまして。また『いつもの』飲みに来てくださいね」


「『いつもの』...いい響きじゃな。今度は孫も連れてくるよ」


 おじいちゃんが嬉しそうに帰っていく姿を見て、乾さんの表情が少し柔らかくなった。


「黒木さん...『いつもの』って、メニューにないですよね?」


「ないわね。でもお客さんの心の中にはあるの。私たちはそれを見つけてあげるだけ」


「心の中のメニュー...」


 乾さんが何かを考えるように呟いた。


 ◆


 僕はその様子を見ながらPCに今日のログを打ち込む。


『クロスカフェの呪文と、世界で一番シンプルなオーダー「いつもの」』

『魔法使いと魔法解除師 - 現代クロスカフェの二つの顔』


 姉ちゃんはどんな複雑な魔法も、たった一言で解いてしまう最強の魔法使いなのかもしれない。


 そして本当の魔法は、相手が何を求めているかを見抜く力なのかもしれない。


 今日のログはちょっとファンタジーっぽすぎるかな。でもまあクロスカフェって確かに魔法の国みたいなところがあるしいっか。


 僕はそんな気持ちを胸にキーボードを叩き続けた。渋谷の午後の陽射しが窓から差し込む中、現代の魔法使いたちが働くクロスカフェで今日もまた一つ、接客の真理を学ぶことができた。


(第7話完 次話へ続く)


 次回予告:

 その正論、ドリップがちょっと急ぎすぎかもです。


 #渋谷クロスカフェ #カスタマイズ #呪文 #いつもの #接客術 #魔法使い

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