第4話「その『とりあえず』って、実はブレンドの魔法なんです。」

「とりあえず」という言葉は、現代人の口癖かもしれない。


 とりあえずビール、とりあえず大学、とりあえず就職。


 でもその「とりあえず」を否定的に捉える必要はないのかもしれない。


 人生の選択に迷った時、まずは一歩踏み出してみる。


 それもまた立派な生き方の一つなのだから。


 そんな迷える現代人の背中を、一杯のブレンドコーヒーで押してくれる姉が今日もいる。


 ◆


 午後4時の渋谷クロスカフェ。


 平日の夕方、就活スーツ姿の学生たちがちらほらと見える時間帯。


 窓際のテーブル席では、リクルートスーツを着た男女3人組が重い空気を漂わせながら座っている。


 そして今日も、エスプレッソマシンの向こうで姉のあかりが、人生に迷う人たちへの処方箋を用意している。


 ◆


 渋谷クロスカフェ発、姉弟のゆるっとログ。第4話。


 今日のテーマは人生の選択について。やりたいことが見つからない僕のような人間には、耳の痛い話かもしれない。


 カウンター席で、僕は求人サイトを眺めながらため息をついていた。「やりがいのある仕事」「成長できる環境」「アットホームな職場」...どの会社も同じようなキーワードを並べていて、結局何が違うのかわからない。


(『やりがい』って何だろう。みんなそんなに明確な目標を持って働いてるのかな。僕なんて『とりあえず』でライターやってるだけなのに...)


 その時、窓際のテーブル席から聞こえてきた会話が僕の耳に飛び込んできた。


「とりあえずクロスカフェ行く?」

「将来どうしよ...マジわかんない」

「わかる。とりあえず大手受けとくか...」


 リクルートスーツを着た男女3人組が無気力な声で話している。僕は思わず「昔の俺みたいだ...」と共感してしまった。


「姉ちゃん、あの就活生たち見てよ。なんかやる気なさそう」


「あら、そう?私にはとても真剣に見えるけど」


 姉はブレンドコーヒーを淹れながら意外な答えを返した。


「え、でも『とりあえず』ばっかり言ってるよ?」


「『とりあえず』って、悪いことじゃないわよ」


 姉は完成したブレンドコーヒーの香りを確かめながら続けた。


「いろんな豆を混ぜて作るブレンドコーヒーだって、最初は『とりあえずこれとこれを混ぜてみよう』から始まるの。それが新しい味を発見する第一歩よ」


「でもそれって適当じゃない?」


「適当と柔軟性は違うのよ。一つの豆だけにこだわってたら絶対に出会えない味がある。『とりあえず』は可能性を広げる魔法の言葉なの」


(姉ちゃんの理屈、なんか説得力あるな...確かに最初から完璧を求めすぎてたかも)


 ◆


 その時、就活生の一人、茶髪の女の子が恐る恐るカウンターに近づいてきた。


「すみません!さっきの話聞こえちゃったんですけど...『とりあえず』で選択して、後悔したらどうしようって不安で...」


 僕は「直接相談しに来た...」と驚いたが、姉は自然な笑顔で答えた。


「後悔を恐れて何も選ばないのと、『とりあえず』でも選んでみるのと、どちらが後悔すると思う?人生って完璧な選択肢なんて最初から用意されてないのよ。自分で選んで自分で味を作っていくものじゃない?」


「試飲会...」


 女の子の目が少しだけ輝いた。


「そうよ。今日はこの味、明日はあの味。いろんな経験を重ねて、最終的に『これが私の味!』って見つかればいいの。最初から正解を知ってる人なんていないんだから」


 その会話を聞いていた残りの2人もだんだんとカウンターに近づいてきた。


「でも周りはみんな明確な目標があるように見えて...」


 黒髪の男の子が不安そうに言う。


「それも錯覚よ。みんな表面上は自信満々に見えるけど、内心は『とりあえず』で動いてる人の方が多いの。大切なのは『とりあえず』でも行動すること。立ち止まってたら何も始まらないもの」


「そっか...試飲会か」

「なんか元気出てきた!」

「とりあえず明日の面接頑張ってみます!」


 3人は吹っ切れたような顔で意気揚々と店を出ていった。


(姉ちゃん、またやったな...でも確かに『とりあえず』って悪い言葉じゃないのかも)


 ◆


「姉ちゃん、たまにいいこと言うよな...」


「たまにって何よ。いつもいいこと言ってるでしょ」


「でも姉ちゃんもバリスタになったのは『とりあえず』だったの?」


 姉は少し遠い目をした。


「大学卒業の時、やりたいことが見つからなくて。でもコーヒーを淹れてる時だけは心が落ち着いたから、『とりあえず』カフェで働いてみたの。最初は親に『フリーターになるの?』って心配されたけど」


「それで今は?」


「今は毎日違うお客さんと出会えて、一杯のコーヒーで誰かの一日を少し良くできるかもしれないって思えるようになった。『とりあえず』がいつの間にか『これしかない』に変わってたのよ」


 僕は姉の表情を見て少し感動した。


 姉が淹れてくれたブレンドコーヒーを一口飲む。確かに一つの豆では出せない、複雑で深い味わいがあった。


「このブレンド、美味しいね」


「でしょ?これも最初は『とりあえず』で作ったレシピなのよ。今では店の人気メニューの一つ」


 僕はPCを開きいつものネタ帳ファイルに新しい見出しを打ち込んだ。


『人生は壮大な試飲会である - 「とりあえず」の可能性』

『姉のバリスタ人生も「とりあえず」スタート』


 姉ちゃんの言葉はいつも僕の凝り固まった考えを柔らかくしてくれる。


 今日のログのタイトルは決まった。『「とりあえず」は人生のブレンドの始まり』。


 そして僕も「とりあえず」今日の記事を書いてみよう。姉ちゃんが言うように、完璧な選択を待つより、不完璧でも自分で選んで自分で味を作っていく方がきっと面白い人生になるはずだ。


 僕はそんな気持ちを胸にキーボードを叩き始めた。渋谷の夕暮れが窓から差し込む中、クロスカフェの温かい空間で今日もまた一つ、人生の真理を学ぶことができた。


(第4話完 次話へ続く)


 次回予告:

 甘すぎるオーダーには、エスプレッソでちょっと目覚ましを。


 #渋谷クロスカフェ #就活 #とりあえず #ブレンドコーヒー #人生選択 #試飲会

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