ネバーエンディングホワイト(中)
「『ペンギンSFアンソロジー』の貸出をお願いします」
「お、いいねぇ。上下巻があるけど、二冊とも? 上だけにしておく?」
「いえ、上下巻を一冊にカスタマイズしてください」
「……一冊に?」
「一冊に」
「千ページ超えるけど、大丈夫? ちょっとした鈍器だよ」
「鈍器本はロマンですよね!」
「よしきた、
前週に借りた本を貸出期限を待たずして読み終わり、返却がてら続きを借りに図書館を訪れた日曜の午後。僕の前にカウンターに並んだ一人の利用者と館長が、威勢よくそんな会話を繰り広げていた。僕と同年代と見える、ペンギンのプリントTシャツを着た小柄な女性は、銃弾すら防げそうな分厚い文庫を受け取ってほくほく顔だ。
女性が書架コーナーへ立ち去るのを見送ってから、僕はカウンターへと進み出る。館長は、先ほどの女性が返却したらしい書籍数冊――全ての書名に「ペンギン」が入っている――を、例の機械でリセットしている。表紙のペンギンたちが雪に紛れたかのように、本が漂白されていく。
「どうだった? その本」
いつもどおりの館長の問いに、僕は面白かったと笑顔で答えた。一、二週間ごとに繰り返されるこのやりとりは、僕がまだ小学生で、館長がまだ若々しくスタイルが良かった頃から続いている。それは僕が社会人になり、一般職だった館長が館長という肩書を得て、この図書館の蔵書の大部分がホワイトブックに置き換わった今でも変わっていない。
――全国の公立図書館がキャパシティオーバーに喘ぐ中、降臨した救世主がホワイトブックだった。館内には巨大製本機、および、ありとあらゆる判型の模擬紙を設備し、予算が許すだけの書籍データを蔵書としてデータベースに収蔵する。書棚には主立った書籍を再現したホワイトブックが並べられているが、例え現物がなくても、蔵書として登録されている、かつ、貸出中でない本であれば、即座に製本して貸し出すことが可能である。利用者は従来どおり、棚に並んでいる本をそのまま借りることもできれば、検索機で見つけた書籍をカウンターで「注文」することもできるというわけだ。
さらにホワイトブックの大きな強みとして、リセット機能がある。例えば、一緒に貸与されるタッチペンで問題集に直接答えを書きこんだとしても、返却時にリセットすれば元どおり。加えて模擬紙は形状記憶素材のため、ブックイヤーを付けようが水で濡れようが、破損さえしなければ純白に戻せるのである。また、もしも模擬紙が酷く傷んでしまったとしても、使用不能になった紙さえ除けば他は再利用できるため、丸一冊がダメになってしまうことは稀だ。
館長は今、先とは別の利用者が返却したらしい本から、栞にされていたと思しきDMハガキを抜き取っている。こればかりはリセットできないため手作業である。本好きを自称する僕は、本が雑に扱われているとやるせない気持ちになる。
「そういうの見ると嫌になりますね。まっさらな状態で返すのが当然でしょ」
僕が所感を述べると、館長は「まぁね」と苦笑した。しかし、ハガキを眺めて続けることには。
「でも、思いがけずこういうものを見つけると、ちょっと楽しい気分にならない? 栞って、なんかワクワクするよね。栞の下には、まだ知らない物語が待ってるからかな」
「それはまぁ、分からなくもないですけど」
僕が渋々認めると、館長は満足げに頷いてから、それとね、と付け加える。
「ぼくが思う図書館の大きな魅力は二つあるんだ。一つ目、無料」
「間違いないですね。身も蓋もないけど」
「二つ目。一冊の本を、たくさんの人と回し読みできる」
僕は口をへの字にして首を傾げた。本は綺麗な方が読んでいて気持ちいいというのが自論である。だが館長は違うらしい。
「本屋や古本屋の本だと、特定の一冊の本を手にする人は限られる。でも図書館の本は、何十人何百人が読み継いでいるんだよ。本そのものが歴史や物語を持ってると思うと、傷みや汚れも愛おしくなるんだよね」
「そんなもんですか」
そう言えばこの図書館の本には、館長の趣味で
そう正直に伝えると、館長はニヤリと笑って。
「きみはまだ、この図書館の楽しみ方を知らないようだ」
そんなことを言うものだから、なんだか負けたような気分になった。
ならばと、図書館ライフを満喫すべく館内を徘徊していると、一人の利用者が窓際の閲覧席を陣取って読書をしていた。先ほどカウンターで本を借りていた女性で、ペンギンの図鑑をうっとりと眺めながら「アデリー可愛いよ、アデリー……げへへっ」などと独り言を漏らしている。
僕が思わず後退った、その気配を察したのか、振り返った女性と目が合ってしまう。慌てて逸らそうとしたが、「こんにちは!」と朗らかに挨拶されては無視もできない。重ねて女性は言う。
「館長さんと仲良さそうに話してるの見ましたよ。常連さんですか?」
「ええ、まあ。子どもの頃からほぼ毎週通ってるので、甥っ子みたいに思われてるんじゃないかな」
「甥っ子というか、友達じゃないですかね。館長さん、本好きはみんな友達って思ってそう。っていうか、本が友達だから、友達の友達は友達みたいな?」
「確かに」
屈託無く笑う女性に、僕も思わず笑み零す。ペンギンを見る目は狂気じみているが、存外に話しやすい。僕も本が友達だからだろう。友達の友達は友達だ。
女性の傍にある鞄からは、先ほどの文庫本が覗いている。圧倒的な重量感と存在感に、話題にせずにはいられなくなった。
「さっき借りてたそれ、すごいですね。二週間で読み切れるんですか?」
「ああ、これ? 読み切れますよ、ペンギンは飲み物ですから」
さらりと謎の発言をしつつ、女性は自慢げに文庫を取り出してみせる。本来は上下セットのため、表紙は二冊を並べてつながるデザインになっているのだが、その縦横を入れ替えて一冊の表紙に収めているらしい。館長の取り計らいだろう。
近くの席に座り、そのまま会話を続けてみれば、女性はペンギン関連に限らず、かなりの読書家らしい。そしてやはり、紙の書籍にこそ強い魅力を感じているようだ。館内を見渡しながら、しみじみと言う。
「この図書館、いいですよねぇ。こんなに細かくカスタマイズに応えてくれるの、ここくらいですよ」
「やっぱり? 普通は館長自らカスタマイズなんてしないですよね」
一般的な図書館であれば、特別な事情でも無い限り、本は元版どおりの判型・冊数で貸し出すものだ。この図書館で当然のように受け付けているカスタマイズは、館長の厚意というか、趣味のようなものである。公共サービスの平等性という点では不適切かもしれないが、本をより読みやすく楽しんで貰いたいという館長の真心は本物だ。
「ここの館長さんって、近隣だとちょっとした有名人ですよ。図書館もそう。私、最初は例のうわさを聞いて来たんですけど、その本を実際に借りてみて、面白い図書館だなぁ、ってすっかり気に入っちゃって、それから常連に」
「うわさ?」
楽しそうに女性が語った言葉の一つが引っかかり、僕は思わず聞き直す。女性は「あれ?」と、意外そうに目を丸くした。
「知らないんですか? ほら、あの、うわさのやつ」
「なんの話かさっぱり」
「うわ、すみません、言っちゃまずかったかな。常連さんなら知ってるかと思って。忘れてください」
「いや、気になるじゃないですか。どんなうわさか教えてくださいよ」
引き下がらない僕に、女性はしばらく葛藤していたが、やがて観念したように言った。
「『この図書館には、どれだけ読んでも終わらない本がある』」
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