第29話 優しくなんてない僕を、それでも好きだと言った

 僕のお願い。

 そう切り出したあと、水樹さんは、最後まで一言も口を挟まずに僕の話を聞いていた。長い話だったのに、途中で退屈した様子も見せず、ただ真っ直ぐに僕を見つめていた。

 話し終えると、水樹さんはすぐには口を開かず、静かに空を見上げた。

 なにを考えているんだろう。

 「今さらなに言ってるの」と、呆れているのかもしれない。

 ……いや、そう思われても仕方ないな。あまりにも都合が良すぎる話だ。


「名取くん」


 名前を呼ばれて、思わず背筋が伸びる。けれど、水樹さんの視線は空に向けられたままだ。

 つられて僕も空を見上げる。

 ――オレンジ色に染まる夕空。美しい雲が、ゆっくりと流れていた。


「私の告白の答え。まだ聞いてないんだけど」

「……え?」


 告白? ああ、そうだ。完全に忘れてた。僕、水樹さんに告白されてたんだっけ。

ポカンとした顔をしていたのだろう。水樹さんは、じとっとした目で僕を睨みつけ、少し眉を寄せた。


「名取くん。あなた、自分のお願い言う前に、私の告白の答えを返すのが先でしょ。私、勇気振り絞ったのよ。ひどいわ。非常識よ」

「そ、それは……」


 言い返せない。言ってることは正論だ。ただ、勇気振り絞ったようには全然見えなかったんだけど。

 私、あなたのこと大好きよ。なんて、まるで、ご飯一緒行こ。くらいのテンションで言われたし。

 ……まあ、表情に出ないだけで、内心は緊張してたのかもしれない。

 でも、告白された以上、答えを出さないわけにはいかない。

 ――待てよ。このまま断ったら、水樹さんの機嫌が悪くなって、僕のお願いを聞いてくれなくなるかもしれない。

 とはいえ、情けで受け入れるなんて、水樹さんに対して失礼だ。

 ああ、どうすればいいんだ。


「水樹さん」

「なに?」

「ごめん。僕の気持ちは……やっぱり、今も七瀬さんにあるんだ。気持ちはすごく嬉しい。でも、水樹さんの想いには、応えられない」


 頭を深く下げた。小手先の言い訳なんてできない。僕はそんな器用な人間じゃない。

 だから、まっすぐに伝えるしかなかった。

 顔を上げると、水樹さんは無表情だった。ショックを受けているのか、それとも平然を装っているのか――わからない。


「やっぱり、そうなるわよね」


 ふっと、空を見上げたまま呟く。


「なんでかしら。少し、ホッとしちゃったわ」

「……はい?」


 意味がわからず、間抜けな声が出た。


「栞がね、うるさかったのよ。名取くんが好きなら、私に遠慮せず告白しなよ。どうせ紅葉が告白したら、名取くんは紅葉に乗り換えるんだから。って」

「七瀬さん、そんなこと言ってたの……?」


 思わず天を仰いだ。完全に信用ゼロじゃないか。

 まあ、七瀬さんは昔から水樹さんに対してちょっと嫉妬してたけど――まさか本人を目の前にして、そんなこと言ってたとは。

 案外、怖いもの知らずだな、七瀬さん。


「でも、ショックね。私、本気で奪い取ろうと思ってたのに。まんまと栞に騙されたわ」

「……それ、嘘だよね?」

「えっ?」


 水樹さんが髪をかき上げ、残念そうにため息をついたその瞬間、僕は口を挟んでいた。

 本当に、無意識だった。言葉にしてから、ようやく自分が言ったことに気づいた。


「水樹さん。僕にフラれるの、わかってて告白したでしょ」

「……私がそんなことして、なんの得があるのかしら?」

「得なんてないよ。全部、七瀬さんのためでしょ」


 即答すると、水樹さんは一瞬だけ目を逸らした。僕は構わず続ける。


「七瀬さんはずっと、水樹さんに嫉妬してた。水樹さんはそのことをわかってたから、わざと僕に告白したんでしょ。私がフラれた。っていう事実があれば、七瀬さんは安心できる――そう考えたんだ」


 それは、完全に僕の勘だった。けれど、不思議と確信に近い感覚があった。


「でも、違うよ。七瀬さんが僕に別れを告げたのは、僕自身の問題だ。七瀬さんは水樹さんに嫉妬してたけど、それでも僕の傍にいてくれた……でも、僕が枯れたアネモネに気づかないような、冷たい男になったから。だから、別れを決めたんだ」


 だから、水樹さんに責任なんてない。親友のためにピエロを演じる必要なんて、もうない。

 しばらく黙っていた水樹さんが、やがて静かに顔を上げた。


「ねぇ、名取くん」

「なに?」

「いつも自信なさそうなあなたが、どうしてそんな自信満々に言い切れるの?」


 ……いつも自信なさそう? そんな風に見られてたのか。

 でも、答えはひとつだった。


「僕が見てきた水樹紅葉って人は、そういう人だからだよ」


 そう断言すると、水樹さんはキョトンとした顔になった。


「水樹さん。君は思ったことをズバズバ言うし、空気もあまり読まないタイプだ。だから、周りには冷たいとか、怖いとか、誤解されやすい。でも、僕は知ってる。君は自分を差し置いてでも、相手の幸せを願う人だ……。そうだね、僕はなれなかったけど、水樹さんはなれてたんじゃない、のび太くんに」


 自分よりも他人の幸せを優先する。それは、簡単なようで、ものすごく難しいことだ。誰だって、自分が一番大事だから。でも、水樹さんは違った。たとえ嫌われ役になっても、誰かのために動ける人だった。

 きっと、もし誰かがループの力を持っても、僕と同じように過ちを繰り返すだろう。


 でも、水樹さんだけは違う。彼女は、その力をすぐに手放せる。

 僕の知る水樹紅葉は、そういう人だ。

 普通なら「そんな人間じゃない」と否定すると思っていた。けれど、水樹さんは少し頬を染めて、「ありがとう」と小さく微笑んだ。

 その笑顔があまりに柔らかくて、胸が温かくなる。

 だが、次の瞬間、彼女は僕を睨みつけて指を差した。


「でもね、名取くん。私も一度告白した以上、もう遠慮しないわ。これからは栞と殴り合いになってでも、あなたを奪う……そうね、いっそのこと色仕掛けでもしてみようかしら」

「ちょ、ちょっと待って。殴り合いはやめよう?  色仕掛けは……いや、それもやめよう」


 そう言いながらも、心臓がバクバクしていた。

 でも、その言葉ってつまり――。


「水樹さん、それって、僕がさっき言った――」


 と言いかけた瞬間、水樹さんの指が僕の唇に触れた。

 答えはなかった。ただ、羽のように柔らかな微笑みを残して、彼女は静かに背を向ける。

 そのまま、夕焼けの坂道をゆっくりと歩いていった。僕は呼び止めようとしたが、体が動かなかった。

 彼女の後ろ姿を、ただ見送ることしかできなかった。


 ――なぜだろう。

 胸の奥で、何かがざわめいた。

 まるで、大切な人を失うような――そんな、嫌な予感がした。


                              最終章 終


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る