第15話 修学旅行、観覧車の上で恋が動き出す

 翌日。僕たちはまた同じ四人で、ディズニーランドを回っていた。

 人気アトラクション中心のスケジュールで、一時間以上の待ち時間もザラだったけど――会話が弾んだおかげで、退屈することはなかった。


 並びながら、僕はふと、一年前のことを思い出していた。

 仁、七瀬さん、水樹さん。この三人と急に仲良くなったのは、中学二年の六月ごろ。

 仁が早朝のロードワーク中、偶然僕と鉢合わせしたのが最初だった。それから一緒に練習するようになって、自然と話す機会が増えた。

 それまでは、どこか人を寄せつけない雰囲気だった仁が、少しずつ変わっていく。

口数が増えて、表情も豊かになって。最初は人見知りだったのに、気づけば誰とでも普通に話せるようになっていた。


 七瀬さんは、最初から明るくて社交的だった。

 仁と一緒にいると、よく話しかけてきて――正直、最初は「もしかして仁のことが好きなのか?」なんて勘ぐってた。

 でも、誰にでもあんな感じなんだ。人懐っこくて、天真爛漫で、掴みどころがない。

 ただ、去年の冬――水樹さんへのプレゼントを一緒に買いに行ったときから、少しずつ僕への態度が変わった。それまでは相槌ばかりだったのが、「そうかな?」とか「私はこう思うな」って、ちゃんと自分の意見を言うようになった。


 その小さな変化が、僕には妙に嬉しかった。

 誰にでも優しい七瀬さんが、自分にだけ“素”を見せてくれるような気がしたから。

 水樹さんだけは――変わらない。

 一年前からずっと、容赦なくズバズバ言ってくるし、そのくせちゃんとフォローもしてくれる。冷たいって言う人もいるけど、僕は思う。

 この中でいちばん優しい人は、水樹さんだ。

 ……ただ、その優しさが、時にものすごく強引だってことを、僕はこのあと痛感することになる。


 遊園地の滞在時間も、残りわずか。

 最後のアトラクション――観覧車の列に並んでいたとき、事件は起きた。


「ごめんなさい。私、急にお手洗いに行きたくなったわ」


 水樹さんが唐突に、とんでもないことを言い出す。


「えー!? このタイミングで!?」


 七瀬さんの声が、周囲に響くほど大きくなる。


「我慢できないの?」

「難しいわね。もしかしたら、観覧車の中で漏らすかもしれないわ。嫌よ、中学校の修学旅行、観覧車で放水したなんて思い出残すの」

「う、うわぁ……それはイヤだね……」


 七瀬さんが引きつった笑みを浮かべる。

 まあ無理もない。今回、観覧車は七瀬さんがいちばん楽しみにしていたのだ。

 そんなタイミングでのトイレ宣言。空気が読めなさすぎる――いや、逆に読んでるのか?

 そして、さらに追い打ちをかける声が。


「あー、ヤバイ。俺も行きたくなってきた」


 仁。お前までか。


「えっ、北村くんまで!?」

「ああ。しかも“大”かもしれねぇ。嫌だぜ、中学の修学旅行で観覧車の中でウンコ漏らすとか」


 誰も“大か小か”なんて聞いてない。

 しかも好きな子の前で“ウンコ”って単語を出す勇気。さすが仁、無駄に肝が据わっている。


「そう。じゃあ連れションしましょうか、北村くん」

「おお、いいな。燃えるぜ」


 燃える要素、どこにあるんだ。

 ……でも、この二人の狙いはわかった。

 仁と水樹さん。きっと、僕と七瀬さんを二人きりにするために、仕組んでいる。


「うー、仕方ない。観覧車は諦めるよ」


 項垂れながら列を外れようとする七瀬さんの腕を、水樹さんが掴んだ。


「何言ってるの、栞。あんなに楽しみにしてたじゃない」

「そんなこと言ったって、二人とも行けないんじゃ仕方ないよ」

「なんで仕方ないのよ? 名取くんと二人で乗ればいいじゃない。ね、名取くん?」


 ――急にパスが来た。悪質な高速カウンターアタックだ。

 一瞬で空気が静まり返る。仁と水樹さんの視線が、無言の圧を放っていた。

 お前、ここで逃げたら殺すぞ――そんな目。

 これは完全に脅迫である。けど、ここで逃げたら、男として示しがつかない。

 心臓はドラムロールみたいに鳴ってるのに、頭は妙に冷静だった。


「そうだね。七瀬さんが嫌じゃなければ、一緒に乗ろうよ。せっかく並んだんだし、楽しみにしてたんでしょ?」


 そう言うと、七瀬さんは目を丸くした。

 しばらく俯いて考え込んでいたけど、やがて小さく頷く。


「……うん。じゃあ、一緒に乗ろっか」


 少し緊張した声。けど、頬はほんのり赤い。その瞬間、後ろの方で仁と水樹さん が、さりげなく親指を立てていたのを僕は見た。


 ――この二人、やっぱり黒幕だ。

 でも、まあいいか。

 観覧車のてっぺんで、世界が少しでも変わるなら。

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