第6話 名取くんは逃げられない

「水樹さんの誕生日?」

「そう。十二月二十日」

「二十日って、来週か」

 放課後の帰り道。まさか七瀬さんと並んで下校する日が来るなんて――しかも買い物に付き合ってなんて頼まれるなんて。幸せ貯金の残高がゼロにならないか心配だ。


「ねぇ、返事聞かずに引っ張っちゃったけど、一緒に行ってくれるよね?」


 七瀬さんは小首をかしげ、チワワ級のうるうる目でこちらを見る。


「もちろん。……でも、なんで僕? 他の友達でもよかったんじゃ」


 素朴な疑問に、七瀬さんはふうっと小さくため息を落とし、前髪を指先で整える。


「うん。普通の子には難題でさ。私もだけど」


 どゆこと?


「紅葉、サッカー好きなのは知ってるよね? しかも日本代表とかじゃなくて海外の選手。女子はそのへん疎いんだ」


 それはわかる。実際、水樹さんのサッカー知識は僕や仁でも唸るレベルだ。


「でも、水樹さんの趣味に無理に合わせなくても。普通に女の子が喜ぶもの――とか」

「例えば?」


 ぐっ……具体例を求められて詰まる僕。七瀬さんは肩を落として、空に白い息をひとつ。


「去年はポーチとスマホカバーにしたの。私的には、紅葉のやつ、ちょっとダサいし新調させようって気持ちで選んだんだけど……そのダサいと思ってた柄、紅葉お気に入りのサッカーロゴだったみたいで。全然使ってくれなかった」


 声がワントーン沈む。よほどショックだったのだろう。


「だから同じ失敗は二度としない。わかるでしょ?」

「……うん」


 僕はうなずく。正直、口実なんてなくても一緒に行けるなら大歓迎だ。


「で、目星は?」

「ふふん、安心したまえ。調査済み」


 と胸を張り、七瀬さんはスマホのメモを開く。


「ええっと……ガットゥーゾ、インザーギ、マルディーニ、アズーリ、ロッソネロ……他にも色々。メッシとかロナウドなら私もわかるのに」

「うん、それ現役じゃない選手だよ。アズーリはイタリア代表の愛称、ロッソネロはACミランのこと。……つまり、水樹さんはイタリア&ミラン派」


 七瀬さんがぱちぱち瞬きして、顔を近づけてくる。


「その言い方、名取くんは詳しい感じだね」

「まあ、父さんの影響で」

「さすが。――やっぱり紅葉と名取くん、お似合い。いっそ付き合っちゃえば?」


 心臓がひゅっと縮む。


「つ、付き合うって、僕と水樹さんが?」

「うん。趣味合うし。それに名取くん、紅葉相手でも尻込みしないでしょ。紅葉も心の底では名取くんに心許してる感じするし。私ね、ずっと、この二人は良いって思ってて……だから今日名取くんを誘ったの」


 どうして仁じゃなくて、僕と――。

 胸の奥が、ちくりと痛む。


「私、名取くんが相手なら応援するんだけどなぁ」


 体温が不自然に上がる。これはたぶん、嫉妬だ。


「名取くん?」


 覗き込む七瀬さん。やばい、このままだと顔に出る。


「あっ……ごめん、今日、用事あったの忘れてた。ほんと、ごめん!」


 と、踵を返そうとした瞬間、手首をぎゅっと掴まれ、動きが止まる。七瀬さんの瞳が少し潤んでいた。


「私、怒らせたならごめん! だから、逃げないで」

「いや、逃げてないよ! 用事があって」

「どんな? 言ってみて」

「そ、それは……塾とか」

「はぁ!? その今ひねり出しました系の嘘じゃん! 名取くんが塾なんて初耳。そんな低能な嘘よく思いついたね!」


 グサァッ。可愛い子に低能って言われるの、斧で刺されるくらい痛い。


「言いたいことがあるなら言って。男の子でしょ」


 バカ野郎。ここで、好きだから、なんて言えるか! 漫画の最終回迎えちまうわ!


「……もう一回聞くよ。用事ってなに?」

「……嘘です。用事なんてありません」

「じゃあ、今日付き合ってくれるよね?」

「……はい」


 完全に白旗。手を離した七瀬さんは、眉を寄せて小さく息を吐く。


「ごめんね。無理に紅葉とくっつけようとしたからだよね。気に障ったなら謝る。……もしかして、他に好きな人いる?」


 胸がまたちくり。言えるわけがない。ループに頼って告げる気にもならない。


「そっか。――ごめん、言えないよね」


 七瀬さんは少しだけ寂しそうに微笑み、すぐにぱっと明るい声へ切り替えた。袖口をちょいちょい引っ張って、


「とにかく今日は頼りにしてるから。名取くんが命綱」

「お、おお……」


 そんなふうに言われて断れる男がいるだろうか。

 僕たちはアーケード街へ向かい、イタリア&ミラン系のグッズを扱う店やスポーツショップを覗きながら、水樹さんへの誕生日プレゼントを探すことにした。


 冬の夕陽が商店街のガラスに反射して、並ぶ二人分の影を、少しだけ近づけた。




 僕と七瀬さんはスマホで店を検索し、アーケードから少し離れた大型スポーツショップへ向かった。まっすぐサッカーコーナーへ。

 店内は広く、ユニホーム、スパイク、タオル、マグ……今まさに旬の選手のグッズは山ほど並んでいる。けれど、


「紅葉が好きな選手ってマニアック?」

「違うよ、時代が古すぎるんだ」


 どの名前も、現役だった頃は一線級。二十年前に来ていれば、ここ一列、全部その選手で埋まってたはずだ。

 結局、七瀬さんはACミラン(ロッソネロ)のロゴ入りマフラーとマグカップをチョイス。レジ前で箱を抱え、満足そうににへらっと笑うのが、ちょっと可愛い。

 会計を待ちながら、僕も紅葉さんに何か買うべきかな? と一瞬よぎったけれど、やめた。そこまで親しいかは微妙だし、気を遣わせるだけかもしれない。――いや、紅葉さんなら普通に「なぜ私が名取くんからもらうの?」と言いそう。


 会計を終えて店を出る。


「名取くん、今日はありがと」


 七瀬さんが、紙袋を胸に抱いてにぱあっと笑う。その顔を見て、僕はようやく胸を撫で下ろした。


「よかった。じゃ、僕は――」

「待って」


 くるりと振り返る前に呼び止められる。


「今日付き合ってくれたお礼をさせてよ」

「いいよ。大して役に立てたかも怪しいし」


 正直、もう少し一緒にいたい。でも、さっきの話(くっつけ計画)もあるし、まだ気恥ずかしさが残っている。


「ダメ。私が気が済まない」


 むっと唇を尖らせ、眉をきゅっと寄せる。思った以上に頑固だな、この人。視線を横にそらすと、自販機が目に入った。


「じゃあ、缶コーヒーでいいよ」

「ダメ。缶コーヒーは絶対ダメ」

「どうして? 高いの奢らせたくないし」

「喫茶店のコーヒーにしよう」

「それ、違いある?」


 味? 価格? と考えていると、返ってきたのは想定外の答え。


「名取くんは“店内に閉じ込める”のが正解。外だと、また逃げ出すから」


 頬をぷくっと膨らませて、上目遣いで睨む。自分から蒸し返してくるとは思わなかった。

 なら帰る。と言える度胸が僕にあるわけもなく、無垢でまっすぐな瞳に射抜かれ、結局こくりと頷いた。


「……わかった。じゃ、いい店、知ってるところあるから」

「やった。案内お願いしまーす」


 紙袋を揺らしながら小走りで並んでくる七瀬さん。冬の透明な空気の中、二人分の白い息が、しばらく同じリズムで弾んだ。

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