第6話 正義の味方?
「どしたの? 悩みごとかい?」
普通、なにかしらの理由で落ち込んでいる人がいたならば、気を使って声をかけるか、逆に気を使ってそっとしておくかの二択ではないだろうか。少なくとも、夏生にはそれ以外の選択肢はない。
けれど今、夏生の目の前にいる少女は、そのどちらにも当てはまらないらしい。
夏生が纏っていた重苦しい空気など、まるでわかっていないかのような微笑みと明るい声色。
いや、悩みごとかと聞いてくるからには、わかっていないわけではないのだろう。
夏生が何かに思い悩んでいるとわかったうえでの、あえてのこの笑みなのだ。
ともすれば煽りにも見えてしまいそうな少女の言動だが、夏生はそうは捉えなかった。
その笑みがきっと、少しでも軽い気持ちで話せるようにという彼女の気遣いだと、春から共にクラス委員を務めてきた夏生にはわかったから。
「今なら特別に、タダでお悩み相談を受け付けておりますよ?」
目を細めて笑う少女が、覗き込むようにして顔を近づけてくる。
少女が首を傾げれば、サイドに流していた前髪が片目を隠す、ハイトーンベージュのミディアムヘアはいつ見ても綺麗だ。
顔つきはシャープで大人びているが、いつも明るい微笑みを絶やさないせいか、年相応の幼さも感じさせる。
しなやかさを備えたスリムな体型で、スカートから伸びる長い脚はとてもスマートだった。
冴とはまた違ったタイプだが、異性の目を惹きつける容姿であることは違わない。
そんな美点といえる特徴が満載の少女の名は、
ずいぶんと親し気な様子の雪奈だが、彼女は冴とは違い、昔からの知り合いというわけではない。夏生が雪奈と知り合ったのは、この春のこと。
雪奈は転校生だったのだ。
二年生の開始に合わせて転入してきた雪奈は、その容姿と持前の明るい性格で、あっという間にクラスに溶け込んだ。
男子は誰もクラス委員をやりたがらず、押し付けられるようにしてなった夏生とは違い、雪奈は早くクラスに馴染みたいからと、自ら立候補していて、その行動力には皆が驚いていたものだった。
雪奈はフランクな性格を体現したような人物で、その人柄にはクラスメイトたちも惹きつけられているのだろう。夏生はこのクラスで、雪奈のことを悪く言う言葉を聞いたことが一度もなかった。
もちろん夏生も、雪奈に対して悪い印象などなく、冴のことを抜きにしても、押し付けられたはずのクラス委員を素直に楽しみにしてしまうくらいには、雪奈にいい印象を抱いている。
「びっくりしたぁ。雪奈さんまだ帰ってなかったんだ」
「うん。てかそんなにびっくりした?」
「それはもう。誰もいないと思ってたから。でも、どうして帰ってなかったの?」
「そんなの、夏生くんを待ってたに決まってるじゃん」
ふざけたような雪奈がウィンクをする。実際にそんなことをする人を夏生は初めて見たが、美形がやればどんなことでも絵になるものらしい。自分の脈が速くなったような気がした夏生は、まだ雪奈が残っていたことに驚いているからだと、自分の中だけで言い訳を唱えた。
「せっかく待っててあげたんだからさ、もっと嬉しそうにしなよ、ほらほらぁ」
「嬉しいは嬉しいんだけど、でも大丈夫なの雪奈さん?」
「大丈夫って何が?」
「だってもう外暗いし、だいぶ寒くなっちゃってると思うけど」
夏生はこの半年とちょっとの間で、雪奈のことはそれなりに知っているつもりだった。
もちろんクラスメイトとして当たり前の範囲でだが。
例えば、名前に冬の代名詞を冠している彼女が、とても寒がりで冷え性だということ。
春に出会った頃から、雪奈は制服の上に必ずカーディガンを羽織っていたし、それが夏になっても変わることはなかった。
夏に委員の仕事で残っていたとき、夏生は暑くないのか聞いてみたことがあるが、むしろエアコンの風で足先が冷えると聞いて、それ以降は夏生の中で、雪奈は極度の寒がりに認定されていた。
そんな雪奈は、もちろん今もカーディガンを制服の上から羽織っている。袖から出ているのは指先だけで、それがなんとも可愛らしい。
とにかく、夏生は雪奈が寒がりなことを知っていた。だから先に帰るように伝えていたのだが、雪奈はそれでも夏生のことを待っていてくれたらしかった。
「寒くて帰りが辛くなっちゃうんじゃないの?」
「え? あぁ~まぁ大丈夫大丈夫!」
夏生が心配して聞いてみるも、一瞬だけ呆気にとられた顔をしたように見えた雪奈は、すぐにまたいつもように朗らかに笑う。その表情の変化が、外の寒さのことなんて、まるで考えていなかったみたいに見えた。
「そんなことより夏生くんのお悩みだよ。なんだか深刻そうじゃん」
「や、別に僕は悩みなんて」
「それ嘘だよ。わかるんだなぁ私」
断言されてしまう。
すぐに否定しようとした夏生だったが、雪奈に近距離で見つめられると言葉がでなかった。
その細められた瞳に、まるで全てを見透かされているような気がしたから。
そんな訳はないのに、制服の下に隠している痣まで見られているようで、夏生は思わず自分の腕を抱いていた。
「私ってさ、よく人から悩みを相談されるんだよね」
「そ、そうなんだ?」
急なその声明の真偽は夏生には分からない。
いくらこの半年で親しくなったとはいえ、同じクラス委員としての範疇でだ。雪奈のプライベートまでよく知っている訳ではない。
けれど、よく悩みを相談されるというその言葉は、なんとなく夏生としても納得だった。
誰とでも仲良くなれるほど親しみやすく、それでいていつも笑顔で飄々としているどこか捉えどころのない雪奈は、一人でなんでもできてしまうような、オールマイティさを感じさせるから。この人ならなんとかできるのではないかと、そういう期待感を、悩める人に感じさせるのだろうか。
「雪奈さんって頼りになりそうだもんね」
「そうなんだよ! 私に相談した人たちは皆笑顔になって帰ってくからね。顧客満足度高いんだよ?」
「あはは、何年連続ナンバーワン! とか書いてありそう」
「てわけでぇ、見ただけでわかっちゃうんだよね悩みがある人。夏生くんも私にぶちまけちゃいなよ?」
「い、いやだから僕はね」
「あーんしんしなって! ちゃんと私が受け止めたげるから」
そう言って雪奈は腕を広げる。まるで、そのまま抱きしめてあげるとでも言うような体勢で、揶揄うような笑みを浮かべている。
このまま雪奈の元へ行けば、本当に受け止めてくれそうな、そんな安らぎを夏生は確かに感じた。けれど、それでも夏生は悩みを打ち明ける気になんてならない。
こんなことを言っても、困らせてしまうだけだとわかっていたから。
雪奈が想像しているのは、きっと恋愛事とか勉強についてか、せいぜいが高校生にありがちなそんなところなのだろう。まさか夏生が冴から束縛され、暴力を受けているなど思ってもいないはずだ。
かるく考えている相手に相談したところで、状況がよくなるわけもない。そもそも、こんなに重い相談を、ただのクラスメイトにするわけにはいかないだろう。
「心配してくれてありがとう。でも本当に」
「このまえ、おでこに怪我してたよね?」
「え? あ、うん」
急な話題の転換に、夏生は思わず口ごもる。
いつの間にか、雪奈の顔から笑顔が消えていた。
「どうして怪我したの?」
「あれは、その、転んじゃって」
「じゃあこれは?」
「あっ!?」
一瞬の出来事だった。
腕を掴まれた夏生は、抵抗する間もなく雪奈に袖をまくられてしまう。
さらけだされた腕には無数の痣。
慌てて雪奈の腕を振り払い、痣を隠そうとするも、もう遅いことは明白だった。
「その痣はどうしたの?」
「これも、転んだときに」
「残念だけど、転んでもそんな痣はつかないんだよ夏生くん。それに私は、そういう痣を見たことがあるからね」
苦しい言い訳だということは、夏生自身わかっていた。
だがそれでも、こうもはっきりと断言できる雪奈は、いったい何を知っているというのだろうか。
「誰かにやられたんでしょ?」
恐ろしくあっさりと確信をつかれ、夏生は思うように言葉がでない。
この時点で、夏生はもう完全に受けに回ってしまっていた。
「ち、違うよ! これは自分で」
「DV受けてる人はそう言うんだよね」
「え?」
「自分が悪いからって相手を庇うの」
「な、DVって、いったい何を言って」
「彼氏からDV受けてた子の相談も受けたことあるから、わかっちゃうんだよね」
わかる。と雪奈は確信をもってそう言ってくる。
その瞳に見つめられると、全てを見透かされているような気分になる。
もう目を合わせることができなくなって、夏生はその瞳から逃げるように視線をそらした。その動作が、雪奈の言葉を肯定していることになるとも知らずに。
「最近心配してたんだよ? だっておんなじだからさ。あの子と夏生くんが被るんだよ。痣を隠す仕草とか、常に相手を気にして、ビクビクしながら過ごしている様子とか、まるっきり一緒だったから」
雪奈が言っていることは、きっと作り話ではないのだろう。
本当に相談を受けたことがあると、そう信じることができるほどに、確信を持って話しているであろう雪奈の言葉はよどみがなかったから。
痣も見られた今、もう誤魔化すことはできない。それでも口ごもることしかできない夏生に、雪奈はとっておきの爆弾を投下してきた。
「夏生くんが怯えてる相手は、黒川さんでしょ?」
本当にどこまで見抜かれているというのだろうか。
常日頃から相談を受けている人というのは、そんなにも観察眼が鋭くなるというのだろうか。
夏生にはわからない。わからないが、このまま認めることもできなくて、考える前にこの場から逃げ出そうと、夏生は雪奈に背を向けようとした。けれど、
「あっ、雪奈さん!?」
逃げ出すよりも早く、夏生はその手を雪奈につかまれていた。
けして離さないというように力強く。それでも気遣うように丁寧に。
そんな心遣いを感じて、夏生は素直に立ち止まっていた。
もう逃げ出さないとわかったのだろうか。雪奈がまたいつものように笑ってくれる。
そのまま夏生の手を両の手で包み込んでくれる。
雪奈の手は、その名に反して温かく、じんわりと伝わってくるその熱が、夏生の心にまでしみてくるようだった。
「安心して、その子の問題も無事に私が解決したから。ちゃんと頼りがいあるよ」
「いや、でも僕は」
「ねぇ夏生くん。私たち、一緒にクラス委員を頑張ってきたじゃん? 私は夏生くんがクラスで一番親しい人だと思ってるんだよ? だからさ、夏生くんが困ってたら、そのままになんてできないよ」
真摯な言葉だった。
嘘や誇張が一切感じられない。本心から心配してくれているのだと、夏生はそう感じたのだ。
その言葉と、態度、表情、雪奈の全てに、夏生の心の壁が溶かされていく。
こんなにも優しく手を握られて、こんなにも優しい言葉をかけられて、夏生にはもう、本心を押さえておくことなどできそうになかった。
「力になるから。私を頼って、ね?」
向き合う雪奈に手を握られたまま、夏生はもう抵抗せずに頷いた。
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