第8話:仮面の使徒 ―グレイの真意―

 黒い翼が広場を覆い、風が鋭く切り裂く。

 グレイ・ヴァルドが、静かに降り立った。


 仮面に覆われた顔は表情を読めない。

 だが、その瞳孔の奥には、底知れぬ意志があった。


 「英雄の残響……リオ・フェルネス。やっと会えた」


 声は低く、だが奇妙なほど滑らかだった。

 それが闇の使徒であるはずなのに、不気味なほど穏やかに響く。


 リオは前に出た。

 カイとアイリスが身構える。


 「グレイ……どうしてアストラをこんな状態にした?」


 グレイは微動だにしない。


 「誤解しているよ。これは“わたしの望んだ未来”ではない」


 「じゃあ誰が――?」


 グレイはゆっくり仮面の角度を傾けた。

 黒い翼が広がり、影が石畳を覆い尽くす。


 「ノクスは……既に自立している。

  わたしが導いたはずの闇は、ただ“在るもの”となってしまった」


 アイリスが眉を寄せた。

 「意思を持ち始めたってこと……?」


 「そうだ。

  本来、闇とは“意思なき力”であるはずだった。

  だがノクスは異界の構造そのものに侵入し、寄生し、成長を始めてしまった」


 グレイの声がどこか悔しげに微かに震えた。


 「だから私は止めようとしている。

  暴走を、そして……お前の力の暴走を」


 「……僕の?」


 リオが眉をひそめる。


 グレイは仮面越しにリオを射抜くように見た。

 そこに、冷たい覚悟が宿っていた。


 「お前は英雄の残響。

  光の血脈が生んだ“異端”。

  その力は世界の均衡を壊す。

  だから――排除する必要がある」


 カイが叫ぶ。

 「結局俺たちを敵として見てんじゃねーか!!」


 グレイは静かに翼を広げた。


 「いや。

  敵ではない。

  “対象”だ。

  光を潰さなければ闇も安定しない。

  均衡のためには、どちらかが――消えるべきだ」


 その瞬間、空気が裂けた。


 グレイが動いた。

 黒い光の線が走る。

 カイの炎が飛び散る。


 「速ぇ!!」


 アイリスが急ぎ支援結界を張るが、その上からグレイの一撃が叩きつけられる。

 結界が軋み、青い火花が散った。


 リオは踏み込み、光を纏う。

 胸奥に、英雄の声が響く。


 ――行け。

 ――まだ抑えろ。

 ――使うときが来る。


 (今は……まだじゃない)


 グレイの動きは速い。

 だが底が見えないほどの深い闇が、まだ隠されている。


 「リオ、下がれ!」

 カイが叫ぶ。


 だが、リオは前へ出る。

 それが自分の役目だと分かっていた。


 「グレイ!! 僕に何が起きるって言うんだ!!」


 グレイが手を伸ばす。

 黒い光の糸が空間ごと歪め、リオの腕を拘束する。


 「お前の光は、やがて世界を焼き尽くす。

  英雄の血脈は“宿命”だ。

  それを止めるために、私はここにいる」


 リオは歯を食いしばる。

 黒い拘束を破ろうと光を集める。


 そのとき――少年が叫んだ。


 「ダメ!! グレイは……本当は……!」


 全員の視線が少年へ向く。


 グレイの動きが、初めて揺れた。


 「……やはり覚えていたか」


 少年は震えながらリオの腕を掴む。

 その手は冷たいが、必死だった。


 「グレイは……アストラの守護者だった……

  本当は僕たちを守るための……“白翼の従者”……!」


 アイリスの目が見開かれる。


 「白翼……? でもグレイの翼は――」


 グレイは静かに言った。


 「染まったのさ。

  ノクスに。

  闇に。

  そして……世界の歪みに」


 「……!」


 少年が続ける。

 「グレイは僕たちを守ろうとした。

  アストラが飲み込まれないように……

  でも、ノクスは強くて……

  グレイを取り込んでしまった……!」


 風が止まった。


 広場の空気が、張り裂けるような沈黙を迎えた。


 リオは、グレイを見る。

 その黒い翼が、痛ましいほどに震えていた。


 「……本当なの?」


 グレイは少しだけ顔をそらした。

 仮面の奥で、何かが揺れている。


 「……守れなかった。

  だから私は……せめて、均衡だけでも保とうとしている。

  お前を倒すことで、光と闇を均すために」


 リオは拳を握った。


 「じゃあ言わせて。

  ――僕は負けない。

  でも、あなたも“敵”だとは思わない」


 グレイは息を呑んだ。

 その翅が止まり、時間が一瞬だけ静止した。


 「……愚かだ。

  それが英雄の残響の弱さだ」


 仮面の奥で、微かな感情が揺れる。


 「だが……その言葉は嫌いじゃない」


 黒い影が再び蠢く。

 広場が揺れ始める。


 「話は終わりだ。

  来るぞ、リオ。

  ここからは――闘いだ」


 闇が広がり、広場を飲み込む。


 グレイ・ヴァルドとの本当の戦いが、動き出す。

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