インティに祈る男

増田朋美

インティに祈る男

その日はよく晴れた日で、本当にのんびりした秋晴れというのにふさわしい日であった。杉ちゃんたちは、のんびりと、着物を縫ったり、ピアノの練習をしたりして過ごしていたのであるが。

「こんにちは、杉ちゃんと水穂さんはいますか?」

という一人の女性の声がした。それと同時に、ちょっと変な発音で、

「すみません。どうしても相談したいことがありまして。」

という男性の声がした。水穂さんはピアノを弾くのをやめて、すぐに玄関へ行ってみると、一人の女性が、一人の白い杖を持った褐色の肌の男性といっしょに、来訪したのであった。女性は、男性にここで靴を脱ぐようになど指示している。

「お前さんは、えーと、以前ここに所属していた、藤森加恵さんだね。」

と、かろうじて名前を覚えていた杉ちゃんがそう言うと、

「はい、藤森です。そして、こっちに居るのが夫の藤森コウタです。」

と、加恵さんはそう紹介した。

「はじめまして。僕は、藤森コウタと申します。加恵さんには、ゴンチャンと呼ばれています。」

変な方を向いて言うその男性は、その顔つきから、明らかに、盲人であるとわかった。しかも、いわゆる白人ではなく、肌は褐色で浅黒い顔をしている。

「まあとりあえず上がれ。お茶でも飲んで落ち着いてもらおう。」

杉ちゃんにそう言われて、全員食堂へ行った。ゴンチャンと呼ばれていたその男性は、加恵さんに手を引いてもらって、移動している。

「改めて初めまして。藤森コウタと申します。旧姓は、コウタ・ガルシアです。職業はチャランゴとギターの演奏です。」

ここまで理解するのに、杉ちゃんたちは数分かかった。とりあえず杉ちゃんが、

「チャランゴって何だっけ?」

と聞くと、

「ミニサイズのギターのような楽器で、どうにアルマジロの皮を貼ってあるんです。」

と、水穂さんは答えた。

「そうなんですか。わかりました、というわけにはいかん。それで藤森さんと名前を名乗っているからには。」

「はい。あたしが一人っ子で、家を継がなければならないので、彼に姓を変えてもらって、藤森になってもらいました。彼のほうが、海外から来てるから、姓を変えるのに抵抗はありませんでした。」

と、加恵さんは言った。

「そうなんだね。お前さんのその顔を見ると、目が悪いことがわかる。そしてその顔は、白人ではないこともわかる。そんなんで大丈夫なのかい?」

「でも、お互い愛し合ってるから、なんとかなるかもしれません。」

杉ちゃんがそう言うと、水穂さんは言った。

「それにしてもどうして知り合ったの?なんで結婚しようと?」

杉ちゃんが聞くと、

「あたしが彼の家に女中として働きに行ってその時、誰か一緒に住む人が欲しいと彼が言ったからです。」

と、加恵さんは言った。

「加恵さんそれは違うだろ?本当は、お前さんの親御さんか誰かが、いい人見つけていい加減にしろとか、言ったからじゃないの?」

杉ちゃんがからかうと、

「いや、それはありません。ゴンチャンが、あたしなら一緒になってもいいと言ってくれただけです。それではまずいですか?」

と、加恵さんは言った。

「まずいというか、目が悪くて、白人ではない男性をどうのというのは、まあきっとお前さんはそんなに器量良しではないし。そういうことであれば、こいつが、仕方なくお前さんに結婚を申し出たんじゃないの?」

杉ちゃんが言うと、

「もう杉ちゃんったら、それでは私が一生結婚は無理ってことになるんじゃないの?それじゃあ、女じゃないことになるわ。私だって、女よ。」

加恵さんは持ち前の明るさで言った。

「まあなるほどね。統合失調症と診断された女が、その盲目の外国人を婿にする。昔なら、珍しくて、見物人まで出るだろう。それが今では珍しくない。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「それにしても、とんでもない男と結婚したものだな。」

「まあ良いじゃないですか。普通の日本人同士の結婚では、絶対ありえないカップルということで、まずは、お祝いしてあげましょう。式はあげていますか?」

水穂さんがそう言うと、加恵さんはいいえと答えた。

「それなら、盲人に、理解がある料亭やレストランを探しましょう。ご家族や、ご親族にもお話してね。式はちゃんとあげたほうが良いと思うんですよ。人生の大事な節目ですからね。」

水穂さんが優しく言うと、

「そうですね。わたしたちも、そのような場所を一生懸命探しましたが、理解ある会場はありませんでした。なので式は無理だと諦めていたんです。」

と加恵さんが言った。

「じゃあ誰か、ウエディングプランナーに相談するとか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「それもだめでした。盲人ということで絶対認めてくれませんでした。」

と、加恵さんは言った。

「そうだねえ。それじゃあ人づてでやっていくしかないか。それじゃあまずはだな。お前さんたち、仏式で結婚式を行う気はないか?」

杉ちゃんが変な発言をした。

「お寺であれば、式場断られたやつがよく来るって言うからさ、あまり偏見なく、結婚式をしてくれるんじゃないのか?」

「そうですね。でも海外の人だから、日本の仏教のことは、よくわからないのではないでしょうか?」

水穂さんがそう言うと、

「いやあ、良いってことよ。かえって外国人のほうが、仏教の教えに感動するって言うし。」

杉ちゃんは平気な顔をしている。

「うん確かに、それはどうですね。でもあたしたち、仏教の礼儀作法を学んでいないので、専門用語も全くわからなくて。」

と、加恵さんは言った。

「でもねえ、お前さんたちのようなワケアリのカップルを、ちゃんと受け入れてくれて式をやってくれる会場は寺しかないと思うよ。そういうことなら、少し仏教を学んでみたらどうや?ためにならないことはないよ。きっとどこかで役に立つと思うよ。」

杉ちゃんが、そういうので、

「そうですか。じゃあ二人で参加してみようかな。仏教って全然知らなかったから、面白そうです。」

と、コウタさんがそう言ってくれた。

「僕は、ご覧の通り目が見えないので、誰かに手伝ってもらわないと、お寺にはいけません。誰か手伝ってくれる人がいないと駄目ですね。」

「そういうのは、奥さんであるお前さんの役目だ。車の運転ができるんだったら連れて行くのは当然だぜ。」

杉ちゃんが、そう言うと、加恵さんは、とりあえず行くと言った。

それから、数日が経って、杉ちゃんのスマートフォンがなった。

「もしもし、あれえ、お前さんの名前はえーと、」

「はい。藤森です。僕は、藤森コウタです。」

と、変な発音でそう言っていることから、コウタさんであることがわかる。

「どうしたんだよ。」

杉ちゃんが言うと、

「はい。実はですね、加恵と、二人でお寺の観音講に参加させていただいています。」

と、コウタさんは話し始めた。

「それなのに彼女と来たら、なにか不安なところがあるみたいで、お寺に連れて行ってといいますと、なんだか変なふうに怒ったり、泣いたりするんです。僕はどうしても、顔を見ることができないので、どんな顔をしてどう言っているのかわかりません。なので、なぜ彼女が、そうなるのかわからないんです。」

「はあ、それはどういうことかいな?なにか罵声でも言うのかいな?」

杉ちゃんが、コウタさんの電話にそう言うと、

「はい、僕は仏教というものをまるで知りません。なので少しでも式を挙げられる様に、一生懸命勉強をしているんですけれども、彼女に学んだことを話すと、突然不機嫌になるようになって、まるで勉強しないでといいたげに。」

と、コウタさんは言っている。

「はあ、お前さんは、世の中を見ることはできないが。」

「ええ。でも声でわかるんですよ。なにか怒っているんだなって。」

「具体的には、勉強をするなとか、そう怒鳴られたのか?」

杉ちゃんはそういうコウタさんに言った。

「いえ、勉強をするなと言われてはいません。ですが、それに近い、感情を持っているのではないかと思います。そんな感じで、毎日ギスギスして生活して。仏教を学ぶとは、すごいことだと思うのに、それを続けたら、加恵との関係がおかしくなってしまう気がして。」

コウタさんは、心配そうに言っていた。

「それなら、一度、彼女に会って話をしたほうが良いかもしれないね。変な言動をしているんだったら、生活も楽しくないだろうからね。それではもう一回製鉄所へ来てくれるか。カウンセリングの先生と一緒に待ってるよ。」

杉ちゃんが言うと、

「わかりました、ありがとうございます。しかしどうやって彼女を連れて行ったら良いでしょう。彼女は、自分では態度を変えてしまうことを自覚していませんよ。それなのに、どうやって連れていけばいいと思いますか?」

と、コウタさんは言った。

「式の打ち合わせで、いい忘れたことがあるとか、そういう事を言えばいいんじゃないのか?大丈夫、その後はうまくやるから。」

杉ちゃんが言うと、

「わかりました。本当にありがとうございます。なんとかして、用事作って連れていきます。」

と、コウタさんはそう言っている。

「じゃあ、楽しみに待ってろや。しっかり話をしようね。」

杉ちゃんに言われて、コウタさんは、ありがとうございますと言った。それではよろしくねと言って、杉ちゃんたちは電話を切った。

それから、2,3日立って、杉ちゃんと水穂さん、そして盲人の古川涼さんが、製鉄所で待機していると、コウタさんと加恵さんがにこやかに、でもどこか裏があるような顔でやってきた。

「えーと、あらましは、杉ちゃんに聞きました。コウタさんとおっしゃっておられましたね。確か尼寺で、一生懸命仏教を学んでいらっしゃるとか。仏教の勉強は楽しいですか?」

涼さんは、できるだけわかりやす言い方で、コウタさんに言った。

「ええ、もちろんです。お陰様で、楽しく学ばせていただくことができました。日本の意味がわからないと思っていた行事も、庵主様からわかりやすく教えてもらって、楽しいです。」

コウタさんはそう答える。

「そうでしょうね。日本が初めてなら、そう思うと思いますよ。」

涼さんがそう言うと、

「はい。子供の頃から、インティにずっと祈って暮らしてきましたので、インティと、日本の仏様を比べるのがすごく楽しいです。」

「インティって何やろ?」

杉ちゃんが言うと、

「インカ帝国の宗教に登場する太陽神です。」

と、水穂さんが説明してくれた。

「なるほど!道理で白人の顔じゃなかったわけだ。つまるところ、お前さんたちは、インカを起こした人たち、つまるところケチュア人だったわけか。」

「はい、そうです。僕は、クスコから来てるんで、そういうことになります。僕らは、そんなに大した大金持ちではありませんでしたので、インティに祈ることは重要です。」

杉ちゃんがそう言うと、コウタさんは、そう説明してくれた。これでやっとみんな、彼の容姿に付いて納得がいった。

「視力を失った原因はなんですか?」

涼さんがそうきくと、

「はい、僕襲われたんです。時々あるんですよ。クスコでは。他の少数民族もそうなんですけれど、僕達少数民族は、いじめの標的になりやすいんですよね。それが原因で、体に障害を負ってしまう、ケチュア人も少なくないです。」

コウタさんはそう答えた。

「なるほど。そういうわけか。それなら、仏教の勉強も楽しく勉強できるわな。そういうところで、育ったんなら、神様への敬意も強いだろう。それにしても、加恵さんの方は、それを受け入れられないと。」

杉ちゃんがそう言うと、加恵さんはつらそうな顔をする。

「なにか、過去にあったんですか?」

水穂さんが優しくそう言うと、

「いえ、本当に大したことじゃありません。勉強するというのは、本当に楽しいことだと思うので。」

と、加恵さんは言うのであった。

「それ違いますね。本当は、いなくて寂しいとか、なにか別の感情を持っているのでしょう。」

と涼さんが、そうカウンセラーらしく言うと、

「いえ、いえ、そんなことありません。あたしはただ、コウタさんが一生懸命勉強しているので、ちょっと、」

加恵さんは、そういいかけて黙ってしまった。

「ちょっとってどれくらいだ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「もしかしたら、過去になにかあったのではありませんか?なにか、重大なことが、過去にあったんですか?」

水穂さんが、静かにそう聞いたのである。

「いえ、本当に大したことありません。あたしは、全然彼が仏教の勉強をしているのを嫌だと思ったわけではないです。」

加恵さんはそういうのであるが、

「いやいや、これは本当の事を話したほうがいいと思うな。夫婦ってのは、どっちかが秘密を持っていたんじゃ絶対ムリだよ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「それに、コウタさんは、杉ちゃんに彼女のことが心配だと電話をしています。それに答えてくれないのも、夫婦としてどうかと思いますが?」

水穂さんがそう言うと、

「いえ、そんなことありません。コウタさんは、ちゃんとインティに祈ることが習慣としてできているんでしょう。でも私には、そんなこととてもできませんよ。」

と、加恵さんは言った。

「それは、インティに祈ることが大事なことだからだよ。そうしなければ、僕らは活かしてもらえないからね。それは、仏様の教えだって同じだよ。だから、一生懸命勉強してるんじゃないか。仏様は、日本のインティだって、ちゃんと分かるから。」

コウタさんがそう言うと、

「でも、あたしは、そういうことは。」

加恵さんはそういうのであった。

「すごく苦しそうだね。」

とコウタさんはいう。

「きっと、大変なことがあったのかな。日本人は、相手の苦しい気持ちがわかってしまうから、言葉で話したりしないんだろうね。その中で日本の仏教は、自分を鍛えるようにという教えを作った。それなのに、なんで、みんな、それをどうでも良いと思ってしまうのかな?」

加恵さんは、コウタさんがそう言っても、答えを言ってくれなかった。というより言えなかったというべきだろう。

「コウタさん、少し彼女の事を考慮してあげてください。コウタさんは、自分が仏教を学べて楽しいのはわかりますが、加恵さんはそうではないのかもしれない。」

涼さんが、そうコウタさんに言った。

「でも、彼女の事を、黙っていては、これでは、夫婦として成り立ちません。僕らは、やってはいけないこととして、嘘を付くな、盗むな、怠けるなって、いつも唱えているんです。それを破るわけにはいけないんです。」

「そうですね。インカ帝国の標語ですね。確かに、あなたのような少数民族は、もともと苦しい生活を強いられているから、真実をできるだけ知っておきたい気持ちになるんだと思うんですけど、日本では、何よりも世間がどう見るかを恐れるから、みなの前で何があったかを、話すということは、難しいんです。それは、日本人の国民性と思ってください。」

水穂さんがコウタさんにそう言うと、コウタさんは、何のことだかわからないという顔をした。

「日本人は、恥の文化というか、日本では、自分のことを話すと、怖いというか、恥ずかしいと思ってしまうんです。細かいことは気にするなといろんな本で書いてあるのは、日本人はそれをなかなかできないからです。仕方ありません。そのうち加恵さんも話すのではないですか?」

水穂さんは、そう話を続けた。

「そんなふうに隠していたら、」

コウタさんはそう言うが、

「よし!それなら、人前につかないところで、天童先生に話をしてもらおう。そういうところなら、自分の事を思う存分話ができる。」

と、杉ちゃんが言った。そして、思い立ったら、すぐに行動してしまう杉ちゃんは、スマートフォンを出して、

「ああもしもし、天童先生。一人、セラピーをして欲しい女性がおりますので、至急製鉄所へ来てくれませんか?ああ、わかった。じゃあ、お願いします。」

と言って、スマートフォンをしまった。

「天童先生すぐ来てくれるそうです。良かったねえ。そういうやつがいてくれて。」杉ちゃんに言われて、みんな全員ため息を付いた。数分後に天童先生は、こんにちはと言ってやってきてくれた。

「ああ天童先生。クライエントはこっちだ。名前は、藤森加恵さん。すぐに彼女のつらい過去を癒やすようにしてくれ。」

杉ちゃんがそう言うと、天童先生はわかりましたと言って、加恵さんと一緒に隣の部屋に行った。すると、コウタさんが一緒に行ってもいいかと言った。天童先生は、大丈夫ですよと許可してくれた。

天童先生は、加恵さんを布団の上に寝かせて、少しずつリラックスしていけるよう、声をかけていった。これを誘導していくといい、潜在意識が現れてくれるように、持っていくのであった。

「じゃあ、お話を聞かせてくれますか?あなたの思い出す、お母さんは、どんな人ですか?」

と、天童先生に聞かれて、何も抵抗はなく加恵さんは答える。

「お母さんは、ある新興宗教の信者でした。私は、幼い頃から、母が宗教で知り合った仲間とよく出かけました。それのせいで、学校の同級生にいじめられたこともありました。なんでお母さんがそういう宗教を信じているんだろうって、あたしは、いやでいやでたまらなかった。おとなになって、そういう事を避けようと思ってきたのに、また、コウタさんが仏教の勉強を始めて、あたしは、また居場所がなくなってしまうのですね。」

「そんなことはない!」

と、コウタさんが言った。

「僕らは、自らの意思で生きているわけじゃない。それはきっと、神が作ってくれる物だ。僕らも、ここに居るみんなもきっとそうだよ。だって、もしそれが間違っていたら、人間が自然に負けることはないじゃないか!」

「すごい男が居るもんだ。こんな信心深い男、日本にはまずいない。」

それを聞いた杉ちゃんがそう言ってしまうほど、コウタさんの言い方は真剣で、それはきっと、加恵さんを愛してくれているんだろうなと言うことがよく分かる言い方だった。

「そして、そういう事を伝えてくれる存在も日本にはまずありませんね。」

水穂さんが、杉ちゃんの言葉に続いていった。







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