第35話 悪霊魔王

 放課後の、白鷺さんとの会話を回想する。


 ギルドに向かう前。

 放課後の学校で、僕は彼女に声を掛けた。


「白鷺さん」

「あら、勇者様。どうしたのかしら?」


 白鷺さんがおもむろに振り向き、首を傾げる。

 彼女の赤い瞳は、いつも通りの底知れない笑みを湛えていた。


悪霊魔王レギオンについて、知っていることを教えてほしい」

「悪霊魔王……あぁ。今動いてるのは彼女なのね」


 その口ぶりからして、どうやら悪霊魔王についても何らかの知識があるらしい。

 続きを促すと、あっさりと白鷺さんは話し出した。


「悪霊魔王はとても厄介な魔王よ。戦闘能力という面ではそこまで強いわけじゃないのだけれど……」

「強くない?」

「ええ。けれど彼女は固有の能力を持っているわ。『群霊レギオン』――自身を分割して、分身を生み出す能力よ」


 白く細い指が四本立てられた。


「私が知っている限りでは、最大で四体までの分身を同時に生み出せたはずよ」

「四体か……」

「そして分身体は倒してもすぐに復活するわ。なぜなら魂も同時に分割されて、偏在しているからよ。つまり――」

「同時に倒さない限り意味がない、と?」


 僕の言葉に、白鷺さんは満足そうに頷いた。

 なるほど。戦闘能力が高くない魔王というわりには、イギリスのS級が敗れたと聞いて疑問だったが、そういう理由だったからか。

 恐らくは倒し切れずに消耗戦に持ち込まれたのだろう。


「その通り。しかも彼女自身、分身体の能力がそこまで高くないのは自覚しているから、常に膨大な数の魔物を取り巻きとして従えているわ」


 分身を生み出す際に能力も含めて分割されるため、一体一体はそれほど強力なわけではない。

 だが、それを補うように大量の魔物を引き連れている。

 更には、同時に四体すべてを倒さなければ何度でも復活してしまう、と白鷺さんは説明した。


「厄介な能力だね」

「ええ、そうでしょう? 彼女を倒すつもりなら、四体の分身がどこにいるのか突き止めた上で一斉に討伐する必要になるわ」


 重要な情報だった。

 闇雲に挑むだけでは悪霊魔王は倒せないということだ。


「……ありがとう、白鷺さん。参考になったよ」

「ふふ。頑張ってね、勇者様。貴方の活躍、楽しみにしているわ」


 しかし彼女は一体、何を目的として僕に情報を与えているのだろうか。

 僕が魔王を倒すことを望んでいるのか?

 悪霊魔王レギオンについての情報も、どこまで信用していいのか。


「それと、できれば一つお願いがあるんだけれど――」


 内心の迷いを断ち切り、僕はそう切り出した。

 そうして白鷺さんに一つの約束を取り付けて、僕はギルドへと向かったのだった。


 * * * * *


 機中で、僕はそんな風に白鷺さんとの会話内容を反芻していた。


「まさか、北海道まで飛行機とはね……」


 座席に深く腰掛け、窓の外に視線を向ける。

 飛び立った飛行機の窓からは、一面の青空が覗いていた。


 猫屋敷さんは離陸直後は外の景色を見て興奮していた様子だったが、しばらくしたら飽きたのか、アイマスクを装着してぐっすりと眠っていた。

 そして、花凛さんの方はというと……。


「花凛さん、大丈夫そうですか?」

「し、白玉君……だ、大丈夫よ……」


 隣でか細く震える声。

 とてもではないが大丈夫そうではない声色だった。

 花凛さんはぎゅっと目を瞑ったまま、僕の腕を抱きかかえるようにして握りしめていた。


 その握力はかなりのもので、皮膚が食い込みそうになるほどだ。

 S級冒険者のパワーである。

 僕は黙って身体強化を自身に付与した。


「ひ、飛行機……意味が分からないわ。こんな鉄の塊が飛ぶなんて……」


 花凛さんは震える声でそう呟く。

 氷室花凛。S級冒険者であるはずの彼女が、まるで幼い子供のように震えていた。


「え、そんな、S級冒険者なのに?」

「S級冒険者と飛行機が怖いのは関係ないでしょ……! あ、いや、怖くはないけど……!」

「とにかく、大丈夫ですよ。飛行機が墜落することなんて滅多にないらしいですし」


 知らないけれど、多分。

 僕は適当に花凛さんを慰めた。


「……そうよね……大丈夫よね?」


 僕も飛行機に乗るのは初めてであったが、まさか花凛さんがここまで飛行機が苦手だとは思わなかった。

 花凛さんは無言で、さらに強くしがみついてきた。


 ――その時だった。

 機体が、突然激しく横に揺れた。

 悲鳴を上げた花凛さんが頭を押し付けるようにして抱き着いてくる。


「きゃあっ!? 揺れたわ! 落ちるの!? 死んじゃう!?」

「落ち着いてください、大丈夫ですよ」


 花凛さんの肩を叩いて落ち着かせながら、僕は機長席の方に視線を向けた。

 その直後、機内放送が鳴り響いた。


『――ッ、乗客の皆様、緊急事態が発生し――』


 機長の声明は、そこで途切れた。

 激しいノイズ音に変わり、すぐに静寂が訪れる。


「な、何かしら、今の……?」


 花凛さんが不安げな声を上げる。

 僕も嫌な予感を覚えて、しがみ付いてくる花凛さんを引きはがして、すぐに立ち上がった。


「ちょっと見てきますね」

「ま、待ちなさい白玉君! 私も行くわ! お願いだから一人にしないで!」

「不安ならそこに猫屋敷さんがいますよ」

「爆睡してるじゃない! 役に立たないわ!」


 花凛さんと共に、僕は機長室へ向かった。


 機長室の扉をノックするが、応答はない。

 嫌な予感がする。僕は躊躇わずに扉を蹴破った。


「な……っ」


 後ろから着いてきていた花凛さんが、内部の光景を見て思わず声を漏らした。

 機長室にいたのは三名。

 ただし、彼らは座席に座ったまま、黒い棘のようなものに頭を貫かれて死亡していた。


「――ようこそ」


 血溜まりが広がり、壊れた計器が床に転がっている。

 鮮血が撒き散らされた機長室の中で、美しい女が待ち構えていた。


 肌を大胆に露出させた黒いドレスを身に纏った金髪の女だ。

 背中からは、皮膜に覆われた紫色の翼が飛び出ている。


 その悍ましい気配。

 白鷺さんから聞いていた特徴から、直感する。


悪霊魔王レギオン……!」

「初めまして、勇者」


 人型の魔物。

 悪魔と呼ばれる種族の一種――夢魔サキュバスの魔王。


 僕が声を上げると、悪霊魔王の紅い唇が弧の形を描いた。


「『凍りなさい』ッ!」


 花凛さんも目の前の相手が敵だと即座に判断したのだろう。

 即座に氷の魔術が放たれた。

 瞬く間に、悪霊魔王レギオンの首から下までが分厚い氷に覆われる。


 だが――遅かった。


「そして――さようなら」


 悪霊魔王の首から上が嘲笑を浮かべる。


 次の瞬間、悪霊魔王の全身が弾け飛んだ。

 氷が割れる。轟音。

 弾け飛んだ身体が無数の黒い棘となり、炸裂した。


「――危ないッ!」


 咄嗟に剣を引き抜き、花凛さんを庇い、自身に迫る棘をすべて叩き落とす。

 だが、四方八方に炸裂した棘は、機長室を根こそぎ吹き飛ばした。


 衝撃が機体全体を襲う。機長室の壁が吹き飛んだ。

 機体がふらふらと揺れ、急速に高度を下げ始める。


 絶句する。

 既に機体は再起不能だ。機長室は粉々に吹き飛ばされ、墜落は避けられない。

 機体がまるで振り子のように大きく揺れ、花凛さんの顔が恐怖で引き攣った。


「このままじゃ墜落するわよ!」


 機体の外。眼下には都市が迫っている。

 落下コースを考えると――札幌の街のど真ん中に墜落しかねない。


 不味い――このまま墜落したら大惨事だ。

 花凛さんも眼下の光景を見てそのことに気付いたのか、焦燥の声を上げた。


「ど、どうしましょう……」


 制御を失った飛行機が急降下していく。

 轟音と共に加速し、どんどんと地上が近付いていく。

 のんびり考えている時間はない。

 

 僕は花凛さんに提案した。


「――この飛行機を壊しましょう」

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