第31話 第三王女、地球に降り立つ

 ギルド長に呼び出された日の翌日。

 今日はダンジョン探索は休みということで、学校も終わり、自室で寛いでいたところで、その轟音は突然響き渡った。


 部屋の窓ガラスがびりっと震え、直後に家全体が沈むような衝撃が走る。

 同時に、膨大な魔力の奔流に思わず身体が硬直した。


「ッ!?」


 即座に部屋の隅に転がっていた剣を手に取り、鞘から抜き放つ。

 まさか魔王の残党が襲撃にでも来たのか。

 最悪の想像を巡らせ、剣を構えながら慎重にリビングまで降りると――そこには。


「やっほー、ユウ。来ちゃった」


 聞き覚えのある、気の抜けた声が聞こえてくる。


 リビングは酷い惨状だった。

 爆風でも吹き荒れたかのように、椅子や机が壁際まで吹き飛んでいる。

 フローリングも捲れ上がり、見るも無惨な有様だ。


 その中心には、空間の裂け目から落ちてきたらしい金髪の少女。

 よく見知った顔の少女だった。

 

 どうして彼女がここに――そう疑問に思った瞬間。

 エルルがこちらを見るなり、そのまま飛びついてきた。


「久しぶりね!」

「エルル!? どうしてここに……」


 抱き着いてきたエルルを受け止めつつ、僕は周囲の惨状を見渡して顔を青くした。


 これは不味い――非常に。

 床に転がった時計に視線を向ける。


 恐らく、もう間もなく妹のうららが買い物から帰ってくる。

 こんな惨状のリビングを見られたら、大騒ぎどころの話ではない。


「ここがユウの住んでいるお部屋なのね! 狭いわ!」

「そりゃあ王族のエルルからしたらそうだろうけど……それよりこの部屋をどうにかしないと」

「あら、ごめんなさい。転移の位置が悪かったみたいね。でも安心して、これくらいなら――」


 エルルは悪戯っぽくウィンクをすると、指を鳴らした。


「『戻りなさいTempus, redi.』」


 瞬間、巻き戻る。


 吹き飛んだ椅子が起き上がり、元の位置へ滑っていく。

 捲れ上がったフローリングが修復され、ひっくり返った観葉植物の土が一粒残らず鉢の中へと戻っていく。


 数秒後、まるでビデオの逆再生のように、部屋の惨状が元通りになった。


「相変わらず、便利な魔法だね」

「ふふん、王家の秘奥よ。凄いでしょ! 褒めてくれてもいいのよ!」

「まあ、次からは玄関から来てくれると助かるよ」


 胸を張るエルルに呆れつつも、僕は安堵の息を吐いた。

 とりあえず、これで妹に怒られるのだけは回避できたはずだ。


「それで。どうして一人で来たんだ?」

「一人じゃないわよ。ヘレナとパトリシアも一緒だったの。でも――」


 エルルは頬を膨らませた。


「あの二人が転移座標を弄って喧嘩して、術式が壊れちゃって……気がついたら私だけここに転移してたの!」

「……あいつら」

「二人のことだからきっと無事でしょうけど、どこに飛ばされちゃったのかはさっぱり分からないわ!」

 

 頭が痛い。

 あの魔女と聖女までこちらの世界に来ているとなると、トラブルの予感しかしない。

 ともあれ――今は目の前のお姫様が最優先だ。


 一通り話が終わったところで、エルルの視線が冷蔵庫に釘付けになっていた。


「この四角い箱は何? あ、開いた……。わあ、冷たいわ! もしかして宝箱かしら!」

「冷蔵庫だよ」


 エルルは興味津々に冷蔵庫を漁り、目を輝かせる。


「見てユウ! ドロップアイテムよ!」

「ただのプリンだけどね」

「異世界の食べ物ね? 食べていいかしら!」

「別にいいけど……」


 仕方なく台所からスプーンを持ってきて、エルルに渡す。

 目を輝かせながらプリンを食べ始める。


「んー! 美味しいわ!」


 そうして、エルルがプリンを食べ終えたあたりで僕は気付いた。


 あのプリン、確か麗が楽しみに取っておいたやつじゃなかったか?

 ……後で麗になんて言い訳しよう。買って返せば許してくれるだろうか。


「そういうわけで、しばらくここに滞在させてもらうわ。よろしく頼むわね!」

「……そうするしかないか」

 

 エルルは異世界人だ。当然ながら身分証も日本円も持っていないはず。

 これが魔女や聖女ならともかく、エルルを放り出すのはちょっと躊躇われてしまった。


 諦めて許可を出すと、エルルが目を輝かせて抱き着いてくる。


「兄さん、ただいま帰りま、し……」


 そんな最悪なタイミングで、妹が帰還した。

 呆然とした様子で買い物袋をその場に落とし、視線はある一点に注がれている。


 僕に抱き着くようにして床に座り、口元にプリンをつけた美少女へと。


「…………」

「…………」


 部屋の温度が、急速に下がっていくのを感じた。


「兄さん、また新しい女ですか?」

「いや違っ。というか、またって何だ……」

「私が夜ご飯のお買い物に行っている間に、良い度胸ですね、兄さん?」


 妹の目線がかつてないほどに冷たい。

 そんな空気などお構いなしに、エルルが麗に気づいて声を上げた。


「あら、あの可愛い子は誰かしら!」

「……妹だよ」

「なるほど、あなたがウララね! ユウから散々話を聞いてるわよ! 私はエルシア王国――むぐぐ」


 余計な事まで口走りそうになっていたエルルを慌てて止める。

 エルシア王国……? と麗が首を捻った。


「あー、海外に居た僕の友達だよ。名前はエルル」


 とりあえず誤魔化す。


「私の知っている限り、兄さんに海外の友達はいないはずですが」

「え!? あー、うん」


 そんな反論をされるとは思っておらず(確かに海外の友人なんていないが)、言葉に詰まってしまう。


「なるほど。ユウ、あなた説明してないのね?」

「……まあ、そうだね」

「それなら、私から説明するわ」


 先程までの緩い雰囲気は霧散していた。

 背筋を伸ばし、凛とした表情で麗に向き直ると、エルルは珍しく真剣な声で告げる。


「ウララ。あなたの兄を五年前に異世界に呼び出したのは私よ」


 * * * * *


 五年分の旅路。

 長く複雑な説明が終わるまで、麗は一言も喋らなかった。


 そうして一通り話が終わったところで、麗は大きく息を吐いた。


「……なるほど。異世界で勇者をしてたって言うのは本当だったんですね」

「信じられないだろうけど……」

「いえ……大丈夫です。説明は理解しました」


 エルルが緊張して姿勢を正す。

 口を挟むかどうか迷った末、麗の様子を見守ることにした。

 僕個人としてはエルルたちを恨む気持ちは一切ないが、麗がどう思うかは麗自身が決めることだ。


「ウララのお兄さんを五年間も拘束したのは私たち異世界の都合だわ。ごめんなさい」


 麗はじっとエルルを見つめていた。

 しばらくそうした後。深く息を吐いて、言った。


「正直に言いますと、恨む気持ちがないとは言えません」

「うっ、やっぱりそうよね……」

「――ですが、当の兄さんが怒っていない様子ですし。それに、こうして無事に帰ってきているんですから、気にしないでください」


 その言葉を聞いて、珍しく緊張した様子だったエルルがふにゃっと安堵の笑みを浮かべた。


「ウララ! ありがとうね!」

「わぷっ」


 エルルに思い切り抱き着かれる麗を見て、二人が険悪な関係にならずに済んでよかったと内心で安堵の息を吐いた。


「そうだ、私のことをエルルお義姉ねえちゃんと呼んでいいわよ!」

「それは嫌です」

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