神様やめたくて

交差羽

第1話 序章

 いつからだろう、全てがどうでもよくなったのは。

白い空間に囚われて、世界の全てを見続けて。

数十年、数百年、あるいはもっと。分からない、分からない、分からない。

白い世界では時間の感覚すら曖昧で。

永劫、無限、永遠―――それらは無言の圧力でもって心を砕いていく。

白く塗りつぶされた世界では、自分自身さえも漂白される。


だが、そんな自分の胸にも、時折、本当に時折、刺すような疼きが走る。

それは少女が輝く意志を見せた時、それは青年が望郷を嘆く時、それは人が強い決意を示した時。

自分がどんな形で、何を思っていたのか、それすらも思い出せはしないのに。

その眩くも切なる想いは、何故かこの胸を疼かせる。

ああ、羨ましい。昔は確かにあったのに。自分にも必ず叶えると誓った願いがあったはずなのに・・・・・・。

もはやそれすらも・・・・・・。


揺蕩う、揺蕩う、揺蕩う。何処までも続く白い世界を。

この世界はゆりかごで、牢獄で。

全てがあって、何もない。

永遠の白。


「・・・・・・早く、来て・・・・・・」


揺蕩う、揺蕩う、揺蕩う。

その声が、自分から発せられていることにも気付かぬまま。

その声に、暗い何かが混じっていることを自覚できぬまま。

僕は/私は彷徨い続ける。


********************************


 夕焼けに染まる街、帰宅を急ぐ人の足は速く、周囲はこの時間特有の喧騒に満ちている。

そんないつもの学校からの帰り道。

俺達もいつもと同じようにたわいない会話に花を咲かせる。


「今日の現国の授業、マジで分からんかった。登場人物の気持ちを述べなさいって、『え、マジで!?』以外にないだろあんなの。」


太陽が西に沈みかけてなお路面には熱が残り、アスファルトには陽炎が揺らめいている。

ふと隣を見れば、並んで歩く幼馴染二人の服にもうっすらと汗が滲んでいる。

昨日も、一昨日も、きっと明日も見ることになる何気ない日常。

そんな中、俺の愚痴に少し呆れたような、けれど明るさを感じさせる少女の声が応える。


「何言ってんの悠馬は。文学作品で『え、マジか!?』なんて言ってる人いないでしょ。まったく、その回答を聞いた現国の先生の方が『え、マジか!?』って顔になってたわよ。悠馬はもう少しまじめにやりなさい。」


そう言って細い指先を鼻先に突き付けてくる小柄な少女。この少女の名は立花柚希、俺の幼馴染だ。

柚希は幼馴染ゆえか時々このように無防備に距離を詰めて来る。

不意に縮まった距離。その近さに俺は毎回ドキリとさせられる。


ウェーブのかかった栗色の髪がふわりと揺れる。勝気そうな瞳。

少し幼さを残したその顔立ちは、少女と女性の中間の何とも言えない瑞々しさを見る者に印象付ける。

そんな彼女はめっと、聞き分けのない子供を叱るような表情でこちらを見つめてきている。しかし、その顔に浮かぶ表情はどこか楽しげである。

俺は頬に熱がこもるのを自覚して思わず顔を逸らす。


そんな視線の先、そこには俺達を面白そうに眺めている体格のいい男子学生。もう一人の幼馴染である藤宮尊だ。

俺は焦りを押し隠しながら尊にヘルプの視線を送るが、しかし、尊は後頭部に両手を回すと、どこか面白そうなものを見る視線でこちらに眺めたまま口笛を吹いている。


こんにゃろー、あとで覚えてろよと、心中で尊に恨み言を吐くが、その間も柚希の視線は俺をじっと捕らえたままである。

数秒、いや実際はそんなに耐えられていないかも知れないが、俺の心臓は大きく波打ち、動揺と羞恥で顔が赤くなっていくのを感じる。

そうして、数秒の後、俺はその栗色の瞳に耐えられなくなり、


「はい」


と小さく返事をするのであった。




夕暮れ時、俺、尊、柚希の三人が連れ立って歩いているのは、2本の主要道路を縦に繋ぐアーケード街だ。

頭上には巨大な七夕飾りが列をなしてぶら下がっており、西日に照らされた短冊には今年も様々な願いが書き込まれている。

七夕に行われる祭りにはきっと今年も全国各地から観光客が押し寄せ、アーケード街も人で埋め尽くされるのだろう。

その、どこか浮足立っている空気を感じながら、俺達はゆっくりと歩く。


昔、子供の頃にあの短冊に込めた願いは何だっただろうか。確か、そう、あれは・・・。

遠い昔に思いをはせながら、思い出した記憶に頬が熱くなる。

ほんと昔から俺の願いは変わらない、そう思うのと同時に、自分のヘタレっぷりに自嘲気味な笑みがこぼれる。そんな意識を現実に戻し、


「そーいや、今年の七夕祭りはどうする? また皆で行くか?」


俺は幼馴染達に戻し問いかける。

例年、俺達3人組は連れだってこの七夕祭りを楽しんでいる。

本当は柚希と二人きりで祭りを回ってみたい気持ちもあるにはあるが、幼馴染3人組で回る祭りもまた乙なものである。

いや、決して柚希に告白する勇気が無くて先延ばしにしている訳ではない。

そう、空気を読んで、3人でいる時間を大切にしているだけである。いやー幼馴染の縁って大事だよな、うん。


だから今年もきっと3人で祭りに行くんだろう、漠然とそう思っての問いかけだったが、


「いや、俺は今年はパス。」


いつもは、いの一番に参加を表明する尊からまさかの返答。予想外の出来事に思わず尊の方を見やる。


「え、尊は行かないの?」


柚希からも意外そうな声があがる。


「いやー、実はさ、先日ついに念願の彼女が出来まして。えーっと、今年はその子と行こうかなー、なんて。」


尊は少し照れながら頬をかいている。え、なんだって、尊が何か言っている? 

彼女、彼女? かのーじょ?

あ、あれか、カノージョって確かあれだろ、オリーブオイルで野菜を煮込んだ料理の名前だろ。この前初めて食べたけど結構いけるよね、あれ。あ、そう言えば今年の七夕祭りでは何を食べようかな。綿あめだろ、たこ焼きだろ、具が入っていない焼きそばもいいかもしれない。それから、それから・・・・・・( ゚Д゚)!?


数秒の沈黙。周りの雑踏の音がやけに耳に響く。そして無意識に零れ落ちる言葉。


「・・・・・・え、マジで!?」


声が裏返る。自分の声で思考が回り始める。こいつ急に何言ってるの?

完全に初耳、今年一番の衝撃である。やはり小説の登場人物の気持ちも『え、マジで!?』以外なかったのではないだろうか。

いやいやいや、違う、そうじゃない。


「か、彼女出来たって、いつのことだよ、ってか相手誰だよ?」

「あー、先週なんだけど、吹奏楽部の西城さんって分かるか、3組の。」


尊は少し頬を赤く染め恥ずかしそうにしている。

いや、男の照れスチルとか誰も期待してないから、要らないから。

それよりも、「西城さんって分かるか?」じゃねーよ。学年トップクラスの美少女じゃねーか。

黒髪清楚系で男女分け隔てなく優しい笑みを向けてくれる西城さん。一説には彼女のファンクラブさえあるという。

そんな西城さんと、今まで恋愛関係の話なんて皆無だった尊が?

尊なんて運動と筋肉と気遣いだけしか取り柄のないですよ? 困っている時に、何気なく「手伝おうか?」なんてことしか言えない尊ですよ? え、それだけいい所があれば十分だって? そうさ、尊はとても良い奴さ。自慢の幼馴染だからな。

違う、そうじゃない。今考えなきゃいけないのは尊と西城さんが付き合ってるってことだから。

でも本当に!? 尊が? 西城さんと? あ、そうかこれはドッキリ、そうドッキリだな。

そこまで考えたところで、俺はひとつ大きく深呼吸をして尊に向き直る。

そして、指先をビッと尊の顔に突きつけ、真剣な視線を送り告げる。


「じっちゃんの名は一つ、謎は全て解けた!」


きっと、俺の後ろにはドドーンやらズキューーンやらの効果音が背景に見えるだろう。

隣からは、


「それは『じっちゃんの名にかけて』と『真実はいつも一つ』が混じっているんじゃないかな」


なんて呟きが聞こえるが気にしない。

一方の尊はごくりと喉を鳴らしている。

なんだ尊君や、まるで追い詰められた犯人の様ではないか。やはり俺の推理は間違っていなかった。

確証を得た俺は、尊にさらに畳みかける。


「んんー、尊君。きみぃはー、そう、決定的な証拠を残しているぅー。」


今度は眉間に指をあてて、考え込むような動作をしながらゆっくりと距離を詰める。少年探偵からの名俳優探偵。これでフィニッシュだ。

だが、


「それは古畑かな? あんまり似てないよ」

「だまらっしゃい」


横から入ったツッコミに、俺は思わず、柚希の頭をチョップする。

柚希は若干頭を擦って痛そうにしているが、そんなのは関係ねー。似てるとか似てないとか、今はそんなことは重要ではないのである。

俺は切り替える様に一つ咳払いをする。


「ごほん、えー、尊君。では改めてだが、嘘をつくならもう少しマシな嘘をつき給え。それともあれかい、部活で頭でも打ったのかい」


尊は怒涛の流れについてこれていないのか一瞬ポカンとした表情を見せたが、俺も柚希も尊の話を全く信じていないのを察するとブンブンと頭を振って否定して来る。


「いや、嘘じゃねーよ。この前、俺から告白したらOKもらえたんだって。最近、俺のこと気になってたんだってさ。今度の祭りも一緒に行く約束してるんだからな」


その返事に俺達は揃ってやれやれと首を振る。

まったく、この期に及んで見苦しい。


「おっとこれは重症だ。柚希君、至急救急車の手配を頼む」

「ラジャー。もしもし、救急センターですか、こちらセンター街、こちらセンター街。意識混濁の男性を発見。至急応援をお願いします。こちらセンター街」

「いや、待て待て、本当だから」


尊は慌てた様子で手を振るが、俺と柚希は止まらない。


「尊君。それは夢、そう君は夢を見ていたんだよ。それははるかに遠い理想郷の夢を。ああ、きっと独り身の時間が長すぎて心が挫けてしまったんだね。大丈夫、俺は味方だから」


俺は尊の前に立つと、そっとその肩に両手を置いて優しい眼を向ける。

そう、妄想は否定してはいけないんだ、寄り添ってあげることが大事なんだって、この前テレビで言ってた。

柚希でさえ、尊に可哀そうな人を見る目を送っている。そうだ柚希さん、やれやれもっとやれ。

だが、尊はそんな俺の手を振り払うと、少し怒った様子でズボンのポケットからスマホを取り出し、その待ち受け画面を俺達の眼前に突き出して来る。


「ほら、これ見て見ろよ。」


まったくこの期に及んでもまだ抵抗しようとは。某漫画の犯人達ならそろそろ自白を始める頃だろうに。

俺達はしょうがないなーといった態度で画面を見る。

どうせ隠し撮りかなんかだろと覗き込む。

だがしかし、そんな幻想は画面を見た途端、すぐに打ち壊された。


数秒の沈黙。


自分の眼が信じられず、数度深呼吸。何度も目を擦るが、画面に表示されている待ち受けは変わらない。

天を見上げさらに追加の深呼吸。あ、ここアーケード街だったから天井しか見えんかったわ。

そんな、感想で心を落ち着けもう一度視線を前に。

けれどもそこには先ほどと変わらない画像・・・・・・。


「!?!?!?!?」


驚愕と共に脳が高速で働き始める。

尊の携帯には男女二人のツーショット。もちろん男性は尊で女性はまさかの西城さん。しかも尊と西城さんが仲良さそうに、恋人繋ぎをしていらっしゃる。


なん、だと!?


俺の顔面筋がガタガタと小刻みに震え出す。まるでスマホのバイブレーターの様だ。

理解不能の事態の発生に体と脳が現実を拒否している。

え、嘘、嘘ですよね。誰か嘘だと言って。

まさかうちの尊君に限ってそんなことは。

あ、これは合成か!? いやでも、そんな嘘はすぐにばれるだろう。

それに、こんな西城さん、俺が知る限り見たことがない。

え、じゃあ本物?

ダメだ、認めない、俺は認めないぞ。尊にこんな可愛い彼女が出来るなんて。しかも俺より先に!?


柚希も衝撃を受けた表情で、携帯と尊の顔を何度も見比べている。


「ほらな、これで分かっただろ。」


尊は満面のどや顔だ。

なんてこった、まさか尊に先を越されるなんて。

ずっ友だと思っていたのに。独り身同盟仲間だと思っていたのに。

あまりのショックに立ち直れない。

しかしそんな俺をしり目に、一足先に現実を受け止めたのか、今度は柚希が興味津々と言った様子で目を輝かせ始める。


「え、ほんとにほんとなんだ。すごい、すごいよ尊。馴れ初めは? どっちから告白したの?」

「あー、実は前に女バスの練習見た時にぐっと来てな。そのまま気付いてたら好きになってたから、この前勇気出して告ってみたらまさかのOKもらえたんだ。」


流石の女子。恋愛イベントには食いつきがすごい。

柚希はテンションも高く尊に次々と質問をぶつけている。

一方の俺はまだ現実が受け入れられず頭の中をグルグル回しているが、耳ではしっかりと二人の会話をキャッチしている。


「西城さん人気あるのに、やるじゃん尊」

「いや、俺もダメもとだったんだけど、西城さんも最近の俺の部活の活躍見ててくれたみたいで、気になってたんだってさ。」

「最近の尊、部活で大活躍してるもんね。うわー、相思相愛か、そっかー、おめでとうだね、今夜は赤飯だ」

「おう、ありがとうな」


そう言って二人は笑いあっている。


「でも、意外。尊君が西城さんのことが好きだったなんて全然気づかなかったよ」

「まあな、バレないように気を付けてたからな」

「全く、水臭いんだから。早く言ってくれてたらサポートしたのに」


柚希はファイティングポーズをとって、シュッシュッと言いながらジャブの真似事をしている。いやいや、柚希さん、それはどんなサポートをするつもりだったんですか。いや、可愛いけどさ。


「でも、いいなー、すごいなー。羨ましいなー。私だって西城さんだったら彼女にしたいぐらいなのに。ほんと、尊にはもったいないぐらいいい子なんだからちゃんと大事にしないとダメだよ。」

「ああ、分かってる。分かってるって。ちゃんと大事にするよ」


尊は照れながらも堂々と俺達に宣言してくる。

柚希もその返事に満足したのか、尊の背中をバシバシと叩いている。

一方の俺はまだ西城ショックから抜け出せないで、虚ろな目を尊に向け続けている。

え、なんか、一足先に大人になられたような感じ。くっ、負けてなんてないんだからね。

尊もそんな視線に気づいたのかこちらを見てくる。そして、ニッと口の端を笑みの形にする。

勝ち誇ったような表情。だが、その裏に別のセリフが聞こえてくる。

『今年こそ柚希に告白しろよ、このヘタレ野郎!』


「なっ!!」


俺はおもわず顔を赤くし口をパクパクさせる。

尊はそれを見てやれやれといった様子で肩をすくめている。


うっさい、こっちにも心の準備ってもんがあるんじゃ。


だが、そんな様子を見た尊はすぐにニヤッと笑うと、


「なんで今年は一緒には行けないんだわ、すまん。ってことで、今年はお前らは二人で祭りに行ってくれ」


なんて、本日二度目の爆弾発言を投下してきた。


え、二人? あ、そうか、尊が行けないなら俺達は二人で祭りに行くことになるのか。あれ、それってもはや実質お祭りデートでは? これってもしかして、すげーチャンス? でも、柚希も俺と二人なら友達と行くってなるのか。どうしよう、これで断られたら脈無ってことか。いや、幼馴染として、そう、幼馴染として誘ってるんだから断られても大丈夫。いや、でもこれで断られたら今年の七夕祭りは家でふて寝しよう、そうだそうしよう。俺の恋人は布団だった。あの包み込んでくれる温かさ。世間は冷たいが、布団はいつも俺の心を温めてくれるはずだ。よし、それなら全くだいじょ


「そっか、それじゃあしょうがないね。二人で一緒に行こうか、悠馬」


思考が止まる。

柚希は俺の方を振り向いて、軽い調子で言ってくる。

その顔が夕日の逆光を受けて輝いているように見えるのは俺の見間違いだろうか。

予想外の返事に俺の心臓はドクンとひと跳ねする。


「え、あ、ああ」


回らない頭で俺は何とかそう答える。

その返事に満足そうに頷くと、柚希はクルリと前方を向き、手を腰の後ろで組みながら先に歩いていく。

その足取りはひどく軽く、機嫌良さそうにスキップをしているようにも見える。


隣では尊が、ニヤニヤした顔で俺の横顔を眺めているが、俺はそれに反応することも出来ず、ただボケっとしながら立ち尽くす。

え、これってそう言うことだよな。柚希も俺と二人で祭りに行くのが実質デートだって分かってるよな。え、じゃあもしかして、柚希も俺の事・・・


隣では変わらず尊がニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでいるが、俺の思考は既に柚希との七夕祭りに旅立っている。甚平を着た俺、待ち合わせにやって来る柚希。その姿は綺麗な浴衣姿で、髪を結いあげた柚希はいつもより大人っぽくて。二人で回る商店街、たわいない会話をしながらゆっくり歩いて、フィナーレの打ち上げ花火をバックに、俺から柚希に告白を。


そんな妄想が頭に次々に浮かんでは消えていく。

柚希は既に数m前を行き、その栗毛色の髪をふわりと揺らしている。その合間から見えた左右の耳は真っ赤に染まっていて。


え、柚希、照れてる。ってことはやっぱり。


その気付きに、俺の頭の中は完全に真っ白になる。有頂天、上の空。これは夢ではなかろうか。

きっとそれは今までの人生の中で最高の時間。


瞬間。


そこにふと、9月にしては冷たい風が吹き、頬を撫でた。

ヒヤリとした感覚に、意識が引き戻される。


だからだろうか、一瞬冷やされた耳に余計その声が届いたのは。俺の隣から響く低く暗い声が。


「ああ、これなら十分理由になりそうだ。」


ドンッッッッ!!!


突然わき腹に感じる衝撃。

あまりの力に、かはっと肺から空気が漏れる。

体がくの字に曲がり、車道に大きく吹き飛ばされる。

とっさに衝撃が来た方に視線だけを動かすと、そこには口を三日月の形に歪めて立っている尊。

その手の中には風が渦巻いているように見える。


予想外の事態に、混乱が頭を塗りつぶす。


尊が、俺を、吹き飛ばした?


だが、俺に視認できたのはそこまでだった。


急ブレーキの音。


次いで感じる、先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃。

目の中に真っ白な火花が散り、衝撃のまま体中がシェイクされるような不快感が襲ってくる。

体が何度も何度も硬いものに弾き飛ばされ、徐々に勢いが止まっていく感覚。


そして、一拍遅れて感じる全身の焼けるような痛み、痛み、痛み。


かはっと、喉の奥からくぐもった息が漏れるが、それすらも激痛によって中断させられる。

混乱する頭に感じるのは全身を蝕む痛みのみ。

立ち上がることはおろか、指先すら動かすことが出来ない。


『痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い』


何が起こった、自分はどうなっている、痛い、痛い、痛い。

一拍遅れて、どこからか悲鳴のようなものと、俺を呼ぶ声がする。

その声はずっと近くで聞いていた人の声、これからもずっと一緒にいたかった人の声。


そんな人の声だった気がする。


だが、その思考さえ、激流の様に襲い来る痛みによって押し流される。

意識が遠のいていく。自分の命が漏れ出しているのが分かる。


『ああ、何でこんなことになってるんだっけ。』


体の感覚が遠のいていき、全身が冷たくなっていく。

死ぬってこんな感じなんだと、ぼんやりとした考えが思考を満たす。


そんな徐々に薄くなっていく意識の中、コツンと、俺の頭のすぐ隣、地面を踏みしめる音が響いた。

唯一動く眼球で、反射的にその靴の主を見上げる。


そこには尊が、いや違う、尊の形をした何かが居た。


その顔を見て、思わず喉が引きつく。かすれた声が漏れる。

その顔は今まで見たことの無い表情をしていた。憐れんでいるような、それでいて愉しんでいるような、そんな顔。

何でそんな顔をしているんだろう。

思考がまとまらない。今にも意識が飛びそうだ。

辺りの喧騒も遠のいていく。全てが静寂が包まれていく。


『ああ、俺死ぬんだな。』


だから、そう、これは俺の聞き間違いかもしれない。


「悪いな悠馬。短い間だったがお前といるのは悪くなかったぜ。くくく、だが、こいつとの約束なんでな。ま、向こうでも頑張ってくれや。もし戻って来れたらまた会おう。それじゃあな。」


尊が俺に歪んだ笑みを向ける。とてもとても醜悪な・・・・・・。

そして、その記憶を最後に、俺の意識は闇に溶けていくのだった。

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