【十二】魔王、覚醒
「………くぅっ…………はぁ、はぁ」
《幽玄の森》の遺跡に辿り着いたメルトルは、力なく壁に寄りかかった。
自分に起こっている異変に心当たりがないわけではない。
これは、《錯動》と呼ばれる現象だ。
いわば、
それが自分を、自分ではない別の存在に作り変えようとしている。
怖い、とメルトルは思った。
旧文明の崩壊から千年。時間が止まったかのような廃墟で、ずっと一人だった。
永遠にも思える悠久の中で、恐怖を感じたことなんか一度たりともなかったのに──今はただひたすら怖かった。
自分を完全に見失えば──ラムドが遺跡から連れ出してくれた後の記憶も、永遠に失ってしまいそうで。
「それだけは、いや……です……」
メルトルの瞳から涙がこぼれ落ちた。
──メルトルは、かつての文明の髄を集めた、自律型機械人形だった。
彼女の役割は、都市を守り、人々の安寧を確保すること。
だが、複雑な機構を持つゆえに、彼女に使われた魔導式は、《錯動》に対して脆弱であったのだろう。
自由度が高ければ高いほど、仕組みが複雑になればなるほど、不安定さや誤作動も増える。
メルトルはそんな前例を知っている。
旧文明が滅んだ原因は、奢った魔導師が自分で作り上げた実験体を殺そうとして、返り討ちにあってしまい、それをきっかけに魔導兵器が暴走したからだ。
その実験体も、高い学習機能を与えられていた。
そして「心」を獲得した結果、《錯動》が起き、創造主たる魔導師を殺してしまったのだ。
自分に起こっている現象も、似たようなものだろう。
ラムドに強烈な憎悪と殺意を向けられた時、複雑に噛み合った魔導式に異常が生じ、リミッターが外れ、暴走が始まったのだ。
……ピシ、ピシ、と、さっきから首のあたりで何度も音が鳴る。
異様な魔力の圧で、首環が壊れかけているのだ。
これが壊れた時──自分は一体何になってしまうのだろう。
「たすけて、ラムド様」
堪らず、メルトルがしゃがみこむ。
──その呟きは、誰にも聞かれることはなく、空気に溶けていった。
◇◇◇
──ああ、遺跡に逃げ込むように言ったのは、失敗だったな。
俺は激しく後悔していた。
メルトルは《ティネル》に襲われることはねえから、シルヴァ隊長や人間の追手から隠れるには丁度いい。そう思ったんだ。
それが裏目に出たらしい。
辿り着いた《幽玄の森》。
そこは異様な雰囲気に包まれていた。
森全体が嵐の前触れのようにざわめき、地面についた足から微かな振動が伝わってくる。
「この低音……なんだ?」
さっきからずっと、ブゥーー……ーンという、虫の羽音のような低音がしていた。
だが、よくよく耳を澄ませると、この音には聞き覚えがあった。
モーターや歯車が回る時に立てる独特の音が、森のいたる所から発生し、重なり合って、虫の羽音のように聞こえてんだ。
「この音、もしかして《ティネル》か……?」
エリオットが呟く。
無数の《ティネル》の駆動音。
それに気づいた俺たちは、数瞬沈黙した。
「……メルトルが魔王として覚醒しかけてる影響で、旧文明の魔導機関が動き出したのね」
つい黙り込む三バカだったが、アンナヴェリが重苦しい沈黙を破った。
「スタンピードが始まってんのか……?」
「ええ、おそらく」
アンナヴェリが頷くと、エリオットは「厄介だな」とくいっと眼鏡を上げた。
俺は二人を振り返った。
「お前たちはここで待ってろ。俺は遺跡に入ってメルトルを探すよ。まあ……これは、俺がケジメつけなきゃいけないと思うんだよな。
メルトルを起こしちゃったの、俺だしさ」
俺が暇潰しで遺跡探索なんかして、うっかり彼女を起こさなければ、こうはならなかったんだよな。
だから俺の責任だ。
そう思って二人を遺跡から遠ざけようとしたが……アンナヴェリとエリオットは眉を吊り上げた。
「ふざけないで、ここまで来たら最後までつきあうわ」
「右に同じだ。ここで逃げ帰れるか、愚か者め」
「大体、あなた一人でどうにかなる段階ではなくてよ。現実を見なさい」
「だぁーわかったって!たしかにそーーーですねえ!!」
矢継ぎ早に言葉で殴られ、つい叫んじまった。
そしてため息をつく。
「ハァー、お前らってほんと……」
バカだよな。
……口に出すと怒られるから言わないけど。
俺らを「三バカ」って呼び始めた奴、ちょっと出てこいよ。大正解だからなんか景品やるわ。
俺は深々とため息をついて、それから顔を上げて笑った。
「……お前らありがとな。んじゃ行きますか!」
遺跡に足を踏み入れると、次から次へと《ティネル》が湧いて出た。
片っぱしから斬って捨てる俺の後ろで、エリオットが炎の魔導術式で吹き飛ばし、アンナヴェリが防御壁と加護、治癒でサポートしてくれている。
しっかしスタンピードが予言されてた通り、《ティネル》の数は凄まじい。
何匹斬ったかもうわかんねえ。
多分、俺だけで二百か三百は倒してる。
「俺がいくら神剣持ちの勇者といえど、これ全部一人で捌くのは無理だったかもしんない、な!」
「だから言ったでしょう」
「いやホント、二人が来てくれて助かったぜ!」
「礼なら、こいつらを全部排除してから言え」
アンナヴェリがツンと顎をそらし、エリオットが強烈な炎を放ちながら諌めた。
それにしても《ティネル》ってやつは、敵に襲いかかる蜂の群れみたいな、統率された動きをする。
働き蟻だと、サボるやつが何割かは必ずいるらしい。人間社会と同じだな。
だが、機械獣どもは勤勉なのか、律儀に全員で襲いかかってくる。
うっとうしいことこの上ない。
「ちったあサボれや、人間や蟻を見習えっつーの!!」
集中が切れてきたのか、八つ当たり的な思考に走ったところを狙われた。
背後から鳥型の《ティネル》が襲いかかってくる。
目の端に捉えたが、反撃が間に合わない。
大怪我を覚悟したその時──鳥の機械獣に炎の矢が直撃した。
金属の焼ける臭いが鼻をつく。
核が焼け落ち、活動停止した鳥型がガシャンと地面に転がった。
「気を抜くな、ラムド」
「すまんエリオット、マジ助かったわー!」
礼を言って、深呼吸する。
そして襲いくる《ティネル》を斬って斬って斬りまくった。
《ティネル》の群れを殲滅しながら、じりじりと遺跡の奥へと潜っていく。
数時間後、俺たちはようやく深部に到達した。
そこで見たものは──
旧文明が作り上げた双頭の番犬──機械製のオルトロスと、それをペットの如く従えた少女。
肌を黒々しく変色させ、雷と稲妻を纏いし魔王。
明滅する不規則な雷光が、感情を失くしたメルトルの顔を照らし出していた。
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