第28話 終末の光線

 その爆発めいた音の方角である湖へ王都中の人間が振り返る。


 遅れて大量の水が雨のごとく街中に降り注ぐ。


 現実はいつも理不尽で唐突で残酷だ。


 人の貧弱な想像を容易く裏切るような出来事が起こりうる。


 その非現実的な光景を前に、人々は成す術もない絶望を味わうしかなかった。


 夜の闇に浮かび上がる巨大な影。

 湖底から出現したのは、紛れもない巨大な怪物だった。

 城下町の明かりに照らされる威容。


「ど、ドラゴンだ⁉」


 誰かが言った。

 その言葉だけで王都に生きる大勢の人々を恐怖で塗り潰す。


 大地が揺れ、建物に亀裂が走り、そこら中から火の手が上がる。街並みの向こう側から遥かに大きなものが現れる。


 悲鳴を上げて人々が逃げ出していく。嘶く馬の手綱を繰り、落ち着かせると鋭く尖った流線形の頭部が見えた。


「あれが、ドラゴン……生きていたのか」


 ヴィトーはしばし惚けて、この世のものとは思えない存在に目を奪われてしまう。


「バカな、あれは火竜の類です。十年も湖の底で眠っているなんて考えられません」


 ミスティアは自身の知識と照らし合わせても該当しないドラゴンの活動に混乱する。


「聖剣によって倒されたはずだろう! なんで今になって生き返る!」

「死んでなかった、ということでしょうか。第一、出てくるタイミングが良すぎます。あの王には裏がありすぎますよ」

「──俺たちの王国は、誰に支配されていたんだ」


 ヴィトーは脳髄が痺れるような感覚に襲われる。


 あまりにも次から次へと常識外れの出来事が押し寄せてきて思考が追いつけない。


「これより市民の避難誘導を開始する。各員、通りに立って避難指示を伝えろ。可能な限り、王都から人々を退避させる!」


 サムの冷静な指示により、騎士団は一斉に動き出す。


「ふたりはこの混乱に乗じて脱出を」

「だがッ……」

「ドラゴン相手に人間の出る幕などありません。私は一刻も早く王都中の門をすべて解放させますので」


 サムは冷徹に割り切り、人波に逆らうように馬で駆け出す。

 平和だった王都の夜は突如出現したドラゴンによって地獄と化した。

 その地獄もまたただの序章に過ぎない。



 湖岸に上陸したドラゴンはそのまま真っ直ぐに市街地の方を目指す。


 背中の翼は折りたたまれたまま。四足の脚が一歩進むたびに大地は砕け、周囲の建物が倒壊していく。

 分厚い表皮は岩肌のごとき鱗に覆われており、火災を物ともしない。都市という形状を容赦なく踏み潰すように侵攻するに飽き足らない。

 くすんだ黒褐色の鱗の表面はまるで鉄板を加熱しているように、急激に赤く発光していく。空気中の水分が気化していき、白い煙が周囲を漂う。その不気味な輝きは見ているだけで根源的恐怖心を搔き立てた。


 ドラゴンが顎をゆっくりと開いた。


 針山のような牙が並んだ口腔のさらなる奥、喉元では魔力の炎が燃えていく。

 底知れぬ洞窟に原初の火が灯るように、胸部全体で鱗が透けるほどの激しい光が高まっていた。その眩しすぎる不吉な輝きは、夜に太陽が現れるがごとき不遜さだった。


 もしも破壊が光の形をしているのなら、ドラゴンの吐く火息がまさにそれだ。


 放たれる終末の光線。

 炎の赤を超越した白光。

 天と地を引き裂くような細い直線。

 その光の境界が反転、夜を一瞬で消して眩しすぎる真昼に塗り替える。


 あまりの眩しさに誰もが目を開けていられなかった。


 光、直後に轟音と爆風がやってくる。


 世界全体が振り回されているがごとき衝撃が叩きつけられた。


「風の聖域よ、嵐の鉄壁よ、悪しき牙より我らを守りたまえ!」


 ミスティアの咄嗟に唱えた防御魔法が、ふたりの命を守った。


 ヴィトーはミスティアを覆いかぶさって低く地面にしがみついてなお、意識をもっていかれそうな衝撃にじっと耐えた。轟音を立てて世界がかき混ぜられる。


 永遠にも感じた暴威が過ぎ去った。

 やがてその余波が引くと、あたりには不気味な静寂が訪れる。

 耳の奥が痺れて、全身を激しく打ち据えられたように手足が上手く動かなかった。


「何が、起きた……」


 恐る恐る目を開けたヴィトー。自分の下でミスティアが激しく咳きこむ。


 彼女の無事を確認して、慎重に身体を起こす。


 そこに、見慣れた景色はどこにもない。


 視界に白い雪のようなものがチラつく。

 手のひらで受け止めても冷たさは感じられない。


 それは、灰だった。


 ドラゴンの炎で焼き尽くされた何か。


 すべてが理不尽な破壊の前に蹂躙されていた。

 手足の一本がもぎ取られたような衝撃に息を呑む。


 街の一部が完全に焼失していた。


 建物も人も何もかもが消えており、王都を囲う高い壁面がごっそりと削れていた。

 生まれた頃から慣れ親しんだ壮麗な王都が焼け野原のような有り様に変わり果てていた。


 湖畔の形を変えてしまうほどのドラゴンの吐息の威力。


 そして、消失した一帯は先ほどサムが向かった方角でもあった。


「あんなもの、どうやって倒したんだ……」


 ヴィトーに深い絶望が押し寄せる。

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