第26話 甘い夢の終わり
ミスティアの顔を見た瞬間、その正体を見抜いていた。
「その女は魔女だ! 王子は魔女に誑かされた! 今すぐ殺せ! 殺すのだ!」
有無を言わさぬ命令に、王直属の騎士たちが一斉に抜剣。警告もなしに斬りかかってきた。
「二度も大事な人を殺させてたまるかッ!」
ミスティアを背中に守りながら、ヴィトーもまた剣を抜いて迎え撃つ。
重たい一撃。
王国中の剣士の中でも上位の腕前は伊達ではない。辛うじていなして、相手を鎧の上から蹴り飛ばして距離を保つ。
が、こちらの隙を潰すような十重二十重と降り注ぐ斬撃に、ヴィトーも反応するのが精一杯だった。
それでもミスティアのスカートの端を掠めるたびに、怒りが剣速を高めた。
赤い火花が爆ぜる。
儀礼用の剣は注がれた魔力に耐えきれず、あっさりと砕け散った。
「天を翔ける風よ、我らの重さを忘却させ、空を渡る手足となれ」
同時にミスティアの詠唱が完了する。
ふたりの全身に風が絡みつき、足裏がふわりと床から離れる。
「飛びます! ついてきてください!」
ヴィトーは迷わずミスティアの手を摑んだ。
彼女がフロアを蹴り上げると、天井スレスレまで一足飛びに上昇した。
即座に魔法の効果を理解したヴィトーが今度はミスティアの肩と腰を抱いて、高い天井空間を利用してシャンデリアを足場にしながらあっという間に大広間を抜け出す。
目にも止まらぬ王子と魔女の脱出劇。
眼下の晩餐会は一転して大混乱に陥った。
人々は悲鳴を上げ、優雅な音楽は止まり、テーブルに並んだ豪勢な料理が無残に散らばってしまった。
そんな恐慌状態を背後に置き去りにして、ふたりは文字通り縦横無尽に王宮を駆ける。
勝手知ったる我が家たる王宮内の天井や壁、床を立体的に跳ね回って最短距離でミスティアの杖やローブが置いてある衣裳部屋を目指した。
「魔法の効果が切れます! 着地の用意を!」
掛け声に合わせて、彼女の身体を前に持ってくる。お姫様抱っこの状態で最後は扉を蹴破るようにして、衣裳部屋に雪崩れこんだ。
「よく、察してくれましたね」
ミスティアは咄嗟のヴィトーの機転に限りない賞賛を送る。
床に彼女をそっと下ろすと、ヴィトーは強張った表情で自分の礼服を乱暴に脱ぎ捨てた。
魔女のローブと杖を投げ渡して、自身も愛用の黒革のコートに袖を通す。
「どうして王はおまえの正体に気づいた?」
ヴィトーの声は固い。
「わかりません。私がヲウスの魔女として生きていたのは数百年も前のことです。顔かたちは昔と変わりません。私はこの王国に来たのは初めてで、王様に会ったこともありません」
それらの断片から導き出される真実。
「王が一目でおまえの正体を気づいた以上、アレはただの人間ではない。そんなものをもはや父などとは呼べん」
辛うじて繋いでいた父と子の糸は決定的に絶たれた。
ヴィトー自身を支えてきた根幹を成すべき気炎が急速に萎んでいく。
王家の歴史、繋ぐべき血筋、聖剣への憧れ、母の死、たったひとりの王子としての責任、それらすべてがどうでもよくなる。
母を失ったその日から、必死になって理不尽な現実に抗ってきた。
だが、もはや理想の王子など演じる意味はない。
最初から裏切られて、騙されていたのだ。もう何を信じていいのかわからない。
「──残念ですが、あなたとはここでお別れです」
ミスティアはその場にあったナイフでドレスを大胆に切っていき動きやすくする。長手袋を外し、ハイヒールを脱ぎ捨てた。馴染んだ靴を履き、赤いローブに袖を通す。
その決断はあまりにも潔い。
最低限の準備をもって旅支度は完了だ。
「バカを言うな。俺もついていく」
「王の正体を探るには時間も情報もありませんが、自暴自棄にならないで。今ならまだ魔女に誑かされた王子として言い逃れて──」
「そんな汚名を被って生きていけるか。俺は怪物と魔女の間に生まれたんだぞ」
もはや己の存在すら不確か極まりない。
出会った時の霧の中で戦い、ミスティアはヴィトーを怪物として認識されていた。
その理由が自らの出自ゆえなのかもしれない。
怒りと混乱でまともな思考ができないヴィトーを宥めるように、ミスティアは彼の頬に手を添えた。
「あなたは、あなたじゃないですか。それだけは変わりませんよ」
「ミスティア、俺はおまえさえいれば──」
「いけません」と指先でそれ以上の言葉を押さえこむ。
「甘い夢を見てしまいました。あなたとなら魔女以外の生き方もあるかもしれない。だけど、どうあっても私の消せない罪を私ひとりのもの。私が創った三大厄災具を壊すまで、この人生に人並みの幸せなど不要なのです」
「なら、国も玉座も捨てるだけだ」
「いつもの冷静さはどうしましたか、ヴィトー・ラザフォード」
「どうしましただって? そんなものは決まっている」
ヴィトーは強引に唇を重ねた。彼の力強い求めに抗えず、彼女もまたどこまでも優しく慈愛に満ちた接吻で応えてしまう。
ゆっくりと口元を離して、ふたりはお互いを真っ直ぐに見た。
廊下の方から鎧が鳴らす足音が迫りくる。
「俺は玉座よりも馬上で風を感じる方が好きなんだ」
「物好きな人ですね」
「魔女に骨抜きにされたからな」
「後悔しませんか?」
「おまえの罪の意識が軽くするために、この命はあったんだ」
「ヴィトー」
「俺はもう重たい大量の剣を携える必要がない。おまえのくれた唯一無二の剣で生きていける。だから、おまえの手伝いをさせてくれ」
「心からの感謝を」
「礼なら王都を脱出してからだ」
精鋭騎士が突入してくる。
だが、それより先にふたりは部屋の窓から外に飛び出していた。
詠唱は既に終わっている。
風の魔法に乗って、ふたりは軽やかに丘の表面をなぞる様に滑空していった。
「本当に、夜の湖は綺麗ですね」
「俺も空を飛びながら見るのは初めてだ」
ヴィトーの言葉通り、夜空が移りこむ湖は幻想的ですらあった。
そして幾多の孤独な夜を慰撫した美しい光景を焼きつけながら、王子は心の中で故郷に別れを告げた。
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