第25話 王

 王と呼ばれる男は死の気配を濃厚に纏っていた。


 寝所から出てきたばかりのように素肌に上着を羽織っただけの軽装。大きく開いた襟元から覗く身体は病の痛みを酒で散らす日々であばら骨が浮いた。やせ細った肉体は幽鬼のごとく、もはや消えない隈に縁どられた血走った目だけがギラギラと光っていた。


 誰もが顔を伏せて、王に対する敬意を払う。


 宝石で装飾された黄金の杖が一歩進むごとに音を立てる。そのリズムには力がなく、歩みはゆっくりだった。


「父上、まさかおいでくださるとは。どうぞ、私の手をお使いください」


 ヴィトーは隣に寄り添う。


「王の器よ、よくぞ帰った。大事はないか?」

「はい、問題ありません。どうぞお座りください」


 王専用の椅子に腰かけさせる。ひじ掛けの一方に傾く座る姿は大きな椅子に沈みこむように頼りない。

 

 沈黙を旨とする八人の騎士は王の権威を示すように左右に居並ぶ。

 その威圧感は宴の席においても否応なく人を遠ざける。


「皆、楽にしろ」と掠れた声で漏らす。


 ヴィトーは代わりに声を張り上げた。場内を満たす緊張感がわずかに緩む。


 王の顔色はすこぶる悪い。眼窩は落ちくぼみ、頬はこけていた。骨に皮が張りついているだけ痩身なのに、両眼からは異常な力に溢れる。薄気味悪い死の気配を漂わせながら、飽くなき生への渇望が両立した矛盾に満ちた存在。


 かつては勇者たりえた健康的な若い騎士は玉座に就いてから、その体調を急速に悪化させていった。


 酒と色に溺れた日々の中でも新たな王子が生まれることもなく、ヴィトーが十代に達する頃には床に臥す時間の方が増えていた。


 勇者としても面影は一片もなく、死を待つばかりの老人にしか見えない。

 父は年齢以上に老いている。


 遠征から帰るたびにヴィトーはそれを実感してしまう。


 このまま懐に忍ばせた短剣で一突きにすれば、玉座はヴィトーのものになる。薄皮一枚の下で脈打つ心臓を止めるなど造作もない。


 そんな誘惑に駆られながら、ヴィトーは理想の王子に徹する。


 ヴィトーは好き嫌い以前に子どもの頃から実の父親で、この国で一番偉い男のことがよくわからない。


 母を奪った憎き仇。そして、自分の最大の庇護者。


「父上、今回の遠征先で作られた名産品のワインを土産にもってきました。どうぞお楽しみください」


 ヴィトーの合図で、すぐに黄金の酒杯を持ってこさせた。


「ほぅ、どれ」


 ワインを啜る様子はあたかも血を呑んでいるようだった。


 王は一息で酒杯を飲み干すと、すぐにおかわりを求める。

 そんな風に王が絶え間なく酒を煽り続ける光景は王宮の日常だった。


「また一段と男ぶりが増したな。その鍛え上げられた肉体なら、どんな魔女が来ても問題なかろう」

「ドラゴンを討ちとった勇者である父上には遠く及びませぬ」

「偉大なる聖剣があってこそだ。あれこそ王家を守護する至高の剣。この身はただ剣に従っているにすぎん」


 酒に溺れる王はいつだって聖剣を讃える。


 それこそ物心ついた頃から繰り返し、同じ話を数えきれないほど聞かされた。そのおかげでヴィトーの聖剣に対する憧れが育まれた。


 逆に自ら手にかけた王妃のことを語ることは一切ない。

 ただ、魔女に対する果てしない恨みだけが酒臭い息と共に吐き出されるだけだった。


「陛下におかれましては大切な御身がご快復することを祈っております」

「──時が来れば、この古びた肉体を捨てるだけだ」


 実に簡単に言ってのける。

 その達観と全能感に満ちた物言いは、かつて国を救った英雄ゆえの潔さなのか。

肉体の衰えに反して、死への恐怖なき傲慢な物言いは臣下たちを困惑させる。


「父上、ひとつ質問をよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「どうして魔女狩りの対象を、女性に絞るのでしょうか?」


 昼間のミスティアとの会話で浮かんだ疑問を訊ねた。


「突然どうした?」


 王は酒を置いて、ヴィトーを見上げた。


「聞けば、国の外では魔法なる不思議な技術を使うのは女性に限らないとのこと。そして、その源となる魔力は誰しもが大なり小なり有しているそうです。ならば魔法を使う女だけを狩る理由とはなんなのでしょう?」

「……魔法の知識を得たのか?」

「わずかですが」


 ヴィトーは思い切って肯定する。王の返答次第では即座に、魔女の息子である自分の首が刎ねられる可能性もある以上、中途半端に誤魔化しても無駄だ。


「ならば自身の呪いの正体が魔力抵抗によるものだと気づいたわけか」

「⁉ ご存知なら、どうして私に教えてくださらなかったのですか!」


 ヴィトーは二度も裏切られたような気持ちだった。

 これ以上ない失望が押し寄せる。


「──魔は魔を呼ぶ」


 もはや聞き馴染みのある言葉を王の口から聞くとは思わなかった。


「魔法に触れたら最後、その運命から逃れられない。おまえには魔法なぞ知らずに育ってほしかった」


 王は虚ろな目で干からびた手を見つめる。


「しかし、魔法の力は偉大です。その力は使う者次第で変わります。良き魔女だって」

「愚か者!」


 ヴィトーの言葉を容赦なく遮る。


「──魔女は、悪しきものを創造する。許しがたい禁忌を平然と犯し、厄災を呼ぶ。それは私が支配する王国には決して存在させてはならない」


 弱った身体からこれほど憎しみと怒りに満ちた返答が絞り出されるとは思わなかった。

 その凄みに思わずヴィトーでさえ気圧されかけてしまう。

 ヴィトーの脇に冷たい汗が流れ、口の中に渇きを感じる。


「父上は魔女に対して遺恨でもあるのでしょうか? とても、私怨めいたものを感じます」


 ヴィトーの直感がそんな気配をかぎ取った。


「おまえには関係がない」と無慈悲に切り捨てる。


「なら母上は⁉ 母上はなぜ殺されなければならなかったのでしょうか?」


 声が震えたのは、その問いがあの日の幼子だったヴィトーから発せられたものだからだ。


「王妃は不遜にも聖剣の声を聞くことができた。それは魔法に通じている動かぬ証拠だ」

「そんな、まさか⁉」

「ドラゴンが襲来した際、王妃は畏れ多くも聖剣の処分しようとしていた。王都滅亡の瀬戸際において私が聖剣を使うのを阻止しようとする大罪を犯した」


 王は忌々しげにヴィトーの知らない過去を語る。


「そしてドラゴンを湖に沈めてからも、あの女は偉大なる聖剣を罵った。それは王家の歴史への侮辱であり、勇者である私に対する最大限の無礼だ。さらには王の器である貴様を連れて、王宮から逃げ出そうとした」

「そんな、まさかッ⁉」

「だから連れ戻した直後、私自らの手で葬った。この王国の未来を守るために」


 幼かったヴィトーの記憶は曖昧だ。

 だが、我が子の目の前で父親が母親を殺した理由はハッキリした。


「父上……」

「すべては過去のことだ。おまえという未来が無事なら、それでいい」


 王は酒杯を一息で飲み干し、また新しいワインを注がせる。


「して、おまえは婚約者を連れてきたそうだな」

「はっ。王のお耳にも聞き及んでいるとは」


 王はいつでも耳聡い。このようにどんな些細なことまで知り得る情報収集能力こそが病床にありながら国家運営の手綱を放さずにいられる理由だった。


「正式に妻にしたいのか?」

「──王のお許しが得られれば」


 ヴィトーは己の気持ちをハッキリと定めた。


「どれ、私が見定めてやろう。その者を前へ」


 王に促されて、ヴィトーは離れた場所で様子を窺っていたミスティアを連れていく。


「ミスティア、王にご挨拶を」

「え、嫌ですよ。魔女狩りされちゃいますってば」

「俺の肚も決まった。おまえが認められれば、王妃になってもらう」

「はい⁉ 婚約者は口から出まかせでは?」

「ミスティア、俺はおまえが必要だ」

「そんな真剣な顔で言わないでください。心が揺れてしまいます」

「おまえの探し物は手伝う。だが、せめて俺が老いて死ぬまで側にいてくれ」


 ミスティアは答えなかった。

 代わりに、ヴィトーに引かれる腕を振りほどくこともしなかった。

 そして、王と魔女が対面する。


「お初にお目にかかります、陛下」


 ミスティアはドレスの端を摘まみ、恭しく首を垂れる。

 そして、彼女の顔を見た瞬間、王はいきなり酒杯を床に落とした。

 赤いワインが盛大にぶちまけられ、ミスティアの白いドレスに血のように降り注ぐ。


「キャッ⁉」

「父上⁉ 一体何を」


 突然の出来事に戸惑うふたり。

 だが、それ以上の驚くべき言葉が王から発せられた。


「ヲウスの魔女、なぜここにいる!」


 王の絶叫が大広間に響き渡った。

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