第21話 風呂場にて
「はぁわ~~極楽です」
全身から緩んだ声が漏れてしまう。
豪奢な湯殿で中央にある巨大な風呂は乳白色の湯でたっぷりと満たされた。
甘やかな香りの漂う湯には様々な薬草や香油がふんだんに使われており、疲れた身体を癒してくれた。
足をすべて伸ばしても、端にぶつかることはない。
至福の心地に包まれる。
「もうこのままずっとここにいたい」
こまめに髪に櫛を通していたが、やはり傷みは避けられない。それをようやく手厚くケアすることができて、ミスティアは気分が晴れやかだった。
魔女にとって髪は魔力の媒介として役立つので、命にも等しい。
女心としても己の髪にはできるだけ気を遣いたかった。
それを満足にできないのが旅暮らしの困るところ。
「こんな贅沢、いつぶりだろう」
当たり前だが、ヴィトー・ラザフォードは本物の王子様だった。
王子の帰還に誰もが笑顔で出迎えた。
そして王子が連れてきた女性に相応しい歓待を、と大勢の従者がミスティアの世話をしようと押し寄せてきた。
が、その心遣いだけ受け取って、風呂にはひとりで入っている。
魔女の世話をさせられると知ったら彼女らは卒倒してしまうだろう。
恐縮するミスティアに代わって、「彼女にも事情がある。望まれたものに応じて、それ以外の不必要な気は回さなくていい」とヴィトーが口添えして事なきを得た。
「「「はい、王子様!!!」」」
若い娘たちは王子と直接言葉を交わせたことに感激していた。
「あの王子様、結構慕われているのですね」
彼が率いる部隊の騎士の態度や街中の市民の様子、そして王宮に勤める数多くの従者の反応を見れば、誰もがヴィトーを好いていることがわかった。
「強引さと冷静さが人を惹きつけるのでしょうね」
我を貫くが筋が通っており、無茶なことも強引に成し遂げる実行力があった。
口は悪いが横柄にはならず、細やかに周りを見ているので些細な変化を取りこぼさない。良いことがあれば褒め、悪いことがあれば気まずくならないように注意する。
「弟子なんて、とるつもりはなかったのに……」
いつの間にか師匠と名乗っている自分に驚いていた。
訓練はただの交換条件だった。
三大厄災具の情報を集めるのに、国家レベルの調査網を借りれるのはミスティアにとっても渡りに船だ。
闇雲に旅をするより早く見つけられるだろうという期待もあった。
ただ、それ以上にヴィトー・ラザフォードという原石を磨くことにいつしか自分自身が熱中していた。
物覚えの勘が良く、地道な訓練を厭わず、高い集中力で臨み、この旅の間だけで目を見張るような上達をしていった。
これほど教え甲斐のある弟子も珍しい。
不覚にも彼の成長を最後まで見届けたい欲すら湧いてきていた。
どうせ弟子をとっても自分より先に死んでしまう。
魔法において高次元の領域にいるミスティアは、不老不死に限りなく等しい。他の人間より遥かに加齢が遅く、違う時の流れを生きていた。
「こんな個人的な欲を抱くのは、久しぶりですね」
ミスティアは三大厄災具を探すことに人生を捧げてきた。
一所(ひとところ)に身を寄せても、長居することはない。数え切れない出会いと別れを繰り返して、彼女は想いを残すことに疲れてしまった。
困った人を見過ごせないのは性分だが、お互いにの事情に深く立ち入ることはしない。
後に戻ってみたら、助けた人々が村ごと消えていたなんてことは何度もあった。
しょせん自分の手助けは、自己満足のその場しのぎ。
ヲウスの魔女が最初に抱いた世界を救うという願いには程遠い。
「そんなの無理に決まっている」
染みついた諦観がミスティアを呪う。
無駄と知りながらも、他に生き方を知らない。
現実に打ちのめされ、心を閉ざし、ただ新たな悲劇を生み出さないために旅を続けた。
どこにもいられない放浪者はささやかな市井の活気に微笑し、自然の美しさに癒され、ただ星々が瞬く夜の静寂に感謝する。
三大厄災具のどれかひとつでも使われれば、あっさりと失われてしまう。
「それだけはダメ」
慣れない贅沢に心が弱っている。
ここもいつかは旅立つ。魔女狩りをする王国に自分の居場所はない。
あの変わり者の王子様も王位を継いで。本当の妻を娶り、子を成す。いずれ戦いも卒業して、剣飢えなどと呼ばれることもなくなる。
彼は優れた王として、この国を統治していくだろう。
そうした当たり前の営みの中に、自分は不要だ。
「──ミスティア、入るぞ」
「へ?」
その声で我に返る。気づけば風呂場の端にヴィトーが立っていた。
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