第12話 魔法は嘘をつけない
「それでも俺にはまともな剣が必要だ」
「魔女狩りを続けるために?」
「王国の末永い平和を保つためだ。誰も無闇に命を落とすことのない治世を俺は実現する」
ミスティアは窓の外に顔を出す。
豊かな森は静寂に満ちており、馬車の進行を妨げるような気配は感じられない。清浄な空気に湿気を孕んだ複雑な匂いがする。
「この王国に来てから、私は一度もモンスターに遭遇していません」
「あぁ、滅多に出現しない。ごく稀に遠方から紛れこんでくるくらいだ」
「この森の樹々はどれも背が高い。長い時間をかけて成長していますね」
「それがどうした?」
「大型のモンスターがいるような森ではこんな風に樹々が豊かに大きく育つことがありません。踏み荒らされ、育つ前にダメになるんです」
自分にとっては当たり前の景色すぎて気づきもしなかった。
大型のモンスターが生息していれば、通常の樹々がこんな風に鬱蒼と育って大森林を形成することは難しい。
「なにが言いたい?」
「魔法とは、脆弱な人間がモンスターの脅威から身を守るために長い時間をかけて発展させてきた技術です。モンスターのいない土地では不要な力ですよ」
「だが、ゼロではない。最悪の事態に備える必要がある」
「魔女狩りのため、ではなく?」
「必要であればな」
「どうせ断ったところで力づくで学ぼうとするんでしょう?」
ミスティアは捨て鉢気味に肩をすくめた。
「情報は痛みで引き出すことはできるが、学びには不向きだ。知識だけを知っても活用できなければ宝の持ち腐れだ。俺は非効率が嫌いだ。知識を駆使して、目的を果たしたい。そのためなら敬意を払い、環境を整え、褒美を用意し、あるいは弱みを握っておく」
「最後の一言さえなければ最高でしたのに」
「馴れ合うつもりはない」
ヴィトーは最大限の理解を示す一方で、決して心の内側に踏みこませない。
そういう冷たさがあった。
「学びには心からの信頼関係が大事ですよ。その方が効率もいいです」
「魔女に篭絡される昔話は子どもの頃からよく聞かされた」
「あら、色情狂なのはごく一部ですよ」
魔法でしばしば体液を材料として用いるのは第一に成功率を上げるためだ。
その目的が色恋の成就や肉欲の充実など薬効的なものから、相手を支配する純然たる手段など多岐に渡る。それらの出来事がごちゃ混ぜになって尾ひれがついて語られるため魔女は淫乱というイメージが作り上げられた。
「だが、人の心を操る魔法もあるのだろう」
「ありますけど、少なくとも王子様には通じません」
「魔力抵抗が高いからか?」
「その通りです。……王子様は、魔女がお嫌いですか?」
ヴィトーが初めて口を噤んだ。
喉元で出かかった言葉を言い出せずに苦しげな表情を作る。
「王子様。婚約者には素直になってください」
ミスティアは茶目っ気たっぷりに言う。
「それは仮初だ」
「なら余計にいいじゃないですか。不都合があれば、さっさと魔女の首を刎ねればいいだけの話です。ご自分で無理なら部下の方に命じればいい」
かと思えば、己の死を受け入れているような覚悟を決めた澄んだ表情になっていた。
「おまえは死ぬのが恐くないのか?」
「恐いですよ。実際、あなたには殺されたかと思いました」
「あぁ、俺が殺し損ねた」
「躊躇う理由があるのでは?」
魔法は噓をつけない。
良くも悪くも心の奥底と強く結びついたものほど強い力を発揮する。
しかもヴィトーの場合、同じ一撃の中で物と人を区別することができていた。ミスティアは生かし、杖だけを斬り捨てた。
そんな器用な真似をできる者をミスティアは聞いたことがない。
ヴィトーは瞑目して、それから己の過去を打ち明ける。
「俺の母は魔女として王である父に殺された。俺の目の前でだ。母上が本当に魔女だったのか、俺にはわからない。そして王の勅命で魔女狩りが開始した。徹底的に魔女という存在を王国から消し去ろうとして、多くの血が流れた。すべては平和のために……………、だが、本当にそうなのか?」
すべては手遅れだ。
失われたものは戻らない。
代わりのもので埋めることはできても、失った事実は消えない。
「俺が剣をまともに握れないのも、魔女の血が流れるせいだと言われたものだ。だから圧倒的な力を身につけて黙らせた。誰にも文句は言わせない。剣の一本で戦い抜けないなら、戦う分だけ剣を使えばいい。戦場で剣がすべて折れれば敵味方関係なく死体からでも剣を奪ったものだ。剣を数え切れないほど使い潰し、気づけば国中から剣飢えの王子と呼ばれる始末さ。信頼できる仲間は増え、俺の騎士団が来るとわかれば早々に白旗を上げることも増えた」
ヴィトーは壮絶な過去を淡々と語る。
同情も非難も賞賛もすべては無意味だ。
彼自身の傷はいまだ癒えず、それでも未来のために戦いを余儀なくされる。
彼は未来の王だ。王子として絶対に死ぬわけにはいかない。
「──それでも、剣の握れない王に平和が守れるのか?」
トラウマは今なお苦しめる。
強烈なコンプレックスは消えることはない。
己がこれから背負う重さに押しつぶされそうだ。
「私はあなたのお母上ではありませんよ」
ヴィトーは知らぬ間に伏せていた顔を上げた。
「ただ、あなたも王様であるお父上とは別人です」
馬車は森の空白ともいうべき開けた場所を抜けていく。
天井のように頭上を覆っていた枝がなくなり、陽光が差しこむ。
光に照らされたミスティアの髪はどんな黄金よりも眩しく見えた。
「わかりました。戦う力ではなく、あなたの心を守るために望む剣をあたえてみせましょう」
慈愛に満ちた眼差しを向けられて、ヴィトーはどこか気恥ずかしさを覚えた。
「最初からそう言えばいいんだ」
「私の教え方は厳しいですからね。落第しても救済はありませんよ」
「望むところだ」
この手に握るべき剣は存在する。
ヴィトーにとって、それは何物にも代えがたい新たなる希望だった。
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