第4話 魔女の素顔

 魔女は自身を矢とした猛スピードによる急降下で、ヴィトーに肉薄する。


 馬で逃げるには遅く、攻めるには心許ない。


 ヴィトーは迷わず馬を捨てた。

 地面に飛び降りたと同時に、愛馬が無残な肉塊に変わる。


「クソ! 賢くて気に入っていたんだぞ!」


 土まみれになりながら態勢を立て直す。

 足元に吹き飛んだ馬の首が転がってくる。見開かれたままのつぶらな瞳は自分の死の瞬間さえ理解できなかったのだろう。

 主の気持ちをよく理解し、勇気ある馬だった。

 ヴィトーは共に戦場を駆け抜けた愛馬を悼む間もなく、敵の姿を探す。


「猛り狂う風よ、罪深き者を残らず放逐せよ」


 その詠唱が聞こえた時、爆風めいた風が全身をさらう。


「──なッ⁉」


 気づけば、空が正面にある。


 ヴィトーの身体は巨大な手で掬い上げられるように宙に投げ出されていた。

 強風が、騎士団も村もすべて視界に収まるような高さまでひとりの人間を遠くへ放り出したのだ。


 一瞬の浮遊感、意識の空白、見慣れた景色を見知らぬ角度から見た違和感。


 文字通り、手足は空を切った。


 ──そして落下が開始される。


 眼下に広がるのは村の付近に流れていた川である。


 川の深さはたかが知れていた。この高さから落下すれば無事では済まない。空中には減速に役立つものがない。


 逆らえない重力という名の鎖に引きずり下ろされ、死に向かって叩きつけられる。


「────フッ!」


 着水の間際、神業的なタイミングをもって剣で水面を叩く。


 川面が爆ぜて、ヴィトーは強引な減速に成功する。


 激しい水柱が立つ。

 ヴィトーの身体は横に吹き飛び、石が水切りするようにして川岸に突っこんだ。


「ぶはっ! ゲホゲホ!」


 水中から顔を出して、飲みこんだ水を吐き出す。


 濡れた顔を拭いながら敵の姿を探した。ずいぶんと遠くまで飛ばされた。


 身体は衝撃に痺れ、目が回っていた。


 それでも追撃に備えて無理に立ち上がり、動きに支障がないことを確かめる。


「信じられない。あれで死なないなんて……」


 魔女は空から悠然と舞い降り、川面の上で滞空する。


「おまえが噂の魔女か。跨るのは箒じゃないんだな」


 相手は赤いローブを全身に被っており、骨色の長い杖の上に腰かける。

 その恰好は実に面妖でどこか非現実的だ。


「なぜこんな辺境の村を襲う? ここの人々は静かに暮らしているだけだ。今すぐ兵を連れて立ち去れ」


 正体を隠す魔女は警告する。


 声は歪んで聞こえ、くぐもっており感情を読みづらい。

 フードの下の顔もよく見えない。影が落ちているのとは違う。顔の前に闇色の仮面を被っているように屈折して、その素顔はどの角度からも確かめられない。おまけに全身を覆う赤いフードは妙な着ぶくれ方をして、体格も判別不能。内側に武器を隠している可能性もある。


「いきなり殺しにかかった相手の説得に応じると思うか? 火の玉、木の怪物、風で吹き飛ばされて、と魔法の波状攻撃。ふざけやげって」


 ヴィトーは新しい剣を構える。

 このわずかな間に魔法の理不尽さを立て続けに味あわされた。


「おまえがあんなに魔力を放出して挑発するからだ」


 魔女は当然とばかりに反論する。


「はぁ? 魔力? 挑発? なんのことだ?」

「とぼけるな。あんな大火のように魔力を煌々と垂れ流して。どんな危険なモンスターを引き連れてきたのかと思えば、まさか人間とは……」

「おい、俺をモンスターと勘違いしたとでも言うのか?」

「だから貴様だけを引き離した。おまえだけは村に入れさせるわけにはいかない」


 魔女の警戒は本物だが、語ることはヴィトーにとっては意味不明だった。

 どうすれば人間であるはずのヴィトーをモンスターと誤解するのか?

 その口振りを魔法の知識に乏しいヴィトーは判断できない。


「正体を隠した卑怯者の言葉など信じるに値しない」


 ヴィトーはそれらの疑問を一度無視して、王子としてあくまで体制側の立場で話す。

 どの道、敵である以上、殺すか殺されるしかでしかない。


 手元に残った剣は残りわずか三本。

 長期戦は分が悪い。新しい剣を補充するには天幕まで戻らないといけないが、この魔女に背を向けるのは命取りだ。


「これは取引ではない。命令だ。大人しく引かないと命を奪う」


 魔女もまた一歩も引かない。

 樹々の巨人を全滅させてなお自ら姿を見せるあたり、勝算が残っているのだろう。


「魔女の分際で指図など片腹痛い。大人しく降伏するか、その首を差し出せ」

「……なぜ魔女狩りなんて無意味なことをする?」

「すべての魔女は死すべし。そう王が定めた」


 ヴィトーは冷徹な眼差しで断ずる。


「おまえのような危険な男はここで殺しておくしかない」

「王国の秩序を乱す魔女はひとり残らず殺す」


 両者の言い分はどこまでも相容れない。

 お互いの言葉を聞こうとせず、ただ脅威と定めた相手を排除しようとする。

 両者の殺意がピークに達した。


 魔女は骨色の杖を振るう。


「火の玉よ、赤き蜂のごとく、迸れ」


 いきなり空中で熱が収束し、景色が歪む。渦を巻いて生じた炎は球のように凝縮され、弾け飛んでくる。その真っ直ぐな軌道はヴィトーを正確に狙っていた。


 回避は間に合わない。

 そう理解するより先に振るった剣は、飛んできた火球を消し飛ばした。


 驚いたのは双方。


 だが、次の動きはヴィトーの方が速かった。柄を捨て次の剣を抜く。残り二本。


 とにかく距離を潰して、魔女に詠唱する隙をあたえてはならない。


 躊躇わず川の中へ走り出す。水に足を取られて速度は陸上より遅い。


「剣が尽きる前に仕留めるまでだッ!」


 ヴィトーの目には歓喜の色が浮かぶ。

 魔女と呼ばれる存在と戦うのは初めてではない。


 だが、この魔女は別格だ。


 大抵の魔女はヴィトーが現れた時点で敗北確定だった。彼の剣の特異性と人並外れた身体能力をもって、魔法の詠唱を終えるより先に首を斬り落としていた。


「こんな辺境に魔剣使いがいるなんてッ」


 魔女は水の上を駆けるようなヴィトーの素早い接近に、慌てて上空へ離脱しようとした。


「逃がすか!」


 ヴィトーの剣速が浮上をわずかに上回る。

 空振りかと思われたが、剣の切っ先がフードの垂れ下がっていた裾にかすかに触れていた。


 その証拠に、ヴィトーの剣は砕け散る。残り、一本。


「きゃッ⁉」


 魔女の全身を覆っていた守りの護符が破られた。その効果が一瞬で引きはがされた反動で、魔女はバランスを崩して川の中に盛大に落ちてしまう。


 隠されていた素顔が明らかになる。


 現れたのはヴィトーとそう年端の変わらぬ少女だった。

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