第3話 樹々の巨人

 冴えた直感はヴィトーを狙う死の気配を捉え、肉体は自動的に動いた。


 極限まで引き延ばされた時間の中で、頭部を仕留めようとする攻撃を迎え撃つ。


 それこそがヴィトー・ラザフォードが幾度の戦場を越えて、生き続けてきた理由。


 視覚で認識するよりも速く剣を抜き放ち、力でねじ伏す。


 研ぎ澄まされた一閃。


 網膜に辛うじて映りこんだ残像は燃え盛る火の玉だった。


 剣の切っ先に敵の攻撃に触れた途端、火球は消失。


 ──それは物理的にかき消したのではなく、火の玉という現象を破却した。


 同時に、ヴィトーの手元で赤い火花が咲くようにして、持っていた剣が内側から爆ぜた。


 王都でも一流の鍛冶師が作り上げた渾身の一振りは繊細なガラスのように粉々に砕け散る。


 赤い火花の残光が煙のようにヴィトーの周辺を漂う。


 これがヴィトー・ラザフォードにかけられたとされる魔女の呪いだ。


 彼が一度剣を振れば、たちまち赤い火花が弾けてどんな剣も砕けてしまう。


 ヴィトーは表情ひとつ変えず、火球が飛んできた方向を見据えた。

 深い霧の奥にいる敵を睨らむ。


 追撃はない。


 こちらの脅威は十分に伝わったようだ。

 敵の驚愕が霧の向こう側からでもわかる。

 相手は今の一撃で終わらせたかったのだろう。


 ヴィトーは嘶く愛馬をなだめながら冷静に状況を分析し、ほくそ笑む。


「王子、また呪いですか!」


 サムにもヴィトーの剣が砕ける光は見えていた。


「この霧の中で頭を正確に狙ってくるとは相手もやるな」


 そんな神業めいた攻撃は魔法以外に考えられない。


「全員、戦闘用意ッ! 王子が狙われたぞ!」


 サムは主の安否を確かめ、控えていた全軍に向かって叫んだ。


 ヴィトーは冷めた目で使い物にならなくなった剣を見る。これまで通りの変わらぬ現実を確かめるだけだった。


 無残に柄だけになった剣を草むらに投げ捨てる。


 ……不思議なことに、これだけの霧なのに青草から朝露が跳ねることはほとんどなかった。


「ヴィトー様、お怪我は?」


 両者は手綱を引き、愛馬の鼻先を敵陣に向ける。


「問題ない。将である俺を狙って早期決着したかったのだろう。霧に乗じた暗殺まがいの攻撃──真っ向勝負なら勝ち目が薄いと自分で言っているようなものだ」

 

 敵は合戦の素人だ。

 ただし追撃をしてこなかった判断は正しい。

 身構えていたヴィトーを前に、無闇な攻撃は自らの位置を知らせるも同然だった。


 だが、初手から実際に魔法による攻撃を受けたことで、ヴィトーの心は躍る。


 この戦場には手応えのある敵がいる。


 ヴィトーの身体は火がついたように昂ぶり、赤い光が白い闇の中で輝く。


「向こうは焦っている、今すぐ数で押せば俺たちの勝ちだ」

「こちらを誘って数を減らす罠では? やはり夜明けを待ちましょう」


 サムは、同意しつつも副官として慎重な態度を守る。


「挑発なら誰でもいい。俺を狙う必要はない。そもそも俺が指揮官に見えるか?」


 ふつう、全身に剣だらけの偏った装備の男が指揮官に見えるわけがない。


「……命を狙われた直後で、相変わらず豪胆なお人ですね」

「朝は来ないぞ。この霧は魔法だ」

「まさかッ⁉」


 サムは自軍を取り囲む白い闇を見渡す。


「この霧には不自然な点が多い。いくら霧がブドウの生育に適した環境とはいえ、こんな天候が毎日続くようではブドウが腐るだろう。仮に本物の霧なら濃さに反して湿気が少なすぎる。もっとそこら中が濡れていていいはずだ」


 ずっと霧の中にいるにも拘わらず、髪や衣服は平時と変わらない。


「そういえば……」

「凌いだ攻撃も矢の手応えではない。ただの弓兵が的も見えない霧の中で、俺の頭を狙い澄ませるわけがない」

「では」


「あぁ、ここには魔女がいるぞ」


 ヴィトーは新たな剣を抜き放つ。


 直後、先ほどの火球が雨のように頭上から降り注ぐ。


 剣を上方に切り払い、直撃を防いだ。

 赤い火花が飛び散り、剣がまた内側から弾け飛ぶ。


 ヴィトーは即座に柄を投げ捨て、新しい剣を抜きながら的にならないように馬を走らせた。

 姿の見えない敵からの奇襲に自陣営は騒がしくなる。


 初撃は水平方向から攻撃、かと思えば次は頭上から面での強襲。

 この短時間でそんな立体的な移動をするには──空を飛んでいるとしか考えられない。


「魔女は上空だ! 盾で備えろ! 無闇に矢は射るなよ、味方を殺すぞ!」


 ヴィトーは空にいるであろう魔女の姿を探す。

 急速に霧が晴れていき、鮮やかな朝焼けが見えた。

 とっくに夜は明けていた。


 引き換えに、ギシギシと巨大な何かが軋むような音が聞こえてくる。


「か、怪物だ! 木が動き出したぞ!」


 騎士の誰かが叫ぶ。

 同じような悲鳴が四方から上がっていく。


 街道沿いの樹々が命を得たように地中から這い上がってきて、小山のようなずんぐりとした人型を成していく。


 それは樹々の巨人だった。


 分厚い樹皮が固い鎧となり、幹のような太い腕は屈強な筋肉のごとく頑丈、足腰が根を張るように巨体を支えながら動く。


 その数、実に十二体。


 最初から騎士団は罠の真ん中にいた。

 霧による攪乱で、樹々の巨人という伏兵を隠していた。


 近くにいた仲間は必死に矢を射ち、体重を乗せて槍を刺しこむも効果がない。

 樹々の巨人は緩慢な動作で、騎士を容易く薙ぎ払う。


「面白い!」


 ヴィトーはすかさず手近な巨人に挑みかかる。

 多数の剣を携えながらも馬上から跳んで斬りかかった。


 本来、人間の振るう剣が大木の幹をまともに切り倒せるはずもない。


 だが、ヴィトーの剣は違った。


 樹々の巨人の腕に剣の刃が触れた瞬間、大輪の赤い火花が炸裂する。


 剣はまたも砕けた。


 引き替えに樹々の巨人は片腕をなくし、そのまま巨体は魂が抜けたように一気に退色して、朽ち果てた古木のごとく動かなくなった。


 その圧倒的な光景を見た瞬間、兵士たちの歓声が上がる。


 ヴィトーは砕けた剣を捨てて、次の剣を握った。


 物言わぬ倒木と化した樹々の巨人の上に立ち、戦場全体に語りかける。


「恐れるな、我が騎士たちよ! これより副官サム・ダニエルに従い、村を落とせ! 魔女と樹々の怪物はこのヴィトー・ラザフォードが引き受ける!」


 天に掲げた剣は朝日を反射して輝く。


 その振る舞いは味方を鼓舞し、敵である魔女への宣戦布告だった。


「我らが未来の王! 勇者の息子、万歳! つるぎえに栄光あれ!」


 ヴィトー・ラザフォードが大量の剣をひとりで携える理由。

 どんな名剣から宝剣、鈍らな剣も問わず、ただの一度で使い潰す。その代わりにどんな対象でも必殺の一撃をもって斬り伏せる。


 そのため戦い続けるには常に新しい剣が必要となった。剣が尽きれば死を直結する。次々に剣を消費しては、その場にある剣を生者も死者も関係なく求めた。


 ついたあだ名は剣飢え。


 ヴィトーは再び愛馬で駆けて、陣営を襲う樹々の巨人を一撃をもって次々に仕留めていく。


 樹々の巨人はその見た目通り、力の強さに反して、動きは鈍重。

 恐れ知らずの俊敏さと剣の犠牲の前には、でくの坊にすぎない。


 拳で叩き潰そうと腕を振り上げた。

 その空いた脇腹を切り裂く。

 触れた切っ先で、糸が切れたように巨人は動かなくなる。


 霧はいよいよ完全に薄れていき、朝日に煌めく異形の英雄が巨大な怪物を一方的に蹂躙していく神話的光景に、騎士たちは否応なく士気を回復していった。


「全軍! 私に続けぇ!」


 サムはヴィトーの指示通り、先頭に立って騎士を率いて村へ雪崩なだれこんだ。

 魔女の攻勢に誰よりも早く気づき、最適の行動をとる主を信じて、自身は己の職務に全うする。

 それこそが副官であり親友であるサムの矜持だった。


 友の出陣を見送りながら、ヴィトーは暴れていた樹々の巨人をすべて打ち倒していく。

 気づけば愛馬に携えていた剣をすべて使い果たしていた。


 サムたちに追いつくため、ヴィトーは新しい剣を補充しようとする。


「させません!」


 阻む声は上空から落ちてきた。

 ヴィトーが見上げる先で、急激に迫りくる魔女の杖に跨る姿を捉える。

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