GHOST ROOTS

壬生諦

プロローグ

ルーツ Ⅰ

 魔法大国オルドネリアが有する最果ての孤島――ドマシャージ島。

 東の海をひたすらに進めば辿り着ける公表されていない領地。彼はそこで産まれた。

 彼の両親はどちらも研究員。オルドネリアが極秘裏に進めている『大いなる計画』のため、ドマシャージ島で研究を続けてきた、れっきとしたオルドネリア人だ。……彼の両親も他の研究員も、事実と異なる説明を受けているが。

 両親はこの孤島で、このような立場で子供を授かることに後ろめたさを感じるも、互いの愛の証を欲した。愛情は本物だった。他の研究員も最初は訝しんだが、理解し、四年間、彼の成長を温かく見守った。彼も幼子にしては全く泣かず、行儀も良かったため、海に囲まれた地で研究を強いられる大人たちでも機嫌を損なうことはなかった。

 それでも悲劇は起こる。


 島の奥に聳える拠点――実験塔で管理していた被検体の囚人たちが、研究員たちが、警備兵たちが、定期的に物資を運びにくる関係者たちが、一斉に狂気に呑まれた。


 島中の人間が一斉に狂暴化した。獣のように互いを貪り、果てには飽き、あちこちを徘徊するようになった。ドマシャージ島は狂人の島になったのだ。

 構想に穴はなかったはず。それとも誰かが何かを仕込んだのか。少なくとも狂人と化した研究員たちは真実を知らず終いとなる。

 ただし、彼だけは狂人化を逃れた。

 全人類を一斉に洗脳する魔法の模擬実験だった。現段階では成否などどうでもいいこと。この計画が実行されるのは先の話だ。

 今回のは幼い子供には効果がないようにあらかじめ調整されていた。ドマシャージ島で唯一の幼子だった彼は洗脳失敗による狂人化を逃れ、常人のままでいられた。幸運にも、不幸にも。

 狂人たちには彼の金色の髪が、丸い相貌がとても美味しそうに映っていた。特に匂いが堪らず、腸に収めなくては気が済まなくなってしまった。

 狂人化する前から異変に気付いた両親は、最期に彼を倉庫に隠したが、結局見つかってしまう。

 荷物が高くも低くも詰まれ、入り口からは迷路のようにも見える倉庫の奥で、壁を背に息を潜める彼は、右手にダガーを握っていた。両親が託したものだ。せめて抗う手段を。君が悲運に屈しなかった証を。あるいは私たちに貪られるより先に、自ら運命を断つために。

 扉を突き破った狂人たちがいよいよ襲いに掛かる。

 彼は押し寄せる狂気の大群を見据え、愕然ともせず、狼狽えることすらなかった。

 幼い故に惨状を理解できていなかったわけではない。死を恐れるほどの経験がなかった、というのも関係ない。今、何をするべきか。それが、理由さえ置き去りにして分かったから、恐れるなど下らないと判じた。

 きっと彼は、この瞬間にこそ真の誕生を遂げたのだ。極限の状況に置かれたことにより、極限の世界でこそ生きる意味を感じることができると分かったのだ。

 理屈でもなければ、本能ですらない。更に深い根源ルーツで、自分には人殺しの才能があると自覚した。

 

 初めて実験塔を出た彼は、ドマシャージ島が想像していたよりも広くて驚いた。

 実験塔の各階層を繋ぐ階段の途中には、換気目的の空洞が空いている。彼はこれまで、その狭い隙間からしか外の世界を見てこなかった。

 もっとも、知見のない彼に限らず、ドマシャージ島は誰が見ても持て余すほど広い。実験塔も古より存在していたもので、そのまま利用しているだけ。入り口を出てすぐの深い森を始め、自然がそのままの姿で残っている。

 自身を除く全員が狂人化すると、この広さが最大の敵となった。塔を出て、森を抜け、荒野に辿り着くまでの間、常に狂人たちの急襲に備えなくてはならないからだ。

 何より、荒野の先にある桟橋へ辿り着き、停泊する船を発見できたとしても、それを操る知恵がない。いくら両親に愛されていたとはいえ、まだ四歳。閉ざされた世界で生きてきた。

 駐在していた船員も全て狂人化していたと、後に知ることとなる。

 彼は楽観し、諦観し、悠長に構えることにした。脱出する術がないのなら慌てる必要もないと。

 その日、その場所と決めた場所を蓑とし、奴らに見つかったら迎撃する。要領を得るうちに、これでは心許ないと判じてダガーを捨てた。狂った警備兵の腰から剣を抜き取り、ひたすら生存競争を勝ち抜いた。

 空腹に喘ぐこともなかった。実験塔の倉庫から持ってきた分があり、無くなれば取りに戻る。障害を恐れずに。上手く隠蔽された小屋を森で見つけ、そこにも食料が備蓄されていた。毛布もあり、そこで休む日が多くなった。

 適当にやりくりし、何となく明日を迎える。いくら戦闘と生存の素質があろうとも体力が彼に追いつかず、一日の三分の二は寝て過ごした。

 傍から見れば壮絶な幼少期。とても四歳から九歳になる子供などが……と、胸を痛める孤独のサバイバルだが、当時の彼からしてみれば疑念を抱くまでもない、普通の日常だった。


 九歳になった日。何となく海が見たくなり、荒野に進む。

 桟橋に溜まる狂人を退けると、自然と常人を探す方に目的が移行したものの、当然おらず、彼はそこで自らの幕引きを感じた。

 絶望はない。彼は九歳の子供というのに、生涯がここで尽きることに妙な納得を覚えた。仙人の域に能う悟りの境地を、境遇から、あるいは生まれた時から有していた。

 灰色の空、濁った水平線を見つめ、背後を振り返ると、狂人の大群が押し寄せていた。おかしいくらいの数だった。いくら何でも多過ぎる。これまで五年も奴らを殺してきた彼だからこそ目を細めた。

 実験に利用する囚人たちだった。堅い檻に閉じ込められ、手足を拘束されていたとはいえ、狂人化し、監視する者もいなくなった以上、五年もあればここまで来られる。

 彼は囚人の存在を知らなかった。実はこれまでも研究員や警備兵に限らず、囚人を始めとする様々な元人間を捌いてきたのだが、単に見分けが付いていなかった。

 それに、これはこれまでやってきたことと同じだ。たとえこれまでが三百人ほどで、今回は一斉に二百人を相手取るとしても、抜き身の得物を肩に担ぎ、それを握る右手が一切の恐れを表していないのだから、やることは一つに限られる。

 彼は右の口角を二ッとつり上げ、狂人の群れに飛び込んでいった。風となって、剣を振るう瞬間には一切の情動の起伏もなく、ひたすらにやるべきことを為した。

 殺す。殺すだけだ。眼前の獲物を動けなくなるように斬り伏せる。それしかない。別に殺されてもいいから、躊躇いも感じなかった。


 全狂人の息の根を止め、ざんの頂上で腰を下ろしていた。

 どうやら死因は餓死になりそうだ。一方的な戦いだったとはいえ、最期は自分もこれらと同じようになるのだなと、達観していた。

 しかし、彼にその気がなくとも、五年間も地獄を生き延び、最果てに辿り着いた彼のもとに救いの福音が訪れる。

 ゴーーーー!

 福音とは、船の汽笛。聞いたことのない、鈍いようで胸に響く独特の音色が海の方から聞こえると、滅多に動揺しない彼でも目を丸めた。

 桟橋に停まっていた船が動き出したのではない。遠くの海から新たに船がやってきたのだ。

 桟橋に並ぶものより一回り大きい。物資を運ぶためではなく、誰かの心に喜びや安心を与えるための、丸みのあるフォルムと純白の塗装をした客船だった。

 白い制服の男が下りてきて、桟橋を渡って荒野に踏み入る。

 男は屍山と、その頂に君臨する少年を見て愕然とした。率直な恐怖心を顔に映した。

 ただ、少年が何もせずジッと見つめてくるだけと分かり、意を決するまでの時間を過ぎると、ようやく彼を見上げるところまで近付くことができた。

 男は大きく深呼吸をして、朗らかな笑みで言った。

「もう大丈夫。私に任せて」

 朗らかな大人と常人の声は、少年にとってあまりに懐かしいものだった。

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