カフェで見つけた初恋

なぎ

第1話

趣味は読書、眼鏡に日本人形のような長い髪、いつでもどこでも一人で本を読んでいる。それがあたしだ。最近文学少女という素敵な言葉があるけれど、あたしはただの陰気な少女だ。いや、大学生にもなればもう少女というのもおこがましい。


男の人とはまともに会話を交わせたことはない。女友達も両手で収まる程度、心を許している人だけ数えれば片手でも収まってしまう。そんなあたしが最近はまっているのは、学校帰りにカフェに行くことだ。


特別何か理由があるわけではない。ただなんとなく、この年になると思うことがある。ただそれだけだった。


いつものように学校終わりカフェに寄って帰宅すると、本を忘れていることに気づいた。


時刻は既に午後八時を過ぎていた。

もうカフェの閉店時間を過ぎている。

あたしは急いで店まで走った。


看板や外の電気は消えていたが、シャッターは閉まっていなかった。

中を覗けばいつもいる男の店員が片づけをしていた。

今なら取りに行ける。


でも、すでに片づけを始めているのに中に入ったら迷惑に違いない。

でも、せっかくここまで走って来たのに、まだ店員が中にいるのに、入らなかったら意味ないよね。


どうしよう。


「あれ? 何か忘れものでもしましたか?」

「あっ、あの、えっと、その、すいません」


中で片づけをしていたはずの店員が、いつの間にか目の前に立っていた。要件を伝えればいいだけなのに、あたしは慌てることしかできなかった。


いつもこうだ。男の人に話しかけられても、いつもこうして慌ているうちに相手が離れてしまう。まともに会話ができたことがない。


「とりあえず入ってください」


店員はまだ言葉を見つけられずにいるあたしを店の中に引き入れてくれた。


「これを取りに来たのでしょう? いつも読んでいましたよね」


店員はすぐにあたしの求めていた本を持ってきてくれた。


「あっ、えっと、その・・・」


ありがとうと言えばいいだけなのに、たった五文字が言えない。言葉が出て来ないことに焦って、差し出してくれている本を受け取ることに頭が回らなかった。


こんなんじゃ、困っちゃうよね。こわごわと顔を見上げれば、店員は優しい表情であたしの行動を待ってくれていた。


「この本大好きなんですね」

「えっ」

「だって大切にカバーかけていますけど、色あせているし、端がところどころすれています。何回も読まないとこうはなりませんよね」


こんな風に男の人があたしに話しかけてくれたのは初めてで、どう言葉を返せばいいのかわからなかった。だけど、いつもならば困って話せないもどかしさに罪悪感を抱くだけだけれど、今日はなぜか安心できた。


安心しているはずなのに、あたしの心臓は早鐘を打っていた。


「良かったらもう一度珈琲を飲んで行かれませんか?外は寒いですからね、温まって行ってください」


店員の笑顔が先程よりも眩しく見えた。


「ありがとうございます。それ、中学生の時から何回も読んでいる本なんです」


促がされるままカウンター席に座り、珈琲を淹れに向かう店員の後ろ姿にそっと呟いた。思った以上に小さな声しか出なくて、どうせあたしの声は届いていないだろうと思ったけれど、店員はわざわざ振り返って「そうですか」と言ってくれた。その表情に、また心臓が早鐘を打つのを感じた。


一番奥のテーブル席、そこがあたしの特等席だ。


そこからの景色しか知らないあたしは、中の様子が見られることに興奮していた。店員がどこに動いても、今どんな作業をしているのかが見られる。今まで何度もこのカフェに来ているけれど、店員に興味を向けたことなんてなかった。せっかくカフェに通うという意志を見せていたのに、やっていたことは一人で本を読むことだった。そこに美味しい珈琲があるだけで、やっていることは家と変わりない。


「大学生ですか?」


珈琲を淹れていた店員が突然話しかけてきた。静かに中の様子を見ていたあたしは、大げさなくらい飛び上って驚いてしまった。店員はそんなあたしの様子を怪訝に思うこともせず、優しく微笑んでくれた。


今度は心臓が跳ね上がるのを感じた


「そう、です」


絞り出すように声を出せば、店員は笑顔を返してくれた。言葉を返すと反応を示してくれて、自分の言葉を聞いてくれていることがわかって安心できる。


「お待たせしました。もうすぐで片づけ終わるから、それ飲んで待っていてください」


店員が妙なことを言うものだから、あたしは珈琲を受け取らずに店員を見つめていた。


「もう遅いから送っていきますよ」


不思議そうに見つめるあたしに、店員は笑顔でそう言ってくれた。


送る。

あたしを送って行ってくれる?

どうして・・・。


その時あたしの頭の中には夜道を二人で歩き、途中で何故か変なムードになってそのまま彼氏の家に行く・・・という映像が流れてきた。きっと変なドラマの見過ぎだ。

違う。あたしにはそんな知識しかないから変なことしか考えられないんだ。


勝手に想像して赤くなった頬を、珈琲のせいだとごまかすように一気に口に含んだ。本当に馬鹿だな。何考えているんだろう。


それでも送ってくれると言う言葉が妙にうれしくて、あたしはそれから何度も店員の背中を見つめては珈琲カップに視線を落とすのを繰り返していた。


「お待たせしました」


珈琲を飲み終えて、手持ち無沙汰に取りに来た本を読んでいると、まるで注文の品を届ける時のような言葉で店員が近づいてきた。先程までの一目で店員とわかるエプロン姿とは違い、コートを身に纏った男の人が現れたので息が止まりそうになった。


服装が変わっただけなのに見知らぬ人みたいだ。他にも違うところはあるけれど、数え上げても仕方がない。


「そんなに驚かなくても」


店員の笑顔は今までのどの笑顔よりも親しみを感じた。


「家はこの辺りですか?」


店員は鍵をくるくる回しながら尋ねてきた。


「えっと、ここから歩いて十分くらいのところです」


店員はあたしの話に頷きながら、電気を消してそそくさと表に出ていってしまった。あまりにも当たり前のような動作だったので、外に出て鍵を閉めようとしている店員をぼんやりと見つめることしかできなかった。


「ほら、早く帰りますよ」


笑顔で手招きされるがままに外に出たあたしは、隣で店員が戸締りを終えるのを見つめていた。なんだか妙な気分だ。お店の店員さん、そんな人があたしと私服で一緒にいる。店員じゃない姿で、年上に敬語を使われるのは変な気持ちだ。


「ところで、名前聞いてもいいかな?」

「えっ、あ、あの、蓮嬢美花っていいます」

「へー、美花ちゃんか。綺麗な名前だね」


彼は店を出たからか、もう敬語で話してこなくなった。なんだか体がぞわぞわする。

これなら敬語の方が良かった。もしこれを彼に伝えたならば、怒ってしまうだろうか。彼の表情をそっと盗み見ようとしたあたしは、気づいてしまった。


「どうかした?」


彼は、突然立ち止まったあたしを怪訝そうに見つめている。


「あ、あの・・・やっぱりあたし一人で帰ります!」

「えっ、ちょっ」


彼の言葉も待たずにあたしは逃げるように走り去ってしまった。あたしが、年上の男の人の隣を歩いていた。しかも・・・。

「美花ちゃんって言われた。綺麗な名前だって」


これまで何度名前負けしていると思ったことか。あたしはこんなに地味なのに、美しい花だなんて、自分の名前が嫌いだった。あたしがもっと積極的で、もっと可愛くて、もっと楽しい子だったら、名前の通り美しい花みたいな女性だったなら、彼の隣を堂々と歩けたのに。


あたしはあの店に訪れるただの客、あの人はあたしが店のお客さんだから優しくしてくれただけ。ただそれだけだ。そうに決まっている。それ以外に理由があるわけがない。


でも、あたしがもっと素敵だったなら、きっと仲良くなれたに違いない。どちらにしても・・・。


「もうあのお店いけない!」


誰もいない暗い道の中では、あたしの小さな叫びは大きく響いたように感じた。


変わりたい。彼の隣を堂々と歩けるようなすてきな女の子になりたい。


「どうしよう」


ぽつりと呟いた言葉は静かな夜道に消えて行った。

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