第二章:福徳褌と二の君の誘惑

 清涼殿での大敗北の後、安倍晴明は友であるみなもとの博雅ひろまさと、平安京みやこの片隅にある静かな邸で策を練っていた。

 広重の放った「出生率低下の呪い」は、穢れの恐怖以上に貴族の根深い不安を突き、褌導入の道を完全に閉ざしてしまっていたのだ。


「広重の理屈は、人の世の真実に基づいている。故に、呪術のみでは勝てぬ」

 晴明は吐き捨てるように言う。


「ならば、理屈の根幹を覆せば良いではないか、晴明。褌が精を弱らせるのではなく、逆に精を強め、子孫繁栄に繋がるという、新たな陰陽道的論理を貴族全体に信じ込ませるというのはどうだ」

「簡単に言ってくれるではいか、博雅。しかし、それは良い案だな。試してみる価値はある」


 そう言った晴明が考案したのが「鎮精ちんせい結実けつじつの呪符」を縫い付けた特殊な下衣、その名も「福徳褌ふくとくふんどし」であった。


 晴明が選んだのは、穢れを寄せ付けぬ清浄な薄麻。この薄麻で仕立てた褌に、丹念に夫婦和合と子宝の呪符を織り込み、さらには陰陽の気の流れを整える秘術を施す。


「穢れは放っておくと人の精を乱し、無闇に洩れ出させてしまう。この福徳褌は、乱れた精を股間に鎮め、必要な時まで『の力』を閉じ込めておく結界である。鎮めた力は純粋なものとなり、解き放てば必ずや実を結ぶ」


 これが、晴明が打ち出した新たな「褌と子孫繁栄」の論理であった。


 この福徳褌の効能を京中に広める役を担ったのが、笛の音色で平安京みやこの人々を魅了する源博雅であった。博雅は、晴明から教わった特別なを福徳褌を身に着けた上で奏でるようになった。その笛の音は、聞く者の血流を整え、心の憂いを払うと都で評判になったが、同時に流された噂が肝要であった。


「博雅様が最近お召しになっている『福徳褌』は、精気を下半身に鎮め、子宝を授ける瑞祥なのだ。あの調べは、福徳褌の効果を十倍にする『精結の楽』だそうだ」


 博雅の権威と、晴明の陰陽術が結びついたこの風聞は瞬く間に京中に広がり、貴族たちは揺れ始めた。出生率低下の恐怖と、子孫繁栄の誘惑が拮抗し始めたのである。


 この新たな動きに、最も憤慨したのは、やはり頭中将・源広重であった。

 彼は褌が『美意識』と『公卿の使命』の両方を脅かす存在であると信じて疑わなかったが、その憎悪にはもう一つ、個人的で強烈な理由があった。

 広重は、関白・藤原知道の娘で、京の貴族たちの垂涎の的である二の君に恋焦がれていたのだ。

 彼女は「絶世の美女」と謳われ、特に装束の裾や袴の襞の隙間から時折垣間見える、豊かで柔らかな尻の美しさは、広重の心を捉えて離さなかった。彼の雅の追求は、このノーパンの美の鑑賞に帰結していたと言っても過言ではない。


「あの二の君の神々しい曲線が、褌などという無粋な布切れで隠されると申すか。それこそ、京の美の終焉であるぞ!」


 広重にとって、福徳褌の流行は恋の邪魔者、そして美への冒涜であった。


 広重は、二の君に対して世にも雅な恋文を送り、褌の流行がいかに「女性の肉体の芸術性を損なうものか」を情熱的に説き「ノーパンの美」を体現する旗頭になってほしいと密かに願った。

 しかし、才気煥発な二の君は、この騒動を権力闘争として冷静に見ていた。

 そして、広重の思惑とは裏腹に、父である関白の推挙により、帝の女御にょうごとして入内じゅだいすることとなった。帝は未だ幼く、二の君は帝の教育係としての役割も担い、事実上の最高権威の一人となるのだった。

 広重は、愛する二の君が帝の傍にあれば「ノーパンの美」が守られると確信していた。


 だが、晴明は動いた。二の君の入内後、晴明は二の君の居室を密かに訪れ、帝の御身を護るための褌の呪術的な必要性を説き、福徳褌の論理を丁寧に説明したのである。


「女御様。幼い帝の御心は穢れに極めて敏感。褌の必要性を理解できぬままでは、必ずや不幸を招きます。この福徳褌は、帝の御子を授かるための、最良の守護符でございます」


 二の君は、帝の将来への確かな安寧と「子孫繁栄の呪術」という晴明の論理に強い魅力を感じた。そして、何よりも、彼女自身の知的な好奇心と、かつて文のやり取りをしていた頭中将・広重の愛する美意識への挑戦心に刺激された。広重の愛した「秘められた美」を、あえて呪術的な「結界」として公に示すという行為は、彼女にとって極上の遊戯となったのである。

 ここに、二の君は福徳褌の真の力を証明し、平安京の風俗を一変させるという、晴明の策に乗ることを決意したのであった。

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