第2話

リハビリに行っているのかな。


そう思い何気なく隣のベッドに目をやると


おじさんもいない。


窓の外を眺めると空が美しい。


散歩でもしようかな。


なんとなくそんな気になり病室を後にした。

               

病院は丘の上にあり


裏手には広々とした芝生が拡がっている。


その周囲には林がある。


新緑が四月の風に揺れていた。


さやさやと、甘く麗しい香り。


芝生に立つと


住宅街とその先の山並みが続いている。


風が少し涼しくなってきた。


遠くからカラスの鳴き声も聞こえる。

  

そろそろ日暮れが近い。


芝生に足を進めた僕は驚いて目を見張った。


祖父の車いすを


麻衣先生が押しているではないか。


ふたりは話が弾んでいるようで


笑い合う声まで耳に届きそうだった。

           

遠くの山並み一帯を


夕焼けが真っ赤に染め始めた。


上空には白い月が浮かんでいる。

       

風がさっと吹いた。


麻衣先生が紺色のセーターを脱いで


祖父に着せ


その両手を


彼女の両手ですっぽりと包んだ。


シルエットになったふたりは


沈んでいく夕日を眺めていた。


次の日、祖父は魂を抜き取られたみたいに


ベッドにもたれていた。


膝の上には


紙を挟んだバインダーと鉛筆をのせている。


祖父に話しかけようと顔を覗き込んだとき


僕は彼の目に釘付けになった。


確かに


瞼には幾重にも皺が重なり


右目に目やにもこびり付いている


老人の目なのだが


その灰色の瞳の焦点は宙にあった。


まどろみのなかで夢を見ている


赤子の目だった。


翌日、病室に入ると


祖父のベッドがなくて


床には紙が散らばり鉛筆が転がっていた


僕はナースステーションにとってかえし


看護師をつかまえて事情を訊いた。


すると


たった今おじいさんは脳出血を起こして


集中治療室に入ったのだと


彼女は言った。


ふるえる声で両親に電話連絡した。


集中治療室のガラスに額を押し付けると


医者が祖父に心臓マッサージを施していた


僕の脳裏に病室の床の紙と鉛筆が映った。


泳ぐようにして戻り手に取ってみると


小学校低学年の子が書くような


でこぼこのひらがなが


僕の目ににじんだ。


「いつも、こんなおじいさんをいっしょうけんめいしどうしてくれて、ほんとうにありがとう。わたしもまいせんせいのねっしんさにこたえようとがんばっています。わたしはかたぶつで、おんなのひとはつましかしりませんが、せんじつはうつくしいゆうやけをいっしょにみることができて、とてもしあわせでした。わたしはまいせんせいのことを  」 

 

そこで終わっていた。

                                

看護師から


祖父が死亡したことを知らされた僕は


その紙をポケットに入れ


集中治療室に急いだ。

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スーパーじいちゃんの恋 Kay.Valentine @Kay_Valentine

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