タイムカプセルの約束

タイムカプセルの約束

三十二歳の春。

桜が散り始めた校庭で、浩太はスーツの裾を風になびかせながら立っていた。

母校の小学校が取り壊されると聞き、久々に地元へ帰ってきたのだ。

社会人になって十年。転職を繰り返し、今は小さな広告会社でなんとか食いつないでいる。

仕事も悪くはない。けれど、良くもない。

「なんとなく」で過ぎていく日々だった。


同窓会の連絡で知った“タイムカプセル掘り起こし”は、正直どうでもよかった。

だが、休日に特に予定もなかった。だから、なんとなく来た。


サッカーゴールの裏。シャベルで土を掘り返す。

金属音とともに、古びた缶が現れた。

缶の中には、自分の字で書かれた一枚の紙。


「やりたいことリスト」

・世界一周

・ピアノを弾けるようになる

・大きな犬を飼う

・漫画を描く

・宇宙を見に行く

・みんなとまた会う


思わず笑いが漏れた。

「…世界一周? 無理だろ」

だが、笑いながらも胸が少し痛んだ。

子どもの頃は、できると信じていた。

“現実”なんて言葉を知らなかった。


缶を手にしたまま、彼はぽつりとつぶやいた。

「ひとつくらい、やってみるか。」



最初に手をつけたのはピアノだった。

YouTubeを見ながら夜に練習した。

最初のうちは鍵盤を押す指がぎこちなく、音もバラバラ。

だけど、仕事で疲れ切った頭が少しずつほぐれていくのを感じた。

半年かけて「Stand by Me」を弾けるようになった頃には、

ピアノはただの趣味ではなく、“救い”になっていた。


次に挑戦したのは「漫画を描く」。

会社のストレスや人間関係の愚痴をネタに、四コマをSNSに投稿してみた。

思いのほか共感のコメントがついた。

「これ、うちの会社も一緒です!」

笑い話に変えるだけで、少しだけ世界が軽くなる。

子どもの頃、夢中で描いていた自分を、思い出した。



一年後。

彼は小さな里親会で、一匹の黒いラブラドールと出会う。

老犬で、目が少し白濁していた。

飼い主に見捨てられたその犬を前に、浩太は思わず口にした。

「…じゃあ、うちに来るか。」

名前は「ソラ」。

散歩のたびに、胸の奥が静かに満たされていった。



三年後。

会社を辞めた。

転職でも独立でもなく、少し“立ち止まる”ためだった。

貯金を切り崩しながら、国内をゆっくり旅した。

世界一周には遠く及ばないけれど、

夜行列車の窓から見た流星群を見上げたとき、

彼は思った。

「宇宙、これでいいかもな。」



そして四年目の春。

同窓会が開かれた。

久しぶりに会った仲間たちは、それぞれに家庭を持ち、子どもを抱いていた。

話を合わせるのが少し苦しかった。

けれど、帰り際にひとりが言った。

「浩太、あの時の“やりたいことリスト”、覚えてる?」

「うん、全部は無理だったけど…」

「いや、やってるだけすごいよ。」


浩太は笑った。

確かに、全部は叶っていない。

でも、昔の自分に顔向けできるくらいには、歩いたと思う。


帰り道、ソラと並んで夜空を見上げた。

月が静かに光っていた。


子どもの頃の夢は、

叶えるためじゃなく、

思い出すためにあるのかもしれない。


浩太はポケットの中の紙を取り出し、

「やりたいことリスト」の端に小さくチェックを入れた。


□ 生きて、ちゃんと笑う。


その瞬間、遠くで花火が上がった。

春の夜気の中、浩太はそっと目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タイムカプセルの約束 @nobuasahi7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画