seriousへの依頼2


 翌日、すぐに俺は件のアパートへと向かった。


 現場のアパート”みどり荘”は、想像以上に古びていた。

 昼でも薄暗い廊下、割れた蛍光灯、壁に残る雨染み。

 周囲は住宅街だが、人の気配は少ない。


 なんだろう。

 ここだけ、時の流れが止まっているみたいな、不思議な空間。


「うわぁ……いかにも……。いや、まだわからないな。今までもホンモノっぽい物件が“なんちゃって心霊スポット”だったこともあるんだし、期待しすぎるな、俺」


 俺は一度両手で頬をパチンと叩いて気合を入れると、ぎしぎしと音のする階段から二階に上がり、一番奥の部屋のプレートに刻まれた【203】の数字を確認した。

 鍵は現在警察が回収しており、室内には立ち入れない。


 扉の前に立つと、ひどく湿った空気が肌にまとわりつくような感覚がして、思わず身震いした。


「ここが……203……っ」

 ごくり、と喉を鳴らし、耳を澄ます。

 緊張感と同時に、俺にも聞こえないかな、なんて不謹慎な下心をもって。


 ──すると、どこかで「ざざ……っ」という微かなノイズ音が聞こえた気がした。

 不規則で、ざらりとしていて妙に耳に残る音。


「っ、逃がしてなるものか、と!!」


 俺は急いでバッグからICレコーダーを取り出し、録音を開始する。

 何かありそうなときには必ずこれを取り出して録音ボタンを押す。

 俺の相棒で、取材の基本だ。

 けれどこの時、俺の背筋には、それまでの緊張感や好奇心から来るドキドキなんかじゃない、理由のわからない寒気が走っていた。


 動けない。沈黙が続く。

 遠くで犬が吠え、風が壁をなでる音が聴こえる。

 それだけの、はずだった。


 ──ふとその中に、確かに、声が混じった。


『……ねえ、聞こえてる?』


 男とも女ともつかない囁き声。

 レコーダー越しではなく、まるで俺の耳元で直接響いたような、そんな変な錯覚。


「っ⁉」

 俺は思わず後ろを振り向いた。

 廊下には誰もいない。

 ただ、壁の隙間からわずかに冷たい風が漏れていた。



 ──俺はそこまでで取材を終えると、今度は一階にある大家の部屋を訪ねた。

 すると部屋の前では、大家と思わしき老女が椅子に座って新聞に顔を埋めるようにして呼んでいた。


「あの、すみません」

 俺が声をかけると、老女が新聞を畳みながら顔を上げた。


「んん? おや、また記者さんかい? 今は入れないだろうに、ご苦労なこったねぇ」

 はぁ、と息をついた老女に、俺は軽く会釈してノートを開いた。


「あの、最近でも誰か取材に来たんですか?」

「あぁ、テレビの人がね。最近も、あとはにも来てた。部屋には入れないから、外にテント張って取材をね。でも毎度、誰も長くは居られないんだ。夜になるとね、あの部屋から声が聞こえるって」

「声……?」

 俺が眉を顰めると、老女は短くうなずいた。


「男でも女でもない。まるで壁の中で話してるみたいな声。最初の人はそれを録音してたらしいよ。田島さんって言ったかね。あんた、絶対に録音なんてしちゃだめだよ。したら最後。あちら側に引きずり込まれるよ」

「引きずり、こまれる……」


 ぞくり、と身体が震えた。

 長い取材人生でこんなことは滅多にないが……、武者震いか?


「ちょっと待っといで」

 すると老女は、部屋の奥へ入ると、1冊のノートを手に戻って来た。

 そして俺にそれを差し出して言った。


「これ。何かの役に立つかわからないが、持っていきな。田島さんが失踪したことを調査していた石川さんの調査ノートだよ。田島さんのノートが張り付けてあって、石川さんの日記にもなってるから」

「え、良いんですか、こんな貴重なもの」


 こんなの、テレビ関係者とか目の色変えて欲しがるもんじゃないのか?

 それを俺に、って、何か裏があるんじゃなかろうか。

 そう疑ってしまう。


「もうこれ以上が出ない為でもあるからね。来週には警察の預かり期間も終わって、また部屋を借りられるようにはなるが……。いいかい? 絶対に、録音しちゃいけないよ。生きてこの世にいたければ、絶対に、ね」


 正直、その話よりも凄む老女の方が怖いんだが、という俺の心のうちは奥の方へと仕舞って、俺は笑顔でそのノートを受け取ると「ありがとうございます」と礼を言って管理人室を後にした。


 だが、その忠告が頭から離れなかった。

 

 録音してはいけない、だなんて、もう──遅いのだから。


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