わたしの世界

浅野由紀

第1話

 私の唯一の幸せは夫に出会えたことである。夫がいなければこの世界に1ミリも未練なんてないくらいだ。夫がいるから辛うじて生きている。


 統合失調感情障害という障害名をつけられている私は、今休職中である。元々その障害をオープンにして就職していたのだが、症状の波が酷くなってしまい休職に至った。2か月休んだ今でもよくならず、一人になると希死念慮に襲われる。

 症状が酷くなると逃げ出したくなり、薬を規定量以上に含み、カッターで左手首を傷つける。夫が見たら悲しくなるからといって、彼が仕事で出掛けている間にこっそり行うが、薬で酩酊状態になってることで全てバレる。

 彼はカッターを隠すように仕舞い、「もう薬を多く飲まないで」と私に頼むのであった。


 私は彼のお荷物になっていることを自覚していた。ただ、自覚しすぎるとまた死にたくなるので、ふんわりと認めるにすぎなかった。目減りしていく貯金、先の見えない将来。すべてが私の重しになっていた。

 ただ、これ以上は夫の負担になりたくなくて、もう何度か言ってしまったかもしれないが、こうした不安を口にしなかった。


 仕事に復帰するために通勤練習をするよう主治医から言われ、行おうとするも身体が起こせない。もう復帰しなければ契約更新のための日数がたりなくなってしまう。焦る気持ちと動かない体がちぐはぐで落ち込む日々が続く。

 夫は焦らなくていい、仕事続けられなかったら仕方ない、と励ましてくれるが、焦りが止まらない。焦れば焦るほど回復が遅れ、体が動かなくなっていく。


 そんな中、夫と出かける約束をした日があった。私の服を買ってくれるというのだ。30オーバーでぽっちゃりな私なのに、ショート丈のパンツを似合うよといって履かせて、オーバーサイズのパーカーを被せた。

 かわいいとたくさん言ってくれることが嬉しくて、良い気になってくる。その日はたくさん試着をして、夫が選んでくれた。

 こんなに幸せな日はないというくらい幸せだった。


 とってもいい気分だった帰り道に、私は今まで生きていてよかったと思ったことはないけれど、あなたと出会えたことが良かったと思える唯一のことだと打ち明けた。

 彼は心から嬉しく思ってくれたようだった。私の気持ちが伝わったようで、とても嬉しかった。


 次の日、交通事故で私は死んだ。


 通勤練習をしているさなかの事だった。

 もう苦しむことも未来を憂うこともない。ただ夫と一緒にいられないことだけが悲しかった。死ぬ間際、解放される喜びが一瞬湧いて、こと切れた。

 私の人生で一番恵まれていたことは、間違いなく夫に出会えたことだった。もっともっと愛していると伝えればよかった。もっとキスすればよかった。そんな後悔もあったが、夫といられて私は幸せだった。


 だいすきだよ。

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