レッドシグナル

Wayuta

レッドシグナル

夜の大阪は、相変わらず光と騒音で溢れている。

だが今夜は、いつもよりネオンの色が薄く見えた。


防衛省 犯罪捜査局の標準捜査車両は、

道路を静かに走っている。

来栖 澪は助手席でモニターを見つめながら、

胸の奥のざわつきを誤魔化すように深く息を吐いた。


運転しているのは相棒の葉波 灯夜。

いつものように口数の少ない男だが、運転だけはやたら丁寧だ。


「澪、緊張してるのか?」


「してない。ただ……嫌な感じがするだけです」


「…第一班全員がそれ言ってる。悪い夜だ」


車内画面には、捜査局の速報が赤字で点滅していた。


《被害者 NDI:82(CRIMSON ZONE)》

《死後147秒で数値維持》

《死体処理班が現場確保中》


結は眉を寄せる。


NDI――Neural Deviation Index(神経偏差指数)。

脳信号、情動パターン、倫理中枢活動、外部刺激反応を統合し、

“逸脱行動の発生確率”を数値化する指標。


本来、人は死ねば脳活動が停止し、NDIはゼロへ落ちる。

だが、この被害者は――違った。


「死んで二分以上経っても、82を維持……

 死後神経電位の保持? それとも外部刺激?」


葉波が呟く。


「どっちにしろ、普通じゃない。

 政府は本件を“極秘”にしてる。報道規制も即時発動」


「そんな判断、早すぎない?」


「逆に言うと――最初から《想定内》だったってことだろうな。」


澪は言葉を失う。

まるで、誰かがこの事件を“待っていた”かのようだ。


窓の外に、梅田南ブロックが近づいてくる。

超高層ビル、ホログラム看板、

頭上を巡回する警備ドローンの青い光。


この時代でありながら、

路地には昭和みたいな屋台とネオンが息をしている。

大阪はいつだって、文明と混沌が同居していた。


「到着。規制線、もう張られてるな」


葉波が車を停止させると、澪はコートを羽織って降りた。

冷えた夜風に、マナ噴霧の湿気が混ざる。

遠巻きに野次馬と記者、

そして黄色のホログラム規制線。


澪は身分認証を提示し、規制線を抜ける。

現場には、既に第一班の班長――神代 玲二が立っていた。

濃紺のコートに、捜査局徽章。

冷静さと場慣れの匂いを纏った男。


「ようやく来たか、来栖、葉波」


神代が短く言う。


「班長、状況を」


神代は携帯型ホロデバイスを展開し、空中に事件の3Dマップを投影した。


「午後23時12分。悲鳴を聞いた通行人が通報。

 到着時、被害者はすでに心肺停止。死後硬直が開始」


「刺殺ですか?」


「ああ。鋭利な刃物による一撃。

 凶器は現場に残されていない。

 だが、周辺への血痕の飛散が“異様に少ない”」


澪が眉を寄せる。刺殺なのに血の飛び散りが少ない?


「そして問題は――こっちだ」


神代はホロ表示を切り替えた。

被害者の頭部スキャンデータが浮かび上がる。


《脳機能計測デバイス:稼働中》

《死後182秒経過》

《NDI:82(CRIMSON)》


「……死後、3分経ってもNDIが落ちていない?」


「通常なら、脳活動の停止と同時にNDIは減衰し、ゼロへ向かう。

 だがこいつは――死後に“再上昇”している」


葉波が低く呟く。


「外部からNDIを書き換えられた……そう読むべきですか」


「可能性はある。」

神代は血溜まりを指差す。


「出血は少量。失血死じゃない。

おそらく脳内の神経電位を直接破壊されている。

 ……“脳を殺された”タイプだ」


澪の息がひとつ鋭く吸い込まれる。


「さらに厄介なのは――」

 神代は歩み寄り、死体のこめかみに指を当てた。


埋め込まれたデバイスのLEDが、微かに赤く点滅していた。


「デバイスは稼働中。

 遺体の脳電位を――何者かが遠隔で“維持”している」


「つまり、まだ終わっていない?」


「終わるどころか、始まったばかりだ」


神代は結を見た。


「来栖。

 お前にはこの遺体から“記憶データ”を抽出してもらう。

 死ぬ直前に何を見たのか――“脳に残っている”可能性がある」


結は静かに頷いた。

夜の大阪のネオンが、彼女の瞳に赤く反射する。


澪は神代に軽く頷くと、死体の横にしゃがみ込み、胸ポケットから小型端末を取り出した。


 MEMS解析プレート――微細電極で神経電位を読み取り、死後残留する短期記憶をデジタル化する装置だ。

 装置の青白い光が、被害者の頭部を包む。


「葉波さん、補助電源と接続コードを頼みます」


 無言で葉波がコードを接続すると、端末が微細に振動し、ホロスクリーンに脳内映像の仮想再現が浮かび上がった。


 澪は息を整える。

 このデータは、死者の視覚・聴覚・触覚の短期記憶を、色相変動とともに再現する。

 赤く変色した映像は、死の直前の恐怖やストレスを示す。


「……見える。死ぬ直前の記憶」


 映像には、狭い路地、雨に濡れた舗道、そして遠くの人影。

 突如、映像の隅が赤く脈打つ。


「……犯人か?」


「可能性は高いですね」

 映像解析ログには、死者の神経電位に外部干渉の痕跡が残っている。


神代が端末に近づく。


「ほのか、ログの異常波形を解析してくれ。誰が介入したか、可能性を割り出せ」


 赤髪をまとめた少女、市ノ瀬 ほのかが端末を操作する。

 高速でホロスクリーンを指先が滑る。


「ただの電位操作じゃありません。

 他者の脳を遠隔で操作して、色相を意図的に変えてる…

 高度暗号化されて、通常の解析では手も足も出ません」


 澪は拳を握った。


「人の脳を使ってNDIを意図的に増幅させてる………

 恐怖を増幅させ、死者の神経を維持する……そんな手口聞いたことがありません」


「…そうだな」神代は頷く。

 

 葉波が警戒しながら呟く。


「問題は……犯人がまだ現場に潜んでいるかもしれないことだ」


 澪の脳裏に、赤い残留光がちらつく。

 レッドシグナル――警告であり、犯人の存在を示す指標。


「班長、どう動きます?」


「まず、死者の脳データから得られる手掛かりを最大限解析する。

 その間、班全員は警戒態勢だ」


「了解です!」


 澪は端末を握りしめ、深く息を吸った。

 ネオンと雨に濡れた路地が、赤く染まるような錯覚を与える。


 ――この事件は単なる殺人ではない。

 人間の脳とNDIを利用した、新たな脅威の始まりだった。


 ホロスクリーンに映るのは、路地に消えた足音の痕跡、赤く揺れる信号、そして……

 微かに動く、形の定まらない“影”だった。

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