第21話 ヤバいこと

 絶句。閉口。沈黙。

 一応、分析はしてあった。

 骨折の一件で、倉木さんは俺が信用に足る人間なのではないかという可能性を見出した。

 チンピラの一件で、その思いがより強固なものに変わった。

 夜通し遊び明かした一件で、俺を自身の理解者、肯定者と完全に認定した。

 だから過去、間接的とはいえ俺を害してしまった鈴川に対し、敵対意識を抱くに至った。

 感情の正しい推移とか、それが倉木さんの中でどう名付けられ、位置づけられているかまでは探りようがない。考えても詮無いことと理解しているし、それは個人が自分の中で折り合いをつければ済む話。

 佐伯さんの目には、きっと恋愛感情に映ったのだろう。表面的な要素があまりにも似通っているから、無理もない。

 けれども、俺の見解は違った。


「鈴川さんより私の方が、御堂くんとなかよしだもんね」


 これはたぶん、独占欲だ。

 俺は倉木さんの中に、ちょっとやそっとのことでびくともしない強い軸が生まれればいいなと考えていた。人を信じるというのは、自分を信じることから始まるからだ。

 倉木さんは生まれつきいろいろと持っている側なのにもかかわらず、なぜか自信だけがない。そのなぜの部分にフォーカスしながら、俺はこの半年あまりを過ごした。


 まず見つけたのは、親とのかかわり。

 けっして不仲でも機能不全というわけでもないのに、倉木さんは親子関係にどこか鬱屈としたものを抱えていた。自由にのびのびと。おそらくそんな教育方針が倉木家にはあったのだと思う。お父さんは豪快な人のようだし、とにかくガンガンなんでもやらせたい、けれどそれを親の側から強要することはない、みたいなスタンス。

 それって、かなり恵まれている。塾と習い事で放課後が完全に束縛される名家の子どもがいることを思えば、破格の環境。

 だけど、倉木詩歌という個人には運悪く、絶望的に噛み合わなかった。

 倉木さんは誰かに舵取りを委ねた方が不安なく満足に力を発揮できるタイプ。起業家かつ成功者であるお父さんからすると理解しにくそうな、正反対のパーソナリティ。

 そしてそれ以上に、倉木さんはもしかすると、家族から期待されたかったのではないか。

 仕事を継いでほしいとか、そのために勉強を頑張ってほしいとか、そういう能力的評価が前提にある言葉がほしかったのではないか。


 次は、容姿について。これは前の話にも多少ひっかかる。

 以前ファミレスで、倉木さんは俺のことを、自分と同じ美人のお母さんから生まれた子の顔だと言った。今になって思えば、あれはある種のコンプレックスだったのかもしれない。

 成功者の父親と、美人の母親。滅多なことを言うものじゃないと理解したうえで、どうしてもトロフィーワイフという単語が思い浮かんでしまう。

 あるいは倉木さんは、自分の未来について考えてしまったのかもしれない。

 学校ではみんなの視線を集め、街を歩けばあちこちから声をかけられる。どれだけ鈍感でも理解できる、自分のルックスの持つ価値。

 誰もが倉木さんのことを、どこかトロフィー的存在として崇めている。

 そこに人間性は考慮されない。ただただテクスチャだけが評価され、真の意味で倉木詩歌という個人はないがしろにされている。


 倉木さんは頑張る人だ。去年の冬から、俺はその様子をずっと見てきた。

 勉強はきっちりこなしてテストでは常に好成績を残し、学内のイベントにもしっかり関わるようにして、教師陣からの信頼にも応える。

 私はきれいなだけのお人形じゃないんだ。そんな切実な訴えがどこかからきこえてくるようだった。

 だけどどんなに頑張ったところで、大半の他人は倉木さんは美人なうえに勉強もできるのだ、くらいの感想止まり。 

 評価してもらいたいポイントにどうしようもないズレが生まれる歯がゆさやもどかしさ。ずっと、それを感じてきたのだと思う。


 その感情のほんの一部くらいは、俺にも共感できた。

 成長痛がひどくて試合に出たり出なかったりを繰り返した中学一年から二年の間、小学校のときにチヤホヤしてきた連中からのヨイショがぱたりと止まった。かと思えば、中学三年になってまた結果を残すようになり始めると、よく知らないようなやつまで俺に声をかけてくる。当然、怪我を機にすっぱり引退を決めた日を境に、また周囲は無風に逆戻り。

 フラットな俺にはどんだけ魅力ないんだよと、呆れ笑いしたのを思い出す。

 でも、他人なんて所詮そんなものだ。自覚がないだけで、俺もきっと同じようなことをしている。だからグチグチ引きずってもしかたないし、どうしようもない。特定の仲間や友人ならともかく、顔のない誰かに期待するだけ間違いだ。肝心なのは、ほどよい諦め。

 だけどやっぱり倉木さんは真面目で、どこかピュアな一面をずっと大切に持っていて、そこまで振り切ることはできなかった。

『私はずっと、誰かに助けてもらえるんじゃないかって期待してる』

 倉木さんの中にある、幼くてやわらかい部分。成長できず取り残された自分自身が救われるのを、この女の子はずっと待っているんじゃないか。そう思う。

 本当は、倉木さん自身が迎えにいってあげなきゃいけない存在。自分の一番の理解者は自分自身であるべきで、ならばこそ、救うのも報うのも、自分の仕事。

 だけどそこに、たまたま偶然、わかったような物言いをする第三者が現れてしまったから。

 鳥の雛のインプリンティングみたいに、この人こそは、なんて思い込んでしまった。

 自分以上の拠り所として、認定してしまった。

 だからその場所が傷つけられたら怒るし、ゆるせない。次に見つかるのがいつになるかわからないから、多少の無茶をしてでも維持しようとしてしまう。

 

 ここのところ倉木さんが俺にみせる執着もこだわりも、これで説明がつくように思う。


「やっぱり私も歌いたくなってきたかも」

 俺がなにも言えずにいる間、倉木さんはデンモクを操作して次の曲を予約し始める。そのあまりの変わり身っぷりに、当初はにやにや顔でこっちを眺めていた佐伯さんも困惑の表情。

 この場にいる全員が、倉木さんの一挙手一投足に注目しているような雰囲気。

 隣に座っている女の子が本来忌避していたはずの好奇の視線。

 まるでそれを、意に介さないようにして。

「御堂くんも、聴いているだけだと退屈でしょ?」

 マイク越しに拡声して、みんなに聞こえるように言う。

 そして流れで、テーブルに転がっていた別のマイクが俺に手渡される。

 いつだったか倉木さんが好きでよく聴くんだと話していた、人気バンドの有名曲。その耳馴染みのあるイントロが奏でられ始めた。

 誰でも知ってるラブソングだった。

 やってんなあ~……で済むレベルか~、これ~~~!?

「あー、あー……」

 マイクが音をきちんと拾っているか確認して、一旦考えた。

 時間があるのならゆっくり諭してなあなあにするところだし、それができる自信もある。しかし既に曲はかかっていて、歌い出しまでの猶予はあと十数秒。

 放棄する、なんてのは到底不可能だった。会場が地獄のような雰囲気になるのは確定的で、それよりなにより倉木さんがどうなってしまうかわからない。

『すごい泣く。この場で、今すぐ』

 かつて倉木さんが俺を雇ったときの決定打を思い出す。あのときはきっと冗談だったのだろうけど、じゃあ今はどうだろう。

 俺がなよなよした理屈を並べながら日和ってマイクを置いたとする。それは倉木さんにとってどれだけ屈辱的で、また絶望的なことか。

 以降倉木さんはぱっとしないクラスメイトの男子ごときに拒絶された女の子という見出しで、噂として消費されるかもしれない。同情、嘲笑、集まる票のベクトルはばらけるだろうが、居心地の悪い状態になるのだけはたしかだ。

 そしてそれ以上に、拠り所として定めた相手から梯子を外されたダメージが、どう作用するかまったく読めない。

 思っていたより大したことなかったな。次だ次。そう言って切り替えられるのが一番いいけれど、残念ながらそれだけさっぱりした性格なら、人間関係について何年も悩みを抱えるようなことにはならない。

 壊れたものが、もっと壊れる。そんな、いやな予感。この前から身構えていた、ヤバいこと。

「お耳汚し失礼~~~!!」

 意を決した。その場しのぎとはいえ、もうできることはひとつしかない。

 倉木さんの存在が薄まるくらいデカい声で歌い通して、ギャグテイストにする。とにかくデカい声だ。勢いだ。それがすべてを制するのだ。

 まかり間違ってもしっとりした雰囲気にはしない。御堂って変なやつがいたな。それ以外の感想を誰にも持ち帰らせないくらい、大暴れしてみせる。

 俺の覚悟完了を待っていたかのように長い前奏が終わって。

「――――――ぇ」

 いざ歌い始めようとしたところで、遠くの女の子と目が合った。

 後から合流するという話だった数人の追加メンバー。

 これまでの男女比を考えれば、それが女子であることは明々白々。


 到着早々、この場の状況をざっくり理解しただろう鈴川瑠璃羽が、言葉のひとつも発することなく踵を返した。

 

 ああ、なるほど。


 たしかにこれは、ヤバいことだ。


 マイクを取り落としながら、どこか他人事のように思った。

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