第6話 アンビバレンツガール

「私ね、人間不信なんだ」

 俺に紹介したいアルバイトの詳細を知るべく、倉木さんお気に入りだという喫茶店に招かれてすぐの一言。

「ああいう酷いこと言ってくる男が多いから?」

「それも、ちょっとはあるかな」

 ということはつまり、別の理由があるのだろう。だけど初対面で根掘り葉掘り聞き出す気も起きず、続く言葉を待つことにした。

「私の家、成金なの」

「お、おお……?」

 それからの話を要約すると、大体こう。

 倉木さんの親はかなりの資産家で、しかも倉木さん本人は見た通りのルックスなものだから、懐事情と容姿に対するやっかみを長きにわたって受け続けてきた。それゆえ今となってはもう、自分に近づいてくる相手がお金目当てか体目当てか身構えるところが人間関係のスタートになっており、まったく気が休まらない。近しい仲間はいるし、その子たちのことを好きだとも思っているけれど、本質的に自分は孤独なのではないかという不安感が今の今までずっと拭えずにいる。

「贅沢な悩みだって思う?」

「悩みに貧富も貴賤もないだろうに」

 他人に吐き出すのは初めてだったのだろう。泣くでも笑うでもない絶妙な表情を浮かべながら、倉木さんは小さく息を吐いた。詳細な人間関係はともかく、邪な目的で近寄ってきた男が拒絶された途端に豹変して激昂……という一部始終を見てしまったばかりだから、その悩みがちっぽけだなんてとても言えない。

 地獄とは他人のことだとサルトルは云った。倉木さんはきっと、他者からの決めつけやレッテル貼りによって日々を窮屈なものにしてきたに違いない。美人だから。お金持ちだから。――だから、この子にはなにかを期待してもいい。

 んなわけあるか。そう吐き捨てたくなる。

「信じられるものが多くないのはさ、すごく寂しいんだ。誰かと一緒にいるのにひとりぼっちのような気がして、他人の親切を疑わなくちゃいけないときだってあって」

 倉木さんは、自分のことを知ったうえで助けてくれたのではなかったのかと聞いた。それはつまり、そういうこと。人間不信の根が深く張り巡らされ、おいそれと他人を信用できなくなっている。俺がちょっかいかけて殴られた一幕も、好感度稼ぎの一環なのではという疑念。

 改めて、倉木詩歌という女の子を見る。可憐できらびやかな容貌とは裏腹に、どこか張り詰めた余裕のなさが漂っているような、もはや水滴のひとしずくで容器が決壊してしまいそうな、臨界間際の危うさがそこにはあるようだった。もちろん、話を聞いた俺が虚像を大きくしてしまっただけ、なのだが。

 その姿をとある人物に重ねそうになって、慌ててかぶりを振る。同一視することに、さしたる意味を感じない。

「多くないってことは、信じられるものだってあるんじゃない? なにもかもに疑いの目を向けて、距離を取りながら生きるのは無理だ」

「……契約、かなあ」

 契約? と思わず聞き返す。飛び出してくるワードとして、想定になさすぎるものだった。

「500円払ったらコーヒーが飲めて、5000円払ったら髪の毛を切ってもらえて、5万円払ったらゲーム機が買えて、5億円払ったら豪邸が建って。お金を介した契約は、すごく強度が高いと思う。みんながそれを当たり前のものとして信じているから、私も信じられる」

 詐欺もあるけどね、と倉木さん。それを言い出したら終わりだから、深掘りはしない。

「バイト先を紹介できるかもって話だったよね」

「ああ、そう聞いてきた」

 息を深く吸って、吐く。そんな儀式めいた動作ののち、倉木さんが口を開いた。

「私がお金を払って、直接あなたを雇う」

「はい……?」

「その時間だけ、御堂くんは私の友だちなの。どう?」

「どうって、やべーこと言い始めたなこいつ……としか」

「あはは、そうだよね。私もそう思う」

 金銭で友人や家族の代役を調達する。そんな趣のサービスが存在していることは承知している。

 だからって、それが個人間でとなると、取り扱いや評価が急に難しい。

 褒められたことではきっとない。大っぴらにできる行いでも、決してない。

 そしてそもそも、初対面の相手の言葉を、信じるべき理由が特にない。

「どうかな、受けてもらえる?」

「ひとつ聞かせてもらいたいんだけど」

 決め手がほしかった。受けるにせよ、断るにせよ、自分を納得させられるだけの理由が。

「難しいって言ったら、倉木さんはどうする?」

「すごい泣く。この場で、今すぐ」

「それは反則だと思うんだけどなあ……!」

 

 ふたりがかりでバッティングに臨む壮大な試みを終えて、人心地つく。

「手がひりひりする」

 赤くなった手のひらをこちらに向け、倉木さんがはにかんだ。「当たるとあんなに面白いんだね」途中から歯車が狂ってボールがまったく前に飛ばなくなったが、それでも前半うまくいっただけで大満足らしい。「また来ようね」ラジコンアゲインになりますか、とは聞けなかった。つつかない方がいい藪もある。

 施設を出て、並んで歩く。人通りが増えるにつれ、倉木さんが集める視線の数もどんどん増えていく。そうなるとどうしても、先ほどの言葉について考えを巡らせてしまう。

 軽快な足取りでご機嫌そうに歩く隣の倉木さん。しかしまだまだ人間不信は継続中で、向けられる視線に対しての怯えや嫌悪感は残っているという。 

 アンビバレンツガール。

 契約しか信じられるものがなくなった女の子。

 事実、賃金が発生する決まった時間以外、学校で倉木さんが話しかけてくることはない。同様にそれを礼儀として、俺からも声をかけたりはしない。

 俺たちには友だちである時間と友だちでない時間があって、それは金銭によってきっぱりと別たれる。

 不健全。鈴川の形容に、俺も同意する。

「手持ち無沙汰だし、腕でも組もっか?」

「やってるやってる」

「さっきはもっとくっついてたのに」

「よくないよくない」

 あれこれ考えがちな俺と対照的に、倉木さんにはまったく深刻な感じがなかった。休日の昼下がり、学校のやつらといつすれ違ってもおかしくない場所で、一切こそこそすることなく笑いかけてくる。

 俺は写真や動画を撮られがちな人間だからもうちょっと気を遣った方がいいかもしれない、とは言えない。桜庭後輩の件に関してはまだ話していないし、今後話す予定もなかった。どう考えても人を信じたくなくなるエピソードだからだ。

「そういえば御堂くんって、鈴川さんとすごく仲いいよね」

 急に桜庭にもつながる名前が出てきて、背筋がぴんと伸びる。あいつもあいつで校内では結構な有名人だから、倉木さんが知っていてもなにもおかしくはないのだが。

「一年のとき同じクラスだったから」

「え~、本当にそれだけ?」

 私の極秘情報網によると、と言って倉木さんがかけてもいないメガネの位置を調節する仕草を見せる。

「自己紹介の前から一緒におしゃべりしてたって噂をキャッチしてるんだけど」

「ぜんぜん誤魔化し効かないじゃん。最初から引っかける気全開できただろ」

「それで、いつ頃から親しいの?」

「中三くらい?」

「疑問形なんだ」

 知り合ったのは中三のときで間違いないが、当時から親しかったかと言われると迷う。そんな塩梅。

 難しいから説明は放棄する。あまりうまく話せる気がしないというのもある。

「まあ、誰にでもフレンドリーなやつなのはちょっと見ればわかるっしょ」

「ほんとかなあ?」

「すごい疑うじゃん……」

「知ってる範囲ね、御堂くんを応援してる女の子、たくさんいるんだよ」

 まったく知らない情報。誰が俺のなにを応援してくれているんだろう。どうせだったら直接エールをかけてくれればいいのにと、的外れなことを考える。俺は女の子から声をかけられるだけでちょっとうれしくなっちゃうタイプだから、陰ながら応援スタイルはやめてほしい。

「自分の好きな男の子が鈴川さんを狙ってるってパターン、結構あるから」

「当て馬じゃねーか!」

「それで実際どうなの?」

「まーた反応しにくい話を……」

 肯定するわけにもいかないし、かといって必死に否定するようではそれもそれでマジっぽくなる。「鈴川と仲いいの?」「鈴川と付き合ってないの?」男女を問わず誇張抜きで2ケタ回数以上聞かれてきたけど、未だ完全解答は見つかっていない。

「そういう色っぽい関係じゃないんだけどなあ……」

 結局、それ以上でも以下でもない。だけど鈴川を恋人にしたい男子や、鈴川という強力な競合相手に早くレースから降りてほしいと思っている女子からすると、宙ぶらりんなままでは困るらしい。そこに渋滞ができてしまっているせいで、あらゆる人間関係が滞る。どうにかしろや、当事者だろ。そんな無言の圧力を感じる。

 一方、渦中の鈴川は気楽なものだった。「急にモテ期きちゃったよ~」なんてへらへら笑っている。中三の、知り合って間もないあいつは男子にも混ざれるようなベリーショートで、聞けばこれまで実際そんな感じの人生だったという。おとなしめの女の子より、活発な男の子の輪に入って遊ぶ方が楽しい。それはそれで何人かピンポイントでひっかけていそうなものだけど、ともかくそこから髪を伸ばし始めてすっかり女の子らしくなった今、もはや男子一同は前までと同じ目で鈴川のことを見られない。

「じゃあ、どういう関係?」

「ぐいぐいくるなあ……。えーっとねえ」

 ちょっと目を瞑ってから、答える。

「生き方ってあるだろ。なにを信じて、なにを考えて、どんな風に歩いてきたか。その一端にでも触れて、それを好ましいと思ってしまったら、もう他人でなんかいられない」

 そんな関係。と言って締めとした。我ながら迂遠でわかりにくく、要領を得ない解答だと思う。けれども、それ以外の表現が見つからないのだからしょうがない。

「……要約すると?」

「腐れ縁」

 身も蓋もなかった。それでいいとも思った。腐れた縁であることに、疑う余地はないのだから。

 強い日差しから身を隠すように建物が作る日陰の下を歩く。倉木さんの歩幅に合わせた、少しゆっくりめのペース。

 当然、倉木さんにも生き方がある。信じるに値するものは契約のみ。それが最たる例。

 良し悪しはわからない。俺は評論家ではなく、一介の雇われ友だちにすぎないから。

 けれども、それでは寂しくないですかという一抹の思いを抱くことは何度かあった。それでは癒しや潤いが不足するんじゃないですか。それではいつか頼れるものがなくなって瓦解するんじゃないですか。言葉にしないまましまいこんでいる不安や懸念は、たくさんある。

「ねえ御堂くん、ちょっと見てて」

 俺を呼び留めたかと思えば、その場で立ち止まってシャドーで大きくスイングしてみせる倉木さん。さすがに何度も繰り返した甲斐あってか、脇がしまったきれいなフォームになっている。

「どう、次はホームラン打てるかな?」

「余裕だ。場外までかっとばしてやろう」

 まだアドレナリンが出ているのか、いつもよりずっとハイテンションではしゃいでいる。よく笑う、無警戒で、隙だらけで、等身大の女の子。倉木さんには、今の姿が一番合っていると思う。こんな素敵な一面があるのだと誰にも知られていないのが、すごく惜しいとも思う。

「じゃあ、また今度教えてね」

「俺にできる範囲であれば、いくらでも」

 倉木さんが多くの人を信じられるようになるまで、最低でも契約中において、俺は誰より信じられる人間でありたい。そしていつか、かじかんだ手がほぐれるように、心の荷を下ろせる日がくればいい。

 

 この時点の俺は、そう気楽に構えていた。

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