第4話 興味ねーよブス
「こういうところ、一回来てみたかったんだ」
言って、倉木さんが構える。見るからに張り切っているけど、それが空回りしてしまったせいか、内角高めに飛んできた90キロのストレートに対して盛大に空振り。
休日のバッティングセンターはそれなりの賑わいだった。本職の野球部は練習に駆り出されている時間帯だから150キロのマシンをバシバシしばくようなバッターはいないが、低速帯の方には短い列ができていて、順番待ちが必要になる。
「次、御堂くんの番だね」
ゲージから出てきた倉木さんに百円玉を何枚か手渡される。こういった出費はどれだけ小さくても自分持ち。それが倉木さんのスタンスだった。
後ろがつかえているのもあって、それ以上の会話をすることはない。300円25球と表示された投入口にコインを突っ込んで、右打席に立つ。そもそも、スペース削減のためか右打席しかないゲージだった。
当てることだけが目的のひょろひょろスイングを繰り返す。空振りして、たまに当たって。それが上手い角度で飛んでいくのを見て、倉木さんは「すごいすごい」と小さな歓声をあげている。
「上手だね!」
「子どもの頃はプロ野球選手を目指してたんだ」
適当を言った。
褒められると気持ちがいい。それが女の子からだと特に。しかも今回は、倉木さんみたいな女の子、というおまけつき。
休日に出かけているから当然なんだけど、倉木さんは私服だった。運動するのを考慮してか、動きやすそうなチノパンに半袖シャツというラフなスタイル。羽織っていたカーディガンは、いつの間にか脱いでいる。ほんのり紅潮した顔を手でぱたぱたあおいで冷ましている様子は、王道ど真ん中の女子高生といった様子だった。
インターバルなしで何度も挑戦するほどお互いわんぱくではないから、近くにあったところどころ塗装が剥げたベンチに腰かける。隣から、香水のいい香り。倉木さんの体温が上がっているのを、そんなところからも感じ取る。
「飲み物買ってくるよ」
「あ、じゃあ私も」
「まあまあ。座る場所を確保する役も必要だし」
言うが早いか席を離れる。ちょっと悩んだ末に出入り口付近の自動販売機で無難なスポドリを二本購入。ペットボトルをくるくる回しながら帰ると、倉木さんではなく客の男と目が合った。歳は大学生くらい。体の厚みから見て、たぶん経験者。
まあ、深く考えるまでもなくそういうことだろう。変に期待させることがないよう速やかに倉木さんの隣に座ると、推定大学生は音もなく去っていった。
「やっぱり、御堂くんについていくべきだったかも」
キャップを回しながら倉木さんが言う。俺が気づけるレベルの視線に、当人が無自覚でいられるわけもない。
言わずもがな、倉木さんは目立つ女の子だった。そのまま雑誌の表紙にしても違和感がないようなルックスは、こういったアミューズメント施設だと余計浮いて見える。俺の戻りがもう少し遅れていたら、打ち方を指南したくてたまらない男たちが声をかけにやってきただろう。果たしてその中に純粋な気持ちで打撃指導したいやつは何人いるのか、そこは俺にもわからない。
「きれいな女の子って大変なんだな」
「そう、大変なんです」
倉木さんの顔立ちには、十代特有のあどけなさとか、高校二年生の垢ぬけなさみたいなものがほとんどない。いつもは制服を着ているから同世代だと判別できるけれど、今日の装いで21歳の大学生と自己紹介されたら、俺はそのまますんなり信じると思う。
けれども、そんな見た目の大人っぽさとは裏腹に、やっぱり本人は俺と同い年の女の子で。表情やふるまいにはまだまだ歳相応の隙があって、そのギャップがさながら誘蛾灯のように、四方から視線をひきつけてしまう。
「そういえば、男の子から直接きれいって言ってもらったの、初めてかも」
「んなわけ」
「ブスって言われたことはたくさんあるんだけどね」
それこそ、んなわけ、だ。
けれども、俺はその実例を知っているから安易に否定できない。
絶対に笑いどころではないのに、倉木さんの顔には笑みが浮かんでいる。
それはおそらく、去年の12月を思い出しているから。
「お前なんか誰も興味ねーよブス!!」
年末年始の各種イベントに向け、先立つものが欲しいなあとティッシュ配りのバイトに精を出していたときのこと。夕暮れのアーケード街に、男の荒々しい大声が反響した。「お高くとまりやがってよぉ!!」そんな追撃もあった。
肩をそびやかして大股でこちらに向かって歩いてくる男の後ろには、モッズコートを着た髪の長い女性がひとり俯いている。
クリスマス前に痴話げんかでも起こしたのか、とは思わなかった。俺が配置されているのは地元ではいわゆるナンパ通りと呼ばれるような場所で、日中はそうでもないが、日が落ちてくると一気に治安が怪しくなる。
「よろしければ」
ビジネススマイルを浮かべ、その男に向かってティッシュを差し出した。こちらにはノルマがあるからできれば受け取ってもらいたかったのだが、「見てんじゃねえよ」と乱雑に手をはらわれる。そうして地面に落ちたポケットティッシュを拾い直す。
このバイトを数時間やってみてわかったことだが、無視や拒絶をされるのって結構悲しい。悪いことをした気分になるし、そういうものとわかっていても自分の落ち度を探したくなる。人によっては、受け取らなかった相手に責任転嫁をすることだってあるかもしれない。
どうせお前もその口だろと背中を追い、傷の舐め合いをする意味でもう一度ティッシュを差し出した。「まあまあそう言わずに」受け取りを拒否された回数なら、今日に限っては俺の方がはるかに多い。同じ痛みを知るもの同士が慰め合わず、誰が俺たちを助けてくれようか。
だが、そんな意図はまったく伝わらなかった。ナンパ失敗の腹いせに女の子を怒鳴りつけるようなやつだって、救われることがあってもいいのに。どんな人間にだって、涙を拭くものが必要なはずなのに。
「しつこいんだよ」
ティッシュは受け取ってくれないくせに、俺の胸ぐらはつかめるらしかった。男はイラつきを隠そうともせず、額に青筋を立て、口の端にあぶくを浮かべながら迫る。「殺されてえのか」そんな物騒なことも言う。
思った以上のチンピラに手を出してしまったようだ。男はまったくためらうことなくこちらの顔にげんこつを叩きつけてきて、鼻の奥の熱い痛みで涙が浮かぶ。かけていたメガネも吹き飛んだ。これだと、ティッシュが必要なのは俺の方だ。
「殴るよりティッシュもらう方が楽でしょ~……」
面倒で危なっかしい方を選ぶ理由がわからない、とまでは言えなかった。まさしく俺が、そちらに向かって舵を切った側だから。君子危うきに近寄らず。しかし俺は賢くないので、時折こういう大いに間違った決断をする。結果として痛い目に遭っているのだから世話ない。
泣き言を言っても手を離してはもらえなかった。最悪三発目くらいまでは覚悟しなきゃいけないかもと、超後ろ向きな決意を固める。治安の悪さゆえ近くには交番が設置されているし、言葉通り殺されることはないだろう。
しかしながら、二発目がとんでくることはなかった。
自分が大声を出して周囲から注目されていることを、頭に血がのぼった男は考慮できていなかったのだ。
「…………」
何人かの通行人が、スマートフォンのカメラをこちらに向けている。それはどこか無機質で、異様な光景にも見えた。熱がなく、距離があり、しかしとてつもない暴力性を持っている。そこには善意も悪意もなくて、だからこそ得体が知れない。
もしも今の映像が拡散され、学校や職場に知られたら。感じるのは、日々の営みに忍び寄る恐怖だ。そういう目に見えない力に対し、威勢の良さや腕っぷしで対抗することは適わない。
小さく舌打ちをして、男が俺から手を離した。憎々しげにこちらを見ながら去っていこうとするものだから、いやいや目的が違うよとポケットティッシュを強引に握らせる。「またのご愛顧を~」手を振って満面の笑みで送り出すと、さっき以上に歩幅を広げ、男はどこかに行ってしまった。撮影していた野次馬も、我関せずと人混みにまぎれていく。
「いってぇ~」
顔を殴られたのは人生で初めてのことだった。幸か不幸か鼻血は出ていないし、歯も折れていない。けれど痛いものは痛いし、何日かは腫れるだろうと思うと憂鬱だ。
「あの、ひとついただいてもいいですか?」
しゃがんで小さくなっている俺に、声をかけてくる人がいた。そういえばバイト中だった。思い出し、慌てて立ち上がる。
前にいたのは、長い髪の女性。
「はいどうぞー。ありがとうございまーす」
男に怒鳴られ、俯いていた人だった。
次週のはじめ、俺は学校に着くなり生徒指導室に呼び出され、お叱りを受ける羽目になった。大前提、ウチの高校はアルバイト禁止だ。とはいってもみんな隠れてこそこそやっているものなのだが、俺はよりにもよってそのバイト中に問題を起こし、動画をSNSに拡散される大ポカを犯した。余計なお世話を焼くやつはどこにでもいるもので、胸ぐら掴まれて殴られているのはおたくの生徒じゃないですかという問い合わせがあったのだという。
結果的に俺はこってり絞られ、反省文まで書かされた。禁止されているアルバイトと、暴力沙汰。改めて考えたらかなりアウトだ。停学まであるかなと覚悟したが、意外なことにそれ以上のお咎めはなし。どうやら野次馬の中にウチの生徒がいたようで、俺に非はないと弁護してくれたらしい。散々煽り倒したし、手を振っていたときもう片方ではこっそり中指を立てていたから、まあまあこっちも悪質だったんだけど助けてくれるならありがたく受け取っておく。
「あの」
形だけの反省文をしたためてようやく職員室から解放されたところで、突然呼び止められる。
相手にはなにか用事があるみたいだったけど、試合後のボクサーよろしく顔に痣を作った俺を見て絶句していた。
「そ、それ、怪我、痛くないですか……?」
「超痛い!」
ダブルピースで答える。生徒相手の初お披露目は鈴川かなとなんとなく思っていたが、違った。「あ」答えてから気が付く。目の前の女子生徒が、この前の女性と同一人物であることに。
「てっきり大学生くらいの歳だと」
「……知ってて助けてくれたんじゃなかったんですか?」
「いや、ぜんぜん」
ぽかんと口を開き、目をぱちぱちさせる女の子。
それが、俺と倉木詩歌の出会いだった。
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